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カナメ -君はどう考える?-  作者: 旭月
第五章 守りたいもの
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125/174

四人の名前

 2034年8月24日、木曜日。


 大阪・本町。


 株式会社カナメの開発部では、西田が開発二課の引き継ぎ状況を確認していた。


 会議室には、尾崎達也と上田拓海が座っている。


 九月末で退職する尾崎から、十月一日付で課長に就任する上田へ。


 その引き継ぎは、予定どおり進んでいた。


「……ほな、進捗を確認しようか」


 西田が言った。


「はい」


 上田が資料を開いた。


「現在の案件については、進捗確認と日常の判断を少しずつ担当しています」


「うん」


「顧客との打ち合わせも、尾崎さんに同席してもらいながら進めています」


 西田は、うなずいた。


     *


「……尾崎、どうや?」


 西田が尋ねた。


「順調やと思うで」


 尾崎は、少し笑った。


「まだ確認が必要なことはあるけど、日常の案件管理はだいぶ任せられるようになってきた」


「……そうか」


「上田も、わからんことをそのままにせんからな」


 西田は、上田を見た。


「……ええことやで」


「ありがとうございます」


「ただ、九月中旬には実務を一通り移したいから、引き続き頼むな」


「はい」


     *


「……ところで、上田」


 尾崎が言った。


「はい?」


「最近、メンバーと話しとるか?」


「……はい。岡元さんと中野君には、今後やってみたい仕事について聞いてみました」


「ほう」


「岡元さんは、設計の仕事をもう少し増やしたいそうです」


「……なるほど」


「中野君は、実装だけじゃなくて、テスト設計にも関わってみたいと」


 尾崎は、うなずいた。


「……ええやん」


     *


「……ただ」


 上田が続けた。


「はい?」


「今の案件との兼ね合いもあるので、すぐに全部希望どおりにはできないと思います」


 西田は、少し笑った。


「……それでええんよ」


「……はい」


「希望を聞くことと、全部かなえることは別やからな」


 上田は、うなずいた。


「……そうですね」


「でも、知らんまま配置を決めるよりは、ずっとええ」


 尾崎も、うなずいた。


     *


 会議を終えたあと。


 西田は、引き継ぎ計画を更新した。


 八月下旬。


 日常の案件判断を上田が担当。


 九月上旬。


 顧客窓口とメンバーの相談対応を移管。


 九月中旬。


 開発二課の日常運営を、上田が実質的に担当する。


 九月下旬。


 尾崎による最終確認。


 そして、十月一日。


 組織表の名前が変わるだけ。


 西田は、資料を閉じた。


 今のところ、大きな問題はなかった。


     *


 2034年8月25日、金曜日。


 午前十時。


 業務部では、三宅彩が退職手続きの一覧を確認していた。


 昨日、福原奈央の相談窓口を利用していた社員から、正式な退職の申し出があった。


 九月末での退職を希望している。


 直属上司への報告も済み、必要な手続きが始まっていた。


「……福原さん」


 三宅が声をかけた。


「はい」


「こちらの退職手続き、受け付けました」


「ありがとうございます」


「ご本人から、正式に連絡をいただいています」


「……承知しました」


     *


 三宅は、必要な手続きを確認した。


 退職希望日。


 有給休暇の取得予定。


 最終給与。


 社会保険の資格喪失手続き。


 そして、貸与品の返却。


 退職する社員が一人増えるたびに、業務部の仕事も増える。


 しかし、手続きを滞らせるわけにはいかなかった。


「……福原さん」


 三宅が言った。


「はい」


「相談窓口の記録は、こちらには移さなくて大丈夫です」


「……はい」


「正式な退職手続きに必要な情報だけ、管理しますので」


 福原は、うなずいた。


「ありがとうございます」


     *


「……しかし」


 三宅が少し考えた。


「はい?」


「退職の手続きが、少しずつ増えてきましたね」


 福原は、うなずいた。


「……そうですね」


「……まあ、いろいろ考える時期なんでしょうね」


「……はい」


 三宅は、資料へ目を戻した。


 相談窓口で何が話されたのか。


 それを聞くつもりはなかった。


 ただ、正式な手続きとして届いたものを、間違いなく処理する。


 それが、自分の仕事だった。


