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カナメ -君はどう考える?-  作者: 旭月
第五章 守りたいもの
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123/173

それぞれの夏

 2034年8月7日、月曜日。


 午後一時。


 大阪・本町。


 株式会社カナメの社長室では、金目が八月の資金繰り表を確認していた。


 今朝、五百万円の融資が実行された。


 七月二十五日の給与支払いも、予定どおり完了している。


 もちろん、会社の経営が完全に安定したわけではない。


 八月以降も給与や外注費の支払いは続くし、借り入れた資金には返済義務がある。


 それでも、七月のように金融機関を一日に何件も回らなければならない状況は、ひとまず落ち着いていた。


 金目は、予定表を開いた。


 明日。


 明後日。


 その先の予定。


 久しぶりに、まとまった空き時間があった。


     *


 金目は、しばらく画面を見ていた。


 六月上旬。


 主要取引先の法的整理が判明してから、会社の資金繰りは急激に厳しくなった。


 社員たちには何度も状況を説明した。


 質問にも答えてきた。


 しかし、一人ひとりと落ち着いて話す時間は、ほとんど取れていなかった。


 金目は、社内の社員名簿を開いた。


 四十人。


 そのうち、尾崎は九月末で退職する予定だった。


 ほかの社員たちは、今、何を考えているのだろう。


 七月の給与支払いについて、まだ不安を抱えている人もいるかもしれない。


 会社に残ることを決めている人もいれば、別の道を考えている人もいるだろう。


 金目は、少し考えた。


 そして、高瀬へ連絡した。


     *


「……高瀬さん、少しええですか」


「はい」


「銀行さんの方、これで少し落ち着きましたね」


「そうですね。緊急の資金調達については、一段落したと思います」


「ありがとうございます」


 金目は、予定表を示した。


「……ほな、そろそろ社員の話を聞かせてもらおうかな」


 高瀬は、顔を上げた。


「……社員の皆さんですか?」


「うん。四十人おるし、一人ずつ」


「……全社員との個別面談、ということでしょうか」


「はい」


     *


「……何か、確認されたいことがあるんでしょうか」


 高瀬が尋ねた。


 金目は、少し笑った。


「いや、気になることだらけやで(笑)」


「……そうですか」


「ここ二か月、銀行さんとはよう話したけど、社員とはあんまり話せてへんかったからな」


 金目は、社員名簿へ目を戻した。


「……ずっと気になっとったんよ」


 高瀬は、黙って聞いていた。


「会社のこと、どう思っとるんやろとか」


「はい」


「これから、どんな仕事をしたいんやろとか」


「……そうですね」


「せやから、一回ちゃんと話を聞きたいんです」


     *


「……承知しました」


 高瀬が言った。


「面談は、いつ頃から始めますか?」


「できれば、明日から」


「……明日ですか?」


「うん」


 金目は、少し笑った。


「時間、空いとるからな(笑)」


 高瀬も、わずかに笑った。


「……では、希望される方から順に調整しましょう」


「お願いします」


「一人三十分程度でよろしいでしょうか」


「はい。必要なら延長してもええです」


「承知しました」


     *


「……それと、高瀬さん」


「はい」


「評価面談とは分けておきたいんです」


「……はい」


「何かを聞き出したいわけやないし、残るか辞めるかを確認したいわけでもないので」


 金目は、少し考えた。


「社員が話したいことを、まずは聞きたいんよ」


 高瀬は、うなずいた。


「では、参加は希望制とし、話したくないことは話さなくてよいと明記します」


「お願いします」


「また、面談内容の共有範囲についても、本人の意向を確認する形にしましょう」


「それでお願いします」


     *


 午後三時。


 株式会社カナメの全社員へ、一通の社内通知が届いた。


 差出人は、金目だった。


 件名は、社員の皆さんとの個別面談について。


     *


『社員の皆さん


 お疲れさまです。金目です。


 六月以降、会社の経営状況について、皆さんには多くのご心配をおかけしてきました。


 七月の給与支払いを無事に終え、資金繰りについても少しずつ改善が進んでいます。


 これまで私は、金融機関との交渉や資金調達を優先してきたため、皆さん一人ひとりとお話しする時間を十分に取れていませんでした。


 そこで、明日八月八日から、希望される社員の皆さんと順番に個別面談を行いたいと思います。


 面談は一人三十分程度を予定しています。


 評価面談ではありませんので、普段の仕事で感じていること、今後挑戦してみたいこと、会社について気になっていることなど、自由にお話しいただければと思います。


 もちろん、特に話したいことがなくても構いませんし、答えたくないことを無理にお話しいただく必要もありません。


 面談で伺った内容は、必要な対応につなげるため、共有範囲を確認したうえで取り扱います。


 皆さんがこれからも安心して働ける会社にするため、まずは私自身が、皆さんの声を聞きたいと考えています。


 よろしくお願いいたします。


 金目』


     *


 開発二課では、岡元遥が通知を開いていた。


「……社長から、1on1の案内が来ましたね」


 中野航平も、画面を確認した。


「……ほんまですね」


「評価面談ではないって書いてありますけど」


「……何話したらええんでしょうね」


 岡元は、少し考えた。


「……普段、社長と話す機会ってあんまりないですからね」


「そうですね」


 中野は、隣の席へ目を向けた。


「……上田さんは、どうします?」


     *


「……俺?」


 上田拓海が顔を上げた。


「はい。1on1」


「……そうやな」


 上田は、通知を確認した。


「せっかくやし、申し込もうかな」


