それぞれの答え
2034年8月17日、木曜日。
大阪・本町。
株式会社カナメのオフィスには、少しずつ普段の賑わいが戻ってきていた。
お盆休みを終えた社員たちが出社し、各部署では休暇中に届いた連絡や、進行中の案件の確認が行われている。
まだ休暇を取っている社員もいたが、先週よりも席は埋まっていた。
開発二課では、午前十時から案件確認の打ち合わせが始まっていた。
進行役は、上田拓海だった。
*
「……ほな、始めましょうか」
上田が言った。
岡元遥と中野航平が、それぞれの資料を開いた。
尾崎達也も、少し離れた席に座っている。
十月一日付で課長に就任する予定の上田は、今月から日常の案件管理を少しずつ引き継ぎ始めていた。
今日は、尾崎が見守る中で、上田が会議を進めることになっていた。
「……まず、今週の進捗から確認します」
上田は、案件一覧を画面に表示した。
*
「……岡元さん、こちらの案件はどうですか?」
「はい。基本設計の確認は終わりました」
「ありがとうございます」
「ただ、お客様から追加の要望が一件届いています」
上田は、資料を確認した。
「……追加要望?」
「はい。既存の画面に、検索条件を一つ追加したいそうです」
「……なるほど」
上田は、少し考えた。
「技術的には、対応できそうですか?」
「はい。実装自体は難しくないと思います」
「……工数は?」
「まだ、正確には出していません」
*
「……ほな、まず工数を確認しましょうか」
上田が言った。
「はい」
「それと、今回の契約範囲に含まれるかどうかも確認したいです」
岡元は、うなずいた。
「……わかりました」
「今の工程に影響が出るようなら、追加見積もりや納期の調整も必要になると思うので」
「……そうですね」
上田は、資料へ一つ書き加えた。
追加要望。
契約範囲の確認。
工数見積もり。
そして、対応方針の決定。
*
中野の担当案件も確認したあと、打ち合わせは終了した。
岡元と中野が席を離れる。
尾崎は、上田へ声をかけた。
「……上田」
「はい」
「さっきの追加要望、何ですぐ受けへんかったん?」
上田は、少し考えた。
「……技術的にはできると思うんですけど」
「うん」
「今の契約でやってええことかどうかは、別やと思ったので」
尾崎は、うなずいた。
「……せやな」
*
「……それに」
上田が続けた。
「はい?」
「追加の作業を入れたら、今の工程に影響するかもしれませんし」
「……うん」
「ほかのメンバーの仕事も増えるので、先に確認した方がええと思いました」
尾崎は、少し笑った。
「……ええ判断やと思うで」
「ありがとうございます」
「ただ、確認した結果、追加費用をもらって対応する場合もあるからな」
「……はい」
「お客様にとっても、会社にとっても、納得できる形にせなあかん」
上田は、うなずいた。
*
「……しかし、上田」
尾崎が言った。
「はい?」
「会議の進め方、だいぶ慣れとるやん」
上田は、少し笑った。
「……まだ、緊張しますけどね」
「そらそうやろ(笑)」
「でも、やってみたら、自分が知らんことも結構あるなと思いました」
「……ほう」
「岡元さんも中野君も、自分の担当のことは僕より詳しいですし」
尾崎は、うなずいた。
「……それでええんよ」
「……そうなんですか?」
「課長が全部知っとる必要はないからな」
尾崎は、少し笑った。
「誰が何を知っとるか、わかっとったらええ」
上田は、少し考えた。
「……なるほど」
*
午後。
金目は、社長室で面談予定を確認していた。
八月八日から始めた、社員との1on1。
お盆休みの間は面談の数を減らしていたが、今日から再び予定が増えている。
営業部。
開発部。
業務部。
それぞれの社員が、違う話をしてくれた。
金目は、面談記録を確認した。
会社の将来への不安。
今後の仕事についての希望。
そして、経営状況の説明を求める声。
少しずつ、会社として考えるべきことが見えてきていた。
*
2034年8月18日、金曜日。
午前十時。
金目の会議室には、上田拓海が来ていた。
「……上田君、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「今日はありがとうございます」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
金目は、少し笑った。
「……課長、引き受けてくれたんやって?」
「……はい」
「ありがとうな」
上田は、少し照れたように笑った。
「……いえ。まだ、何もできていませんけど」
*
「……正直、どうですか?」
金目が尋ねた。
「……まだ、実感はないですね」
「……そらそうやろ(笑)」
「でも、やってみたいと思っています」
