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カナメ -君はどう考える?-  作者: 旭月
第五章 守りたいもの
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ここで学んだこと

 2034年10月23日、月曜日。


 小川悠斗は、先日の合同調査の記録を開いていた。


 採取したログ。処理時間が増えた条件。開発側に確認を依頼した箇所。


 打ち合わせの間に書いたメモを、順番に並べ直す。


「ここは、まだ確認中ですよね」


 隣から画面を見ていた藤井が、一つの項目を指した。


「はい。実装側の確認をお願いしています」


「では、原因の欄と分けておきましょうか」


 小川は、見出しを変えた。


 原因の候補。


 その下に、確認済みの条件と、開発側へ渡した内容を書く。


「このログ、最初から全部出していたら、どこを見てもらうか決められなかったと思います」


「そうですね」


「でも、条件を絞って持っていったら、中野さんが実装を見てくださって」


 小川は、打ち合わせのメモをたどった。


 運用側だけでは見えなかった変更の経緯が、そこで出てきた。


「一緒に確認すると、違いますね」


「小川さんが調べていなかったら、開発側もすぐには場所を絞れなかったと思いますよ」


「……そうでしょうか」


「ええ。以前より、何がわかっていて、何を確かめたいのか、伝わるようになりました」


 小川は少し笑った。


 以前は、何か見落としている気がして、調査を終えられなかった。


 もう少し調べれば、もっと確かなことが言える。


 そう考えている間にも、返事を待っている人がいた。


「まだわからない、と書くのも大事ですね」


「誰に何を確認するかまであれば、次へ進めますから」


 藤井は、自分の席へ戻った。


 小川は記録を共有し、送信した画面をしばらく見ていた。


 午後の確認を進めていると、問い合わせが一件届いた。


 いつもの処理が終わっていないように見える、という内容だった。


 小川は、教えてもらった時刻の記録を開いた。


 処理の開始は残っている。


 しかし、それだけで止まっているとは言えなかった。


 画面に結果が出るまで待っていたのか、途中で画面を閉じたのか。問い合わせの文面だけでは、そこまではわからない。


 小川は、確認したいことを短くまとめて返信した。


 その間に、別の記録と照らし合わせる。


 何もわからないうちに返してしまうのも違う。


 全部を調べ終わるまで、黙って待たせるのも違った。


 確認できたところと、相手の返事を待っているところを、対応記録へ分けて書いた。


 隣の席では、藤井が別の画面を見ている。


 何でも最初から聞かなければ進められなかった頃とは、少し違っていた。


 それでも、相談すれば一緒に考えてくれる人がいる。


 小川は、返事が届いていないか、もう一度確認した。


 仕事を覚えた。


 相談する相手もできた。


 新しい経験をしたいと言えば、話を聞いてもらえた。


 画面を閉じる前に、次の確認事項を予定へ入れた。


 そのあとで、鞄に入れていた自分のノートを取り出した。


 会社の案件とは別に、明日の夜に確認することが書いてあった。


     *


 十月二十四日、火曜日。


 午後八時。


 小川は自宅で、オンラインの接続を待っていた。


 八月に井上へ今後の仕事を相談してから、社外の募集も調べていた。


 すぐに辞めると決めていたわけではなかった。


 自分の経験で、どんな仕事に応募できるのか。


 開発に関わるという説明が、実際には何をすることなのか。


 勤務時間の外で話を聞き、選考を受けた。


 画面に担当者が現れた。


「本日は、仕事内容と勤務条件について、改めて確認できればと思います」


「よろしくお願いします」


 小川は、届いていた資料を開いた。


 業務内容の欄に、設計、実装、テストと書かれている。


「一つ、伺ってもいいでしょうか」


「はい」


「実装を担当した場合、レビューを受ける機会はあるということでしょうか」


「はい。最初から一人ですべてをお任せする想定ではありません」


 担当者は、仕事の進め方を説明した。


 経験に応じて担当する範囲を決め、設計や実装を確認する。


 運用の経験も生かしてほしいという。


「実際に動いてから何が起きるか、考えていただけると思っています」


「……ありがとうございます」


「もちろん、覚えていただくことも多いと思います」


