誰の仕事でもない仕事
納品したはずの仕事が、戻ってきた。
『いただいた説明書なんですけど、画面と少し違うみたいで』
金目は、顧客から届いたメッセージを読み直した。
添付されていたのは、画面の写真だった。
確かに、説明書に書かれている項目と、実際の画面が違っている。
「……あれ?」
金目は共有フォルダを開いた。
納品した集計表。
操作説明書。
確認用の資料。
どれも、決めた場所に保存されている。
集計表を開いてみる。
計算は正しい。
表示も問題ない。
ただ、説明書に載っている画面だけが、少し古かった。
「……説明書、前のままやん」
金目は椅子にもたれた。
少し前から、カナメ事務所の仕事は何人かで分担するようになっていた。
しかし、今回の説明書については、誰が最後に直すのか決めていなかった。
金目は共有資料を見直した。
西田の作業は完了している。
岩田の調査も終わっている。
田村が管理していた納品予定にも、遅れはなかった。
説明書の更新。
その仕事だけが、どこにも書かれていなかった。
「……そら、誰もやらんわな」
*
金目は、まず顧客へ返信した。
『ご連絡ありがとうございます。説明書が古いままになっていました。こちらで確認して、修正版をお送りします』
送信してから、田村に連絡する。
『納品した説明書が古かったみたいです。案件一覧には入ってなかったですよね?』
田村からの返事は、しばらくして届いた。
『入ってへんな。納品物に説明書があることは聞いとったけど、更新担当までは決めてなかったと思う』
『そうですね。僕も確認してませんでした』
『作る人と、最後に渡すものを揃える人は、別でもええんちゃうか』
金目は画面を見つめた。
作る人。
揃える人。
確かに、同じ人である必要はない。
ただ、今のカナメ事務所には、その仕事を頼める相手がいなかった。
西田たちには、それぞれ別の作業を頼んでいる。
もちろん、誰かにお願いすれば、やってもらえるかもしれない。
しかし、金目は少し考えた。
今後も同じような仕事は出てくるだろう。
そのたびに、制作を担当している人の手を止めるのも、あまり効率がよくない。
「……そういや」
金目は、スマートフォンの連絡先を開いた。
以前、知人から紹介された人物がいた。
年齢は金目より少し下。
資料の整理や、ちょっとした制作、運用の確認など、幅広い仕事をしていると聞いていた。
直接仕事をしたことは、まだない。
ただ、以前に一度だけ連絡を取ったことがあった。
金目は、その名前を選んだ。
尾崎。
『ご無沙汰してます。金目です。ちょっと仕事の相談をしたいんですが、お時間あります?』
*
尾崎から返事が来たのは、その日の夜だった。
『お久しぶりです。大丈夫ですよ。どんなお仕事ですか?』
金目は、今回の事情を簡単に説明した。
納品した資料と説明書が食い違っていること。
制作物そのものは動いていること。
説明書を更新して、もう一度顧客に渡したいこと。
少しして、尾崎から通話の提案が届いた。
「もしもし、金目さん。お久しぶりです」
「お久しぶりです。急にすみません」
「いえいえ。資料の整理でしたっけ?」
「そうです。説明書が古いままでして」
「なるほど。今ある資料、一回見せてもらってもいいですか?」
「もちろんです」
金目は共有フォルダに、必要な資料をまとめた。
尾崎には、今回の確認に必要な範囲だけを見られるようにする。
「集計表と説明書、それから確認用の資料です」
「ありがとうございます。ちょっと見ますね」
通話の向こうで、しばらくキーボードを打つ音がした。
「……ああ、なるほど」
「どうです?」
「説明書の画面が古いですね」
「そうなんです」
「あと、これって、どっちが最新ですか?」
「どれです?」
「集計表が二つあります。名前の最後に『修正版』って付いてる方と、『最終』って付いてる方です」
金目は画面を開き直した。
確かに、二つある。
「……最終の方やと思います」
「思います?」
「確認します」
「お願いします」
尾崎は、落ち着いた声で続けた。
「説明書を直す前に、どれを正しいものとして扱うか決めた方がよさそうですね」
「そうですね」
「あと、説明書の中に書いてあるファイル名も、今のものと違ってます」
「そこもですか」
「はい。たぶん、途中で名前を変えたんでしょうね」
金目は小さく息をついた。
画面だけ直せば終わると思っていた。
しかし、実際には、いくつか確認しなければならないことがあるらしい。
「……思ったよりありますね」
「そうですね。でも、順番に確認すれば大丈夫だと思います」
尾崎は、特に慌てた様子もなかった。
「完成してるものと、まだ確認が必要なものを分けてもらえますか?」
「わかりました」
金目はメモを開いた。
*
翌日。
金目は西田に、どちらの集計表が最新なのか確認した。
『最終って付いてる方が最新やで。修正版の方は途中の確認用』