金目は、うなずいた。
「……ええやん」
「ただ、開発の仕事は続けたいです」
「うん」
「自分で手を動かすことも、好きなので」
金目は、少し考えた。
「……それは、大事にしてほしいな」
*
「……上田君」
金目が言った。
「はい」
「課長になるからいうて、急に全部できるようになるわけちゃうからな」
「……はい」
「それに、管理職になったら開発を全部やめなあかん、いう話でもないと思っています」
「……そうなんですね」
「うん。ただ、今までと同じだけ開発して、課長の仕事も全部やるんは無理やで(笑)」
上田は、少し笑った。
「……確かに(笑)」
*
「……せやから」
金目が続けた。
「はい」
「上田君が仕事を進めるために必要なものは、ちゃんと用意せなあかんなと思っています」
「……必要なもの、ですか?」
「うん。判断するための情報とか、相談できる相手とか、必要な権限とか」
金目は、少し笑った。
「……武器を持たんまま、戦え言われても困るやろ?」
上田は、うなずいた。
「……そうですね」
「せやから、困ったらちゃんと言うてな」
「……ありがとうございます」
*
「……それと」
金目が続けた。
「はい」
「二課の皆さんが、どういう仕事をしたいと思っとるかも、聞いてみてほしいんよ」
「……メンバーの希望、ですか?」
「うん。上田君が開発を続けたいと思っとるように、みんなそれぞれ考えとるやろ」
上田は、少し考えた。
「……そうですね」
「もちろん、全部希望どおりにはできへんと思う」
「はい」
「でも、知らんまま仕事を割り振るよりは、聞いたうえで考えた方がええと思うんよ」
上田は、うなずいた。
「……わかりました」
*
面談を終えたあと。
上田は、自席へ戻った。
課長になる。
そのことを、少しずつ実感し始めていた。
自分が開発を続けたいと思っているように、岡元や中野にも、それぞれの希望がある。
今までは、自分の担当する仕事をどう進めるかを考えていた。
これからは、ほかの人がどう働きたいのかも考える必要がある。
上田は、予定表を開いた。
来週、岡元と中野に少し話を聞いてみようと思った。
*
午後二時。
金目は、次の面談者を迎えていた。
開発部の社員だった。
普段は担当案件の開発業務を進めており、金目と直接話す機会は多くない。
「……お疲れさまです」
「お疲れさまです。今日はありがとうございます」
社員は、椅子に座った。
少し緊張した様子だった。
「……社長、今日は少しお話ししたいことがありまして」
「はい。何でしょう?」
社員は、少し姿勢を正した。
「……実は、転職先が決まりました」
金目は、顔を上げた。
「……そうですか」
*
「……九月末で退職させていただきたいと思っています」
金目は、少し黙った。
「……そうか」
そして、うなずいた。
「……まずは、内定おめでとうございます」
社員は、少し驚いた顔をした。
「……ありがとうございます」
「……今回の会社の件が、きっかけですか?」
金目が尋ねた。
「……はい。それは、あります」
「……せやろな」
*
「……ただ、今の会社が嫌になったわけではないんです」
社員が続けた。
「うん」
「転職活動をしてみたら、以前から興味のあった仕事を任せてもらえることになって」
社員は、少し考えた。
「……それで、挑戦してみたいと思いました」
金目は、うなずいた。
「……ええと思いますよ」
「……社長」
「はい」
「正直、どう伝えようか迷っていました」
「……そうですよね」
「でも、今回こういう面談を設けていただいたので」
社員は、少し笑った。
「……ちゃんと、自分からお伝えしようと思いました」
*
金目は、少し黙った。
「……ありがとうございます」
「……いえ」
「話してくれて、うれしいです」
社員は、少し驚いた顔をした。
「……うれしい、ですか?」
金目は、うなずいた。
「辞めることがうれしいわけちゃいますよ(笑)」
「……はい」
「でも、言いにくいことやと思うんです」
金目は、少し笑った。
「それを、ちゃんと自分から話してくれたんは、ありがたいなと思って」
社員は、少し表情を和らげた。
*
「……ただし」
金目が続けた。
「はい」
「正式な退職手続きについては、担当の方とも確認してくださいね」
「もちろんです」
「引き継ぎについても、無理のない形で進めましょう」
「……ありがとうございます」
金目は、少し笑った。
「次の会社でも、頑張ってください」
「……はい!」
*
面談を終えたあと。
金目は、しばらく席に座っていた。
また一人、会社を離れる。
もちろん、寂しくないわけではない。
しかし、社員が自分の将来を考えて、新しい道を選んだことも事実だった。