「はい。それは、承知しています」


 小川はノートへ書き込んだ。


 開発の打ち合わせに参加するだけではなかった。


 自分が作ったものを持っていき、確かめてもらう。


 直して、もう一度見てもらう。


 その仕事を、日々の担当として続けられる。


 先日の合同調査を思い出した。


 コードを開いた中野の横で、自分は説明を聞いていた。


 面白かった。


 次は、自分でも開いて、考えてみたかった。


「運用で調べたことを、改修の提案につなげるような仕事もありますか」


 小川は、もう一つ尋ねた。


「あります。ただ、提案した内容をすべて実施できるわけではありません。優先順位や、ほかの変更への影響も見て判断します」


「……はい」


 それは、今の会社でも見てきたことだった。


 直せばよさそうに見えても、そのまま変えていいとは限らない。


 調べることが増えるのは、わかっていた。


 新しい場所へ行けば、知らないシステムを一から覚えなければならない。


 それでも、自分で考えたものを作り、使われたあとまで見てみたかった。


 小川は、質問の横へ返事を書き込んだ。


 勤務条件についても、一つずつ確認した。


 仕事内容だけで決めて、生活の見通しを後回しにはできなかった。


「入社時期は、十二月を想定しています」


「はい。ただ、今の仕事の引継ぎがありますので、退職日と出勤できる日については、会社と相談させてください」


「承知しました。確認できましたら、お知らせください」


 面談を終え、小川は接続を切った。


 静かになった部屋で、ノートを見返す。


 カナメでも、開発と関わる機会ができている。


 そのことは、うれしかった。


 小川は、明日の予定を開いた。


     *


 十月二十五日、水曜日。


 午後、小川は井上と会議室にいた。


「相談いうのは、今後の仕事のことか?」


「はい」


 小川は、椅子の上で座り直した。


「十一月末で、退職したいと考えています」


 井上は、小川を見た。


 手元に持っていたノートを、開かずに机へ置く。


「……次の仕事が、決まったんか」


「仕事内容と条件を確認しました。設計や実装を担当する仕事です」


「そうか」


 井上は背もたれから体を起こした。


「この前の調査は、どうやった?」


「面白かったです」


 小川は、すぐに答えた。


「一緒に調べる機会を作っていただけて、うれしかったです」


「……うん」


「そのうえで、設計や実装を、自分の担当として続けてみたいと思いました」


 井上は小さくうなずいた。


 もう少し共同調査を増やせればと思っていた。


 担当を整理して、小川が開発側の仕事を経験する時間を作る。


 その相談も、これからだった。


「向こうでは、どこから担当するんや?」


 小川は、昨日確認した仕事内容を説明した。


 最初から一人で設計を任されるわけではないこと。


 実装とレビューを通じて経験を積むこと。


 運用の経験も見てもらえたこと。


 井上は途中で口を挟まずに聞いた。


「そこまで、確認したんやな」


「はい」


 小川の膝の上には、ノートがあった。


 確認したことと、まだ会社へ返事をしていないことが分けて書いてある。


 井上は、それを見て少し息を吐いた。


「寂しなるな」


「……すみません」


「いや。謝ってほしいんやない」


 井上は机に置いたノートを開いた。


 小川がこれから担当するはずだった仕事も、その中にあった。


「十一月末までに、何を渡せるか見ようか」


「はい。お願いします」


「西田と業務部には、俺から伝えてええか」


「お願いします」


「藤井にも相談したい。明日、一緒に仕事を確認する形でどうや」


「はい」


 井上は予定を入れた。


「それまでは、今の担当は今までどおりで頼む。返事を待っとる人もおるしな」


「わかりました」


 小川はノートを閉じた。


 立ち上がる前に、一度だけ井上を見た。


「……ここで運用をやっていなかったら、昨日みたいな質問もできなかったと思います」


 井上は、少し口元を緩めた。


「ほな、向こうでも使ってもらわなな」


「はい」


     *


 十月二十六日、木曜日。


 午前中、小川と井上、藤井は、担当業務の一覧を開いていた。


 藤井は退職の予定を聞くと、少し黙り、それから小川へうなずいた。


「次の仕事でも、運用の経験は役に立つと思いますよ」


「ありがとうございます」


「では、今の仕事を見せてもらえますか」