『了解。ありがとう』
続けて、説明書に載せる操作方法についても確認する。
西田からは、画面の変更点が簡単にまとめられて返ってきた。
金目は、その内容を尾崎へ共有した。
尾崎は、週末に作業できるという。
金目は、今回の作業範囲と納期を整理した。
最新の集計表を確認する。
説明書の画面を更新する。
ファイル名や参照先を揃える。
完成した資料を、金目が確認できる状態にする。
作業量を見積もってもらい、報酬と支払時期も相談した。
尾崎から了承の返事が届いたところで、正式に依頼する。
その内容を三宅にも伝えた。
『新しく尾崎さんに作業をお願いすることになりました。外注費の予定に追加をお願いします』
『承知しました。金額とお支払い予定日を教えてください』
金目は、決めた条件を送った。
『確認しました。予定表に反映しておきますね』
金目は少し笑った。
以前なら、仕事が終わってから報酬のことを考えていたかもしれない。
今は、作業を始める前に決めるようになった。
少しずつではあるが、自分も変わっているらしい。
*
週末。
金目が共有フォルダを開くと、尾崎の作業が進んでいた。
説明書の画面は新しいものに差し替えられている。
ファイル名も揃っている。
途中の確認用資料は、別の場所にまとめられていた。
ただ、一か所だけ、コメントが付いていた。
『この操作をした場合、前の月の数字は変更できますか?』
金目は画面を見つめた。
確かに、説明書に書くなら確認しておきたいところだった。
しかし、金目自身も仕様を正確には覚えていない。
『西田に確認します』
そう返して、西田へ質問を送った。
返事が来たのは、翌朝だった。
『前の月も変更できるで。ただし、変更したら集計も更新される。説明書にはそこ書いといた方がええな』
金目は、その内容を尾崎へ伝えた。
『ありがとうございます。そこを追記して仕上げます』
数時間後、完成した説明書が共有フォルダに置かれた。
金目は一通り確認した。
画面と説明が合っている。
ファイル名も正しい。
操作方法も、実際の動きと一致している。
「……よし」
金目は顧客へ連絡した。
『お待たせしました。説明書を修正しましたので、こちらをご確認ください』
その日の夕方、返事が届いた。
『ありがとうございます。これで問題なく使えそうです』
金目は椅子にもたれた。
ようやく、仕事が終わった。
最後に渡すものを揃える仕事が、誰にも割り振られていなかった。
そこを、尾崎が埋めてくれた。
金目は、尾崎に礼のメッセージを送った。
『助かりました。ありがとうございます』
返事は、少しして届いた。
『こちらこそ、ありがとうございました。あと、一つだけ気になったんですが』
「……まだあるんか」
金目は苦笑しながら続きを開いた。
『今回の資料、次に誰が更新するかも決めておいた方がよさそうですね』
金目は画面を見つめた。
確かに、そのとおりだった。
今回直したからといって、次に同じ問題が起きないとは限らない。
金目は、田村に連絡した。
『納品物の更新担当も、案件一覧に入れた方がええかな?』
田村からは、すぐに返事が来た。
『そら入れた方がええやろ。今回みたいなん、また起きるで』
「……ですよね」
金目は笑った。
*
翌週。
金目は、共有している案件一覧を開いた。
担当者の欄に、新しい名前が増えている。
尾崎。
田村が追加した項目には、資料の更新担当も記されるようになっていた。
金目は、資料の更新担当が記された行を確かめた。
田村から、共有表にコメントが付いた。
『更新担当の欄、追加しといたで。次からここも決めよう』
金目は確認の返事を送った。
続けて、三宅から尾崎への支払い予定について確認が届いた。
岩田からは、別の案件の調査結果。
西田からは、制作中の資料について質問が来ている。
金目は、通知を一つずつ開いた。
それぞれが、自分の仕事を進めている。
しかし、その全体を把握するのは、まだ金目の役割だった。
「……誰が何やってるか、俺が一番わかってへんかもしれんな」
金目は苦笑した。
六人の名前が案件一覧に並んでいる。
まだ社員は一人もおらず、それぞれが都合の合う範囲で手伝ってくれている。
名前が増えても、空いた欄が勝手に埋まるわけではなかった。
金目は、更新担当の欄をもう一度確認した。
「……次からは、ちゃんと決めとこ」
そうつぶやいて、次の案件を開いた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、新たに尾崎が登場しました。
田村や岩田とはまた違い、幅広い実務をこなしながら、仕事の隙間を埋めてくれる人物です。
これでカナメ事務所を支える顔ぶれも、少しずつ賑やかになってきました。
もっとも、人数が増えたからといって、すべてがうまく回るわけでもないようですが(笑)
次回もお付き合いいただければ幸いです。