金目は、ノートを開いた。
そして、本人が了承した範囲で、退職手続きについての連絡事項を整理した。
2034年8月21日、月曜日。
午後六時半。
田村洋介は、自宅で一通のメッセージを確認していた。
差出人は、以前一緒に仕事をしたことのある知人だった。
『久しぶりです。今、開発組織のマネジメントができる方を探しているんですが、もし興味があれば一度お話ししませんか』
田村は、画面を見つめた。
開発組織のマネジメント。
それだけなら、今のカナメでも担当している。
しかし、続く説明には、技術支援や開発実務にも関われると書かれていた。
田村は、少し考えた。
*
八月十六日。
夏季休暇中に、家族から会社の今後について尋ねられた。
次の給与も、本当に大丈夫なのか。
もし、また同じことが起きたらどうするのか。
そのとき、田村は明確に答えられなかった。
会社の状況は改善している。
仕事も、以前より面白くなってきた。
上田が課長になることも決まり、自分も支えるつもりでいる。
それでも、今後のことを考えないままでよいのか。
田村は、もう一度メッセージを読んだ。
*
しばらくして、返信を入力した。
『ご連絡ありがとうございます。すぐに転職を考えているわけではありませんが、仕事内容について一度お話を伺えればと思います』
送信する。
田村は、画面を閉じた。
まだ、何かを決めたわけではない。
ただ、選択肢を一つ確認してみようと思っただけだった。
*
2034年8月22日、火曜日。
午後二時。
基盤運用課では、小川悠斗が運用改善の結果をまとめていた。
以前から調査していた、一部処理の応答時間の増加。
追加ログの設定によって、原因を絞り込めるようになっていた。
小川は、井上修一と藤井へ資料を共有した。
「……今回の改善について、報告します」
「おお。頼むわ」
井上が答えた。
*
「まず、追加したログによる処理への影響は、確認されていません」
「うん」
「それから、応答時間が増加したときの条件を整理しました」
小川は、画面を切り替えた。
「現時点では、この処理が原因の可能性が高いと考えています」
藤井が、資料を確認した。
「……なるほど」
「ただ、まだ再現条件を完全には特定できていません」
「……そうですね」
「なので、次の確認では、こちらの条件を重点的に調べたいと思っています」
井上は、うなずいた。
「……ええと思うで」
*
「原因を決めつけずに、確認できることから進めよう」
「はい」
小川は、うなずいた。
藤井も、資料を見直していた。
「……小川君、今回の調査、よく整理できていますね」
「ありがとうございます」
「以前なら、私たちが確認項目を決めていたところも、今回は自分で考えられています」
小川は、少し照れたように笑った。
「……まだ、わからないことも多いですけど」
「それでええんよ」
井上が答えた。
「わからんことを、どう調べるか考えられるようになったんやから」
*
報告を終えたあと。
小川は、井上と藤井に声をかけた。
「……あの、もう一つ相談してもいいですか?」
「おお。何や?」
「今後の仕事のことなんですけど」
井上は、椅子を引いた。
「……うん。聞こうか」
小川は、少し考えた。
「最近、障害の原因を調べていると、設計や実装のことも、もっと知りたいと思うようになりまして」
「……ほう」
「運用の仕事が嫌になったわけじゃないんです」
「うん」
「ただ、問題が起きたあとに調べるだけじゃなくて、問題が起きにくい仕組みを作るところにも関わってみたいんです」
*
井上は、うなずいた。
「……なるほどな」
藤井も、少し考えた。
「開発や設計にも、関わってみたいということですね」
「はい」
「……ええと思いますよ」
藤井が答えた。
「ただ、今の運用業務もありますから、すぐに担当を変えるのは難しいかもしれません」
「……それは、わかっています」
小川は、うなずいた。
「全部変えてほしいというわけではないんです」
「……ほな」
井上が言った。
「まずは、開発側と一緒に調査する案件から始めてみるか?」
小川は、顔を上げた。
「……ええんですか?」
「うん。西田とも相談せなあかんけどな」
「ありがとうございます」
*
「……ただし、小川」
井上が続けた。
「はい」
「今の仕事を全部抱えたまま、開発の仕事まで増やすんはあかんで」
小川は、少し笑った。
「……はい」
「何か増やすなら、何か減らさなあかん」
「……そうですね」
「そこは、俺らの仕事やからな」
藤井も、うなずいた。
「まずは、どんな仕事に関わりたいか整理してみましょう」
「わかりました」
*
小川は、自席へ戻った。
小川は、今後挑戦してみたい仕事を、メモに書き出し始めた。
*
2034年8月23日、水曜日。