     *


 2034年8月28日、月曜日。


 午前十時。


 西田は、開発部の社員から面談の申し込みを受けていた。


 普段は開発案件の実装とテストを担当している社員だった。


 会議室へ入ってきた社員は、少し緊張した様子で席に座った。


「……お疲れさん。どうしたんや?」


 西田が尋ねた。


「……西田さん、今日はご相談がありまして」


「うん」


 社員は、一度息を整えた。


「……九月末で、退職させていただきたいと思っています」


 西田は、少し黙った。


「……そうか」


     *


「……理由、聞いてもええか?」


 西田が尋ねた。


「……はい」


「今回の会社の件が、きっかけになったんか?」


「……それもあります」


 社員は、少し考えた。


「ただ、以前から違う開発環境にも興味がありまして」


「……ほう」


「転職活動をしてみたら、希望していた仕事を任せてもらえることになりました」


 西田は、うなずいた。


「……そうか」


     *


「……正直、残ってもらえたらありがたいんやけどな」


 西田が言った。


「……ありがとうございます」


「でも、ちゃんと考えて決めたんやろ?」


「……はい」


「ほな、その気持ちは尊重したい」


 社員は、少し安心したようにうなずいた。


「……ありがとうございます」


「ただ、引き継ぎのことは相談させてな」


「もちろんです」


     *


 面談を終えたあと。


 西田は、開発部の人員配置表を開いた。


 尾崎の退職。


 上田への課長引き継ぎ。


 そして、今日新たに退職を申し出た社員。


 九月末に向けて、開発部の人数が減っていく。


 ただ、現時点では田村も井上もいる。


 上田への引き継ぎも順調だった。


 西田は、配置表を見直した。


 まだ、対応できる。


 そう判断していた。


     *


 午後二時。


 高瀬は、業務部から届いた退職予定者の一覧を確認していた。


 尾崎。


 八月十八日、金目との1on1で退職の意思を伝えた社員。


 八月二十三日、福原へ相談し、二十五日に正式な手続きへ進んだ社員。


 そして、今日、西田へ退職を申し出た社員。


 九月末の退職見込みは、四人となった。


 高瀬は、人数を確認した。


 現在の社員数。


 四十人。


 九月末の退職見込み。


 四人。


 十月以降の見込み。


 三十六人。


     *


 高瀬は、資料を保存した。


 まだ、全員の退職日が正式に確定したわけではない。


 しかし、今後の人員計画には反映する必要がある。


 高瀬は、金目へ連絡した。


「……金目さん、少しお時間よろしいでしょうか」


「はい。どうしました?」


「九月末の退職見込みについて、ご報告があります」


 金目は、顔を上げた。


「……何人ですか?」


「……四人です」


 金目は、少し黙った。


「……四人か」


 高瀬は、うなずいた。


「はい。現在の四十人から、三十六人になる見込みです」


 金目は、資料を受け取った。


 四人。


 その数字は、七月の資金繰り表で見ていた数字とは、まったく違う重さを持っていた。


 2034年8月29日、火曜日。


 午前十時。


 株式会社カナメの社長室では、金目と西田が向き合っていた。


 机の上には、九月末の退職予定者をまとめた資料が置かれている。


 四人。


 尾崎を含め、九月末で会社を離れる意向を示した社員の数だった。


「……四人か」


 金目が言った。


「……せやな」


 西田は、うなずいた。


「正直、思っとったより早いな」


「……うん」


「尾崎のことは、前からわかっとったけどな」


 西田は、資料を見直した。


「ほかにも、これだけ出てくるとは思わんかった」


     *


「……西田」


 金目が言った。


「何や?」


「開発部の方は、どうや?」


「……今のところは、何とかなると思う」


「……そうか」


「尾崎の引き継ぎは順調やし、上田もようやっとる」


「うん」


「ただ、ほかの退職者の担当案件もあるから、配置は見直さなあかんな」


 金目は、うなずいた。


「……せやな」


     *


「……金目」


 西田が続けた。


「何や?」


「退職する人のこと、どう考えとる?」


 金目は、少し考えた。


「……寂しいとは思うで」


「……うん」


「でも、みんな自分で考えて決めたことやろ」


「……せやな」


「会社の事情だけで、残ってくれとは言えへんよ」


 西田は、うなずいた。


     *


「……ただな」


 金目が続けた。