 小川は、定期的に確認している項目を示した。


 実行された処理の結果。


 記録が残っている場所。


 いつもと違う値があったときに、先に確かめるもの。


「この手順は、今ある資料で進められると思います」


「こっちは?」


 井上が、問い合わせ調査の欄を指した。


「最初に聞くことは、まとめています。ただ、答えによって、次に見る場所が変わります」


 小川は、以前対応した記録を開いた。


 発生時刻だけを聞いて調べたときは、範囲を絞れなかった。


 その直前に何をしていたかを確認すると、見るべき記録が変わった。


「同じ言い方の問い合わせでも、毎回同じ原因とは限らないので」


「せやな」


「このときは、自分では判断できなくて、藤井さんに相談しました」


 藤井が記録を見た。


「その前に、ここまでは確認できていましたね」


「はい」


「そこも残しましょう。相談した、だけだと、最初から全部調べ直すことになりますから」


 小川は、調査済みの項目を追記した。


 できなかったことだけでなく、どこまで進められたかを書く。


 次に見る人が、その先から始められるように。


「これを読めば、一人でできますかね」


 小川が言うと、井上は首を傾げた。


「最初から、それを試すんは難しいやろな。一緒にやれるうちに、一回見てもらおう」


「担当は、どなたになりますか」


「そこは今の負荷も見て決める。藤井に全部渡して終わり、いうわけにはいかん」


 藤井もうなずいた。


「手順の確認なら、私以外にも一緒にできるものがあります。調査は、実際の問い合わせが来たときに確認する時間も要りますね」


 小川は一覧を二つに分けた。


 資料を使って確認できるもの。


 一緒に対応する機会を作りたいもの。


 その中に、まだ自分だけでは終えられない仕事も残っていた。


 消さずに、相談先を書いた。


 藤井が、別の手順の途中で止まった。


「ここで記録を取るのは、なぜですか」


「後から同じ状態を確認しようとしても、表示が変わってしまうことがあるので」


「なるほど。それも、一言あると助かりますね」


 小川は、その行へ説明を足した。


 自分が前に困って、それから続けていたことだった。


 いつもやっているうちに、理由を書かなくなっていた。


「最初は、忘れてしまって。あとで説明するときに困ったんです」


「そういうこと、ありますよね」


 藤井が少し笑った。


 小川も笑い、資料へ戻った。


 うまくできたやり方だけ残せばいいと思っていた。


 その前に何で困ったのかも、次の人が知っていれば役に立つかもしれない。


 小川は、残しておく記録の場所も書き添えた。


     *


 午後、井上は西田へ小川の意向を伝えた。


「……小川も、十一月末か」


「うん。開発の仕事へ進みたいそうや」


 西田は、井上が持ってきた担当表を見た。


 定期作業には、交代できそうな担当者が記されている。


 問い合わせの調査には、引継ぎのために一緒に対応する時間が必要だった。


「今週、担当を確認したんやけどな」


 井上が言った。


「作業を配るだけなら、何とかなるものもある。ただ、調査が長引いたときの余裕は、少なくなる」


「開発側へ確認を回すのも、遅れるかもしれんな」


「そうやな。どこまで調べたか整理できてへんまま渡しても、向こうも困る」


 西田は、自分が進めていた一課の資料を並べた。


 面談で聞いた現在の担当と、今後経験したい仕事。


 田村から説明を受けながら顧客対応に入る予定。


 岩田と一緒に確認する必要のあるレビュー。


「こっちも、全部を同じ人に渡す形にはできへん」


「そら、そうやろな」


 井上は二つの表を見比べた。


「改善の方で、時期を動かせるものは確認する。今の運用を止めるわけにはいかんからな」


「契約で返事せなあかんものは、先に出してほしい」


「わかった。監視や障害対応とは分ける」


 西田は予定を確かめた。


「開発と一緒に見る必要があるものは、俺の方で相談する。ただ、二課へそのまま渡せるとは思わんといてな」


「そこは、担当を見てからやな」


 井上は、確認が必要な案件に印を付けた。


 課内で決められること。


 開発側との調整が必要なこと。


 西田へ相談すれば、仕事が消えるわけではなかった。


 返事を待つだけにしないよう、井上は自分が次に確認することを手元へ残した。


「小川には、いつまでに担当を伝えられそうや?」


 西田が尋ねた。


「今週中に、候補と一緒に確認する日までは決めたい。全部の担当をその場で決めるんは、難しいと思う」