午後二時。
株式会社カナメの業務部では、福原奈央が相談窓口の予定を確認していた。
今日も、一件の個別相談が入っている。
相談内容は、事前には詳しく書かれていなかった。
福原は、会議室へ向かった。
しばらくして、社員が入ってきた。
「……お疲れさまです」
「お疲れさまです。今日はありがとうございます」
福原は、少し笑った。
「どうぞ、座ってください」
*
「……あの、福原さん」
「はい」
「退職の手続きについて、教えていただきたいんです」
福原は、うなずいた。
「……承知しました」
「実は、転職先から内定をいただきまして」
「……そうなんですね」
「はい。九月末で退職したいと考えています」
福原は、少し考えた。
「まずは、内定おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
*
「……ただ」
社員が続けた。
「はい」
「まだ、上司には話していないんです」
「……そうなんですね」
「どういう順番で話せばいいのかわからなくて」
福原は、うなずいた。
「では、まず手続きの流れをご説明しますね」
福原は、退職に関する案内資料を開いた。
直属上司への意思表示。
退職希望日の調整。
引き継ぎ。
そして、必要な書類の提出。
社員は、一つずつ確認した。
*
「……福原さん」
社員が尋ねた。
「はい」
「今日ここで相談したことって、社長や上司に伝わるんでしょうか」
福原は、首を横に振った。
「ご本人の同意なく、相談内容をそのまま共有することはありません」
「……そうですか」
「ただし、正式な退職手続きを進める段階では、必要な方へ伝えることになります」
「……はい」
「そのときは、どなたに、どのような内容を伝えるか、一緒に確認しましょう」
社員は、少し安心したようにうなずいた。
*
「……正直、会社には感謝しているんです」
社員が言った。
「はい」
「七月も、給料を払うために社長たちが頑張ってくれていたのは知っています」
「……そうですね」
「だから、今辞めるって言うのが、少し申し訳なくて」
福原は、少し考えた。
「……そう感じるのは、自然なことだと思います」
「……はい」
「ただ、会社への感謝と、ご自身の将来をどう選ぶかは、別のことですから」
社員は、顔を上げた。
「……そうですね」
*
「……退職を決められた理由は、聞いてもいいですか?」
福原が尋ねた。
「……はい」
社員は、少し考えた。
「今回の経営危機が、きっかけになったのは確かです」
「……はい」
「でも、転職活動をしているうちに、今とは違う仕事にも挑戦してみたいと思うようになって」
「……なるほど」
「それで、内定をいただいた会社へ行こうと決めました」
福原は、うなずいた。
「……わかりました」
*
「……ほな、まずは直属の上司に相談してみます」
社員が言った。
「はい」
「そのあと、必要な手続きについて、また相談してもいいですか?」
「もちろんです」
福原は、少し笑った。
「いつでも声をかけてください」
「……ありがとうございます」
社員は、頭を下げた。
*
相談を終えたあと。
福原は、相談記録を整理していた。
七月までは、給与や会社の経営状況についての相談が多かった。
しかし、八月に入ってからは、少しずつ内容が変わってきている。
今後のキャリア。
転職活動。
そして、退職手続き。
まだ、正式な退職者数として表れていない相談もある。
福原は、記録を保存した。
相談窓口で聞いた話を、本人の同意なく経営陣へ伝えることはしない。
それが、この窓口の大切な約束だった。
しかし、会社の中で何かが変わり始めていることは、福原自身も感じていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、八月後半のカナメをお届けしました。
十月からの課長就任に向けて、少しずつ仕事を引き継ぎ始めた上田。
新しい仕事の可能性に触れた田村。
運用だけでなく、設計や開発にも挑戦してみたいと考え始めた小川。
そして、金目との1on1で、自ら退職の意思を伝えた社員もいました。
会社の経営危機は、社員たちが自分の将来について考えるきっかけにもなっています。
金目にとって、退職の報告は決してうれしいものではありません。
それでも、言いにくいことを直接伝えてもらえたことには、感謝していました。
会社を続けることと、社員がそこに残り続けることは、必ずしも同じではありません。
それぞれが考え、それぞれの答えを出していく。
その選択を、会社はどう受け止めていくのか。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