「何や?」


「残ってくれる人のことも、ちゃんと考えなあかんと思っとる」


「……うん」


「四人減ったからいうて、四人分の仕事をそのまま残った人に渡すわけにはいかへんやろ」


「……せやな」


「必要なら、受ける仕事を減らすことも考えよう」


 西田は、少し考えた。


「……そこまで考えとるんか」


「うん」


 金目は、資料へ目を戻した。


「社員を守るために会社を続けたんやからな」


     *


「……ほな、まずは」


 西田が言った。


「うん」


「九月末までに、引き継げる仕事と、引き継げへん仕事を整理するわ」


「お願いします」


「そのうえで、必要なら営業部とも調整する」


「……せやな」


「今の人数で無理な案件を引き受けても、結局また苦しくなるだけやからな」


 金目は、うなずいた。


「……頼むで」


     *


 午後、西田は人員配置表へ、九月末までに確認する仕事を書き出していた。


 田村も井上もいる。上田への支援も続ける。それでも、引き継げる仕事と引き継げない仕事は、分けておかなければならなかった。


     *


 2034年8月30日、水曜日。


 午後二時。


 開発二課では、岡元遥と中野航平が、案件の進捗を確認していた。


「……中野君、ここのテスト、どうなってる?」


 岡元が尋ねた。


「今、確認しています」


「……そっか」


 岡元は、資料を見直した。


「九月から、少し担当が変わるみたいやね」


「……そうですね」


「上田さんが、いろいろ調整してくれてるけど」


 中野は、少し考えた。


「……正直、ちょっと心配です」


     *


「……何が?」


 岡元が尋ねた。


「人が減っても、仕事の量は変わらへんのかなって」


「……せやな」


「上田さんも、課長になるんですよね」


「うん」


「……今までみたいに、いつでも相談できるんでしょうか」


 岡元は、少し考えた。


「……そこは、聞いてみようか」


 中野は、うなずいた。


     *


 しばらくして、上田が席へ戻ってきた。


「……上田さん」


 岡元が声をかけた。


「何や?」


「ちょっと相談してもいいですか?」


「ええよ」


 岡元は、中野と顔を見合わせた。


「……九月以降の体制のことなんですけど」


「うん」


「人が減ったら、今の仕事ってどうなるんでしょうか」


 上田は、少し考えた。


「……そこは、今整理しとるところやな」


「……正直」


 中野が言った。


「はい?」


「上田さんが課長になったら、今までみたいに相談できなくなるんちゃうかなって」


 上田は、少し驚いた顔をした。


「……そう思っとったんか」


「……はい」


 上田は、少し考えた。


「……全部、今までどおりとはいかんかもしれんな」


「……そうですよね」


「でも、相談できへんようにはしたくない」


 上田は、二人を見た。


「俺が対応できへんときは、ほかの人にも相談できるようにしたいと思っとる」


「……それと」


 上田が続けた。


「はい」


「仕事が増えすぎるようなら、ちゃんと言うてほしい」


 中野は、顔を上げた。


「……ええんですか?」


「もちろんや」


 上田は、少し笑った。


「課長になるからいうて、みんなの仕事を増やしたいわけちゃうからな」


 岡元も、少し笑った。


「……それは、ありがたいです」


「まだ、俺もわからんこと多いけどな」


 上田は、うなずいた。


「一緒に考えていこう」


     *


 その日の夕方。


 上田は、案件一覧を確認していた。


 今まで自分が担当していた仕事。


 尾崎から引き継ぐ仕事。


 そして、ほかの社員が担当している仕事。


 課長になることで、自分が見る範囲は確実に広がる。


 しかし、今日の岡元と中野の話を聞いて、上田は一つ気づいた。


 自分が課長になることを、周囲の社員も不安に思っている。


 上田は、予定表を開いた。


 九月からの相談体制について、尾崎と西田に確認しようと思った。


     *


 2034年8月31日、木曜日。


 午前十時。


 業務部では、高瀬と三宅が十月以降の資金繰り表を確認していた。


 九月末に退職を予定している四人。


 その人件費を反映した試算だった。


「……三宅さん」


 高瀬が言った。


「はい」


「十月以降の固定費について、もう一度確認したいと思います」


「承知しました」


 三宅は、資料を開いた。


     *


 退職予定者の給与。


 賞与引当。


 会社負担の社会保険料。


 そして、退職に伴う一時的な費用。


 三宅は、項目を一つずつ確認した。


