一人分の後任
2034年11月6日、月曜日。
「社内で確認したんですが、月末の処理も、最初から同じ画面で使えませんか」
上條は、共有していた資料から顔を上げた。
先週、顧客へ送った確認事項には、回答が書き込まれていた。
通常の処理とは違う入力項目。
月末だけ必要になる確認。
違いがわかれば、対応する方法は考えられる。
「それでしたら……」
上條は、そこで言葉を止めた。
柴崎が手元で開いている試験の一覧が目に入った。
今進めているのは、通常の処理を使い始めてもらうための作業だった。月末側も含めれば、変更する箇所だけでなく、確かめる組み合わせが増える。
「同じ画面にする場合、確認する範囲と日程を、もう一度見させてください」
「ああ、今の予定には入っていないんですね」
「はい。前回までに決まっているのは、こちらの通常処理の範囲です」
上條は、対象の欄を示した。
隣に座る田村は、画面を見ていた。
何か補足してもらえるだろうかと思ったが、田村は口を開かなかった。
「同じ画面にそろえたいのは、操作が違うと使いにくいからでしょうか」
上條が尋ねた。
「それもあるんですが、現場へ説明する回数を減らしたくて。通常の分を説明して、また月末に集まってもらうのも大変なので」
「実際に使われる方は、両方を担当されるんですか」
「一部は同じです。ただ、月末だけ確認する人もいます」
柴崎が、その答えを書き留めた。
同じ画面で使えることと、同じ説明で済むことは、少し違う。
上條は、予定している使い始めの日を見た。
「通常の処理を始める時期と、月末の処理までそろえることでは、どちらを先にしたいとお考えでしょうか」
顧客は、しばらく資料を見ていた。
「通常の方は、今の予定で進めたいです。担当も、そのつもりで準備していますから」
「わかりました。そこを動かさずに進める案を、一度こちらで整理します」
「お願いします。月末の方も、何が別になるのか知りたいので」
「はい。範囲と、追加でご相談が必要なことを分けてお送りします」
打ち合わせを終え、上條は共有を切った。
田村が、閉じかけた資料を指した。
「最後に聞けてよかったな」
「……最初、できますと言いそうになりました」
「やり方は、浮かんだんやろ」
「はい」
「ほな、そのやり方と、今の予定でできるかを分けて見よう」
上條はうなずいた。
方法を考えるところから、返事をするところまで。
その間に、まだ確かめることがあった。
*
その日の午後、上條と柴崎は、通常処理を先に使い始める案を作っていた。
「こちらの試験は、今の範囲で進められます」
柴崎が、一覧の一部を示した。
「月末の入力が増えると、同じ画面でも、こちらの確認が別に必要になります」
「通常の人が使ったときに、月末の項目が出ないことも見なあかんね」
「はい。片方だけ確認して終わりにはできないので」
上條は、顧客への返答から日付を一つ消した。
追加部分をいつまでにできるかは、まだ書けなかった。
代わりに、今決まっている範囲と、次に相談する範囲を並べる。
「月末の方は、まだ作ると決まったわけじゃないですもんね」
柴崎が言った。
「うん。必要なところを確かめて、見積もりと日程を相談してからやね」
翌日、火曜日。
上條は、その案を岩田に見てもらった。
通常処理を先に進めても、あとで月末側を追加する際に、同じ箇所を大きく直さずに済むか。
自分で調べた範囲を説明し、まだ判断できなかった箇所を開く。
「ここは、今の条件を残しておけば、通常の処理には影響しないと思っています」
岩田は、上條が示した処理を追った。
「その考え方で進められそうです。ただ、追加するときも同じ確認を通るように、入口は分けない方がいいですね」
「別々に確認を書くと、片方だけ変わるかもしれないということですか」
「はい。今の案なら、そこをそろえられます」
上條は、修正する箇所を確かめた。
今回は、何を聞きたいのかを説明できた。
岩田から返ってきた答えも、自分の案のどこへ反映すればよいかわかった。
確認を終えてから、田村にも返答を見てもらった。
「通常の方を先にする理由は、これで伝わると思う」
「月末側の説明は、まだ足りませんか」
「内容はある。ただ、お客さんが社内で話すとき、このまま使えるかな」
上條は、書いた文章を読み返した。
変更する箇所と、試験が増える理由。
自分たちが作業するための説明になっていた。