「ほな、決まったところから進めよう。残った分は、来週また見せてくれるか」


「うん」


 井上は、来週の予定を確かめた。


 後任が全部決まるのを待っていれば、何も渡さないまま日が過ぎてしまう。


 先に一緒にできる仕事があれば、そこから始める。


 小川がまだ隣に座れるうちに、実際の画面を見て聞いてもらいたかった。


     *


 十月二十七日、金曜日。


 午前中、三宅は退職手続きの記録を更新していた。


 十一月末の希望者に、小川悠斗の名前が加わった。


 十月十日に申し出た社員。


 田村洋介。


 岩田健太。


 そして、小川。


 高瀬は、人数の見通しを更新した。


 現在、三十六人。


 十月末の四人を反映すると、三十二人。


 十一月末は、二十八人になる見込みだった。


「こちらの最終出勤日は、まだ確認中です」


 三宅が言った。


 高瀬は人数表から、日程の欄へ目を移した。


「各部署に、引継ぎの予定と合わせて確認しましょう」


「はい。同じ十一月末でも、一緒に作業できる日が違いますから」


 三宅は、退職希望日をそのまま最終出勤日の欄へ写さなかった。


 休暇の予定。


 本人が対応する顧客との打ち合わせ。


 次の担当者と時間を合わせられる日。


 確認できていない欄には、確認中、と入れた。


「引継ぎ相手の予定も、必要ですね」


 高瀬が言った。


「そうですね。辞める方の予定だけ空いていても、できませんので」


 三宅は部署への連絡文を作った。


 十一月末という一つの日付の手前に、いくつもの予定を置く必要があった。


     *


 夕方、西田のもとに、井上から更新した資料が届いた。


 手順を確認すれば交代できる作業には、候補が入っていた。


 一緒に調査する必要があるものには、時間を確保してほしいと書かれている。


 西田は、一課の予定と重ねた。


 来週の打ち合わせ。


 顧客への説明。


 岩田と担当者が一緒に入るレビュー。


 引継ぎ先を決められた仕事もあった。


 自分がしばらく支援する必要のあるものも残っていた。


 目の前の仕事を回すための予定は、少しずつ入っている。


 その先に、次の責任者を育てる時間も要った。


 誰かが代われるようになるまで、自分が見る。


 そう考えて埋めた予定が、一つではなくなっていた。


 西田は、画面の先の月へ移ろうとして、手を止めた。


 予定していた時期に、自分が抜ける。


 それまでに、今引き受けようとしている仕事を、もう一度渡さなければならない。


 仕事を覚えてもらうだけでは足りない。


 自分が同席せずに判断してもらい、その結果を確かめる時間まで必要だった。


 田村も、岩田も、その時間を一緒に支えてくれると思っていた。


 井上にも、自分の課を見ながら、新しい担当者を育てる仕事が増える。


 西田は椅子へ深く座った。


 今のままで、間に合うだろうか。


 そう考えたのは、初めてだった。


 金目へ話す言葉は、まだまとまらなかった。


 予定を延ばすと決めたわけでもない。


 西田は画面を来週へ戻した。


 井上と相談する時間を探す。


 空いているところへ、確認する案件名を入れた。


 自分が会社を離れる予定は、まだ動かさなかった。

お読みいただきありがとうございます。旭月です。


今回は、小川が次の仕事を選ぶまでと、その申し出を受けた井上たちの姿をお届けしました。


小川は、カナメで仕事を覚え、相談できる相手と出会い、開発との共同調査も経験しました。


その時間があったからこそ、次にどんな仕事をしたいのか、自分の言葉で確かめられるようになったのだと思います。


教えてもらったことが、会社に残る力になることもあれば、別の場所へ進む力になることもある。


井上にとっては、うれしさだけでは受け止められない選択だったでしょう。


それでも、小川がここで身につけたものを、次の仕事でも使ってくれればと思います。


そして、引き継ぐために仕事を振り返った小川は、自分が普段何を考え、何を確かめていたのかを、改めて言葉にし始めました。


一方、西田は、社員たちの引継ぎを考える中で、自分自身の予定にも目を向けることになります。


まだ、答えを出したわけではありません。


次の一週間も、仕事は続いていきます。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

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