「……高瀬さん」


「はい」


「十月以降、人件費は減る見込みですね」


「そうですね」


「ただし、引き継ぎに伴う外注費や、案件の調整による売上への影響は、まだ確定していません」


「……はい」


 高瀬は、うなずいた。


「そこは、別に見積もる必要があります」


     *


 高瀬は、資金繰り表を更新した。


 十月以降の給与支払い見込み。


 退職予定者の人件費。


 そして、残る社員の給与。


 固定費の見込みは、以前より下がっていた。


     *


「……高瀬さん」


 三宅が言った。


「はい」


「……数字だけ見ると、少し楽になりますね」


 高瀬は、資料を見た。


「……そうですね」


「……でも、喜べる話でもないですね」


「……はい」


 高瀬は、静かにうなずいた。


     *


 2034年9月1日、金曜日。


 午後二時。


 開発二課では、尾崎と上田が九月の引き継ぎ予定を確認していた。


「……上田、九月に入ったな」


「……そうですね」


「ここからは、日常の案件管理をもう少し任せるで」


「はい」


 上田は、資料を確認した。


 顧客との打ち合わせ。


 案件の進捗確認。


 メンバーの相談対応。


 そして、必要な判断。


 九月中旬までに、これらを一通り担当できるようにする予定だった。


     *


「……尾崎さん」


 上田が言った。


「何や?」


「正直、まだ確認したいことが結構あります」


「……そらあるやろ」


「でも、九月中旬までには、一人で回せるようにしたいです」


 尾崎は、うなずいた。


「……せやな」


「十月一日には、組織表の名前が変わるだけにしたいので」


 尾崎は、少し笑った。


「……西田さんの言うとったやつやな(笑)」


「はい(笑)」


     *


「……ただな、上田」


 尾崎が続けた。


「はい」


「課長になったからいうて、全部一人で決めなあかんわけちゃうで」


「……はい」


「相談することも、仕事のうちや」


 上田は、うなずいた。


「……わかりました」


「ほな、九月も頼むな」


「はい!」


     *


 午後五時。


 金目は、社長室で九月の人員見通しを確認していた。


 現在は四十人。九月末の四人の退職を見込むと、十月以降は三十六人になる。


 金目は、高瀬と確認した四人の名前を、もう一度見た。


     *


 金目は、一人ずつ名前を確認した。


 それぞれに、違う仕事があった。


 違う経験があった。


 そして、これから進もうとしている道があった。


 金目は、少し考えた。


 四人。


 会社にとっては、社員数の一割にあたる。


 しかし、四人それぞれにとっては、自分の人生の大きな決断だった。


     *


 金目は、資料を閉じた。


 社員が退職することを、会社の失敗だけで説明することはできない。


 本人の希望もあれば、家庭の事情もある。


 新しい仕事への挑戦もある。


 しかし、今回の経営危機が、その判断を早めたことも否定できなかった。


 金目は、窓の外を見た。


 九月。


 会社の資金繰りは、少しずつ改善している。


 上田への引き継ぎも、予定どおり進んでいる。


 それでも、会社を離れる人はいる。


 金目は、もう一度社員名簿を開いた。


 四十人。


 まだ、数字は変わっていない。


 しかし、会社はすでに、三十六人で働く準備を始めていた。

お読みいただきありがとうございます。旭月です。


今回は、九月末に退職を希望する四人の社員と、その後の体制を考え始めたカナメをお届けしました。


四十人の会社から、四人が離れる。


数字にすれば、社員の一割です。


しかし、その四人にはそれぞれの仕事があり、経験があり、これから進もうとしている道があります。


金目は、その選択を尊重しようとしています。


一方、残る社員たちにとっては、これまで一緒に働いてきた仲間が減るという現実があります。


上田は、新しい課長としての準備を進めながら、残るメンバーの負担についても考え始めました。


そして業務部では、人件費の減少が資金繰りに与える影響も見え始めています。


人が減ることで、会社の支出は減る。


しかし、失われるのは支出だけではありません。


会社を続けるために、何を守り、何を変えていくのか。


カナメは、また一つ難しい判断に向き合い始めています。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

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