「先に使い始める人と、月末の確認をする人を、分けて書きます」
「うん。何をいつ説明してもらうかも、見えるとええな」
上條は、通常の処理と月末の処理を使う人について、メモを読み返した。
一度で説明を済ませたいという希望に、そのまま応えることはできない。
それでも、二度目に誰へ何を説明するのかがわかれば、準備は変えられるかもしれなかった。
*
十一月八日、水曜日。
上條は顧客へ、通常処理を予定どおり先に進める案を説明した。
「月末の確認を担当される方には、追加部分が決まってから、別に説明の機会を取っていただく形です」
「通常の担当には、今の内容で準備してもらえばいいんですね」
「はい。月末の方は、対応する範囲と費用、日程を改めてご相談させてください」
顧客は、先に進める範囲を確かめた。
「わかりました。それなら、今の準備は止めずに進めます」
「ありがとうございます。こちらからも、確認していただく内容をお送りします」
接続を切ると、上條は椅子の背へ体を預けた。
田村が答えを引き取る場面はなかった。
相手の希望を聞き、そのまま全部を引き受けずに、先へ進める話ができた。
「お疲れさまです」
柴崎が言った。
「……お疲れさま」
上條は、少し笑った。
自分の席へ戻り、作業中の画面を開く。
入力内容を確認する画面の表示部分。
月曜日の朝、ここを進めるつもりだった。
最後に書いた行の下へ、カーソルが残っている。
社内の連絡には、別の担当者からのレビュー依頼も届いていた。
『今日中に一度、見ていただけますか』
上條は予定を確かめ、午後の時間を返した。
「上條さん、こちらも少し確認していただきたいんですが」
柴崎が、試験項目の一覧を持ってきた。
「今……」
上條は開いたままの実装を見た。
顧客へ送る確認事項も、まだ残っている。
「ごめん。先に送るものを仕上げたいから、少しあとでもええかな」
「はい。では、確定しているところを先に進めます。迷っている箇所に印を付けておきますね」
「ありがとう。終わったら声かける」
柴崎が席へ戻る。
上條は、顧客への連絡を開いた。
説明ができたことは、うれしかった。
次も、自分で進めたいと思った。
その仕事をする間、ほかの仕事が待っていた。
*
夕方、西田と話す時間に、上條は今週の作業を並べた。
以前から、担当と今後の仕事については相談していた。
今日は、終わらなかったものも、そのまま見せた。
「顧客の方は、先へ進められたな」
「はい。通常の処理は、今の範囲で進めることになりました」
「月末の方は?」
「追加で確認してからです。費用と日程は、田村さんにも入っていただいて相談します」
「わかった」
西田は、上條の作業へ目を移した。
「こっちは、今週から動いてへんのか」
「月曜に進める予定でした。ただ、確認事項を整理していたら、触る時間が取れなくて」
「レビューは、今日やったんやな」
「はい。そちらは返しました。柴崎さんの試験項目も見ています」
上條は、自分の説明が言い訳のように聞こえないか気になった。
顧客への返事に、もっと時間をかけずに済めばよかったのかもしれない。
だが、何を確かめればよいかもわからず、田村へ全部渡していた頃へ戻りたいわけではなかった。
「顧客との調整は、どうやった?」
西田が尋ねた。
「難しかったです。でも、話せてよかったと思っています」
「うん」
「先に何が必要か聞いたら、こちらからも案を出せたので。次も、できるだけ自分で進めたいです」
西田は、続きを待っていた。
上條は、一度息を吸った。
「この案件の窓口は、持ちたいです」
「うん」
「でも、田村さんの仕事をそのまま全部、という話なら、今の自分には難しいです」
言ったあと、少し間が空いた。
「実装も、続けたいです。若手のレビューも見たいと思っています。ただ、全部を今のまま持つと、今日みたいに、誰かを待たせることになります」
西田は、作業の一覧を自分の方へ寄せた。
「……そうやな」
上條は顔を上げた。
「先に、どれを減らすか決めなあかんな。窓口を持ってもらうなら、その時間を取らなあかん」
「はい」
「この表示部分、柴崎さんに持ってもらうことは考えられるか」
「内容としては、できると思います。ただ、柴崎さんにも今の試験項目があるので」
「本人と見よう。空いとることにして渡したら、一緒や」
上條はうなずいた。
西田は、顧客への返事を示した。
「今決まっとる範囲の説明や日程確認は、上條君に持ってもらいたい。範囲が増える、納期が動く、ほかの担当を入れる。そういう判断は、俺へ戻してくれ」
「田村さんがいらっしゃる間も、ですか」
「今月は田村と一緒に見る。その先も、戻す相手は決めとかなあかんからな」
上條は、止まっていた実装をもう一度見た。
「自分が説明するところまで、なくなるわけではないんですね」
「そこを持ちたいって、今聞いたからな」
西田が答えた。
「全部できると言うてもらうために、話しとるんやない」
上條は、肩に入っていた力を少し抜いた。
「……ありがとうございます」
「明日、田村と柴崎さんにも入ってもらおう」
西田は、次に確認することを上條へ返した。
窓口を持つ。
その代わり、持ち方を変える。
上條は、自分の仕事の横へ、その話を書き足した。
*
十一月九日、木曜日。
西田が会議室へ入ると、柴崎は自分の作業を開いていた。
田村と上條も、向かいに座っている。
「表示部分は、私が進められると思います」
柴崎が言った。
「ただ、今日はこちらの試験項目を先に仕上げたいです。ここが決まらないと、ほかの方の確認も止まってしまうので」
西田は、示された項目を見た。
残っているのは、昨日、上條に見てもらった箇所を反映する作業だった。
「そのあとなら、着手できるんやな」
「はい。明日の確認までに、変更したところを見ていただきたいです」
上條が、午後の予定を確かめた。
「明日の、この時間なら見られる」
「お願いします。それから、来週前半に予定していた画面の文言整理を、後半へ動かしたいです。使っていただく前の確認には間に合います」
田村が、顧客との予定を開いた。
「その順番なら、先方へ出す日は変わらへんな」
「はい」
「ほな、そう進めよう。文言の整理まで上條に戻すんやなくて、柴崎さんの方で続けてもらえるか」
「わかりました」
西田は、上條が持つ作業から表示部分を外した。
代わりに、顧客との調整とレビューの時間が入る。
上條の仕事は、なくならなかった。
柴崎の今週の予定へ、そのまま押し込んだわけではなかった。
午後、西田は、その変更を金目へ見せた。
「上條君には、この案件の窓口を持ってもらう。実装は一部、柴崎さんへ渡す。二人の予定も確認した」
「……そうか。本人は、やりたいと言うてるんやな」
「うん。ただ、田村の仕事を全部そのまま持つのは難しいと」
金目は、上條の名前が入った箇所を読んだ。
「言うてくれてよかったな」
「そう思う」
西田は、開いていた資料を切り替えた。
開発一課長の欄には、まだ田村の名前がある。
「一課長は、十二月から、当面俺が兼務したい」
金目は顔を上げた。
「部長も、そのままでか」
「うん。配置と評価、案件の優先順位は、俺が持つ。顧客との日々の連絡は、今回みたいに担当へ渡していく」
金目は、すぐには返事をしなかった。
西田も、次の説明を急がなかった。
「……お前の仕事は、誰が持つ?」
金目が尋ねた。
西田は、十月にも、同じことを考えた。
一課の仕事を予定へ入れ、田村に、自分の仕事はいつするのかと聞かれた。
西田は、部長として参加している打ち合わせを開いた。
「二課の進捗は、上田から共有してもらう。俺が担当者に一件ずつ聞いて、また同じ話を確認するのはやめる」
「上田君とは話したんか」
「議題を先に出してもらう形を試しとる。進捗だけなら、上田からの共有で確認できた。判断が要るところは、これまでどおり俺に上げてもらう」
金目は、次の項目を指した。
「一課の方は?」
「担当同士で進められた確認には、毎回は入らん。変更や遅れが出たら、そこから入る。ただ、評価の面談は俺が持つ。田村がおる間に、一緒に話を聞く」
外す同席と、残す同席。
どちらにも、西田の名前があった。
「岩田さんのレビューは、どうなる」
「案件ごとに、今見られる人と、まだ一緒に確認が要る範囲を分けとる。上條君に全部持ってもらうことはできん。俺も、全部の技術判断を代われるわけやない」
「……そこは、まだ残るんやな」
「残る。今月中に、十二月の確認先を案件ごとに決める。持てんものは、受け方や進め方を相談せなあかん」
金目は、しばらく黙って資料を見た。
西田は、自分の予定を閉じなかった。
取締役兼開発部長という今の役目へ、一課長の仕事を足す。
名前の下へ書けば済むことではなかった。
「これでずっと回すつもりでは、ないんやろ」
「ない。まず、今の仕事が止まらんようにする。そのあとで、上田が一課も見られるように、渡していきたい」
「二課と両方か」
「そういう形は考えたい。ただ、今ここで、次は上田やと決めて頼むつもりはない」
金目は、小さくうなずいた。
「本人がどう考えるかも、聞かなあかんな」
「うん。まずは、一課との配置の相談にも入ってもらう。二課を回しているところから、少しずつや」
西田は、上田が課長になった日のことを思い出した。
自分が答えずに済むことが、確かに増えた。
今度も、役職だけ先に渡すことはしたくなかった。
「……わかった」
金目が言った。
「十二月からの一課長兼務は、それで進めよう。今月、田村さんがおる間に、今の分け方で試してみてくれ」
「わかった」
「引っかかった仕事は、そのまま見せてな。兼務すると決めたから、全部できることにせんでええ」
「……うん」
金目は、一課の資料を西田へ返した。
「こちらも、受ける仕事の方を考える。開発で何とかしてくれるやろ、とはせんようにする」
西田は資料を受け取った。
少し軽くなった気がした。
自分が持つ仕事の量が、軽くなったわけではなかった。
*
十一月十日、金曜日。
上條は、柴崎が変更した画面を開いた。
確認する内容は、先に送られていた。
「戻ったときは、こちらに入力中の内容を表示します」
柴崎が説明した。
上條は実際に操作し、試験の項目と照らし合わせる。
「ここの表示、保存した内容と見分けられるかな」
「……今の文言だと、保存できたように見えますね」
「うん。処理は分かれとるから、表示の方を合わせよう」
柴崎は、直す箇所へ印を付けた。
「修正して、もう一度確認します」
「お願いします。ほかは、この範囲で次の試験へ渡せると思う」
上條は確認結果を返した。
昨日まで、自分が書くはずだった部分だった。
柴崎に進めてもらい、その説明を聞いて、自分が確かめた。
いつか任せられるようになれば、と思っていた仕事が、今週の中で一つ動いた。
午後、西田と田村から、一課の今後について説明があった。
十二月から、西田が一課長を兼務する。
日々の案件の進行は担当者が持ち、配置や評価、範囲や納期を変える判断は、西田へ相談する。
技術の確認先は、案件ごとに田村と岩田がいる間に確かめていく。
上條は、自分の担当する案件の説明を聞いた。
顧客への連絡を持つのは、自分だった。
田村は、今月の打ち合わせにも同席する。説明を足してもらうことは、まだある。
それでも、全部を田村へ戻すことにはならなかった。
席へ戻ると、顧客から連絡が届いていた。
次の確認に使うデータを、いつ送ればよいか。
宛先の先頭に、上條の名前がある。
「柴崎さん、来週の試験、データはこの日にいただければ進められるかな」
柴崎が、作業を確かめた。
「はい。その日なら、先に内容を確認できます」
「わかった。では、その予定で返します」
上條は、合意した日程をもう一度確かめた。
田村へ返事を頼む前に、送る文章ができた。
送信してから、手元に残した別の処理を開く。
窓口を持つと決めた案件も、柴崎と確認した仕事も、なくなったわけではない。
午後の残りに、何を進めるかは決まっていた。
上條は、その処理の続きを書いた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、上條が顧客との調整を進め、その先で、自分の仕事の持ち方を西田へ相談する話でした。
できることが増えるのは、うれしいことです。上條も、顧客へ自分の言葉で返事ができたことを喜び、次も引き受けたいと思っていました。
けれど、その間に待っていた仕事もありました。
「持ちたい」と「全部は難しい」を、一緒に伝える。上條にとっては、どちらも本当の気持ちだったと思います。
その話を受けた西田も、一課長を兼務すると言うだけでは済みませんでした。金目から、自分の仕事を誰が持つのかと問われます。
引き受ける人が決まっても、その人の時間が増えるわけではない。柴崎の予定も確かめながら、少しずつ仕事の持ち方を変える回になりました。
最後に上條は、自分が書くはずだった部分を柴崎と確認し、顧客へ返事をしてから、手元に残した別の処理の実装へ戻ります。
田村がいるうちに、こうして一つずつ進めていく。まだ残る仕事はありますが、今週は、その分担で一件進みました。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