「……何話すんですか?」


「……今後の仕事のことかな」


 岡元が、少し笑った。


「……何か、やりたいことあるんですか?」


「まあ、いろいろな(笑)」


 上田は、画面を閉じた。


 このとき、上田はまだ知らなかった。


 翌々日、自分が開発二課の次期課長として打診を受けることを。


     *


 同じ通知は、ほかの部署にも届いていた。


 営業部では、大本恭平が、金目との面談で何を話そうか考えていた。


 新しい案件のこと。


 今後の営業のこと。


 そして、自分がこれから挑戦してみたい仕事。


 聞いてみたいことは、いくつもあった。


 一方、通知を読んだまま、申し込みをためらう社員もいた。


 会社のことは気になっている。


 しかし、社長に何を話せばよいのか、まだ整理できていない。


 別の社員は、面談の案内を閉じた。


 今は、まだ話すつもりがなかった。


     *


 2034年8月8日、火曜日。


 午前十一時。


 金目は、会議室で最初の面談者を待っていた。


 机の上には、ノートと飲み物が置かれている。


 評価シートは、用意していなかった。


 しばらくして、扉がノックされた。


「……失礼します」


「どうぞ」


 金目は、顔を上げた。


「……お疲れさまです。今日はありがとうございます」


 最初の面談者は、営業部の社員だった。


 普段は顧客との打ち合わせや提案資料の作成を担当している。


 金目とは、全社員集会で顔を合わせることはあっても、二人きりで話す機会はほとんどなかった。


「……よろしくお願いします」


「そんなに構えんでええですよ(笑)」


 金目は、少し笑った。


「今日は評価面談ではないので、思っていることを聞かせてもらえたらと思っています」


     *


「……最近、仕事の方はどうですか?」


 金目が尋ねた。


「少しずつ、新しいお客様との話が増えてきました」


「ほう。それはありがたいですね」


「ただ、六月から七月は、正直仕事に集中できない日もありました」


「……せやろな」


「お客様との打ち合わせをしていても、来月この会社がどうなっているんだろうって考えてしまって」


 金目は、うなずいた。


「……そうですよね」


「……すみません」


「謝ることちゃいますよ」


 金目は、首を横に振った。


「むしろ、そんな状況でも仕事を続けてくれて、ありがとうございます」


     *


「……今は、どうですか?」


「少し安心しました」


「はい」


「でも、営業目標が急に厳しくなるんじゃないかって、心配しています」


 金目は、顔を上げた。


「……なるほど」


「会社が大変なのはわかっています。でも、無理な数字を追いかけるようになったら、今までと仕事のやり方が変わってしまう気がして」


「……それは、もっともな心配やと思います」


 金目は、少し考えた。


「今のところ、採算の合わない仕事まで取ってくるつもりはありません」


「……そうなんですね」


「うん。売上だけ増えても、会社が苦しくなったら意味ないですから」


 社員は、少し表情を和らげた。


     *


「……ほかに、何かありますか?」


 金目が尋ねた。


「……いえ。今日はお話しできてよかったです」


「こちらこそ、ありがとうございます」


 社員は、少し笑った。


「……また、こういう機会があるとうれしいです」


「……そうですね」


 金目は、うなずいた。


「一回きりにはせんようにしたいですね」


     *


 面談を終えたあと。


 金目は、ノートを開いた。


 営業目標への不安。


 採算を重視した営業方針。


 そして、経営状況について継続的な説明を求める声。


 金目は、本人が共有を了承した事項だけを、対応事項として整理した。


 最初の面談は、思っていたよりも前向きなものだった。


 社員が何を心配しているのか。


 それを聞くだけでも、会社として考えるべきことが見えてくる。


     *


 午後二時。


 二人目の面談者は、開発部の若手社員だった。


「……社長、ちょっと聞いてもいいですか?」


「もちろんです」


「これから、開発部の体制って変わるんでしょうか」


 金目は、うなずいた。


「尾崎君が退職する予定なので、二課の体制は見直しています」


「……そうですよね」


「ただ、今の仕事が止まらないように、西田たちと引き継ぎを進めています」


 社員は、少し考えた。


「……それは安心しました」


     *


「……でも」


 社員が続けた。


「はい」


「今後も人が辞めたら、残った人の仕事って増えるんですよね」


 金目は、すぐには答えなかった。


「……可能性はあります」


「……そうですよね」


「ただ、人数が減ったからといって、同じ仕事を全部残った人に任せるつもりはありません」


「……はい」


「必要なら、仕事の進め方や受ける案件も見直します」


 社員は、うなずいた。


     *


「……社長」


「はい」


「自分は、もう少し開発の経験を積みたいと思っています」


「……ええですね」


「でも、人が減ったら、今の仕事を回すだけで精いっぱいになるんじゃないかって」


 金目は、少し考えた。


「……その心配は、ちゃんと受け止めたいです」


「……はい」


「今ここで、絶対にそうならないとは約束できません」


 金目は、続けた。


「でも、社員が成長する時間まで削って会社を続けても、長くは続かへんと思っています」


 社員は、少し顔を上げた。


「……ありがとうございます」


     *


 面談を終えたあと。


 金目は、ノートへ一つ書き加えた。


 ――人員減少時の業務負荷と育成機会。


 まだ、尾崎以外の退職は正式に決まっていない。


 しかし、社員たちはすでに、その先のことを心配していた。


     *


 2034年8月9日、水曜日。


 午後三時。


 三人目の面談者は、業務部の社員だった。


 普段は請求書の確認や、取引先との事務連絡を担当している。


「……最近、どうですか?」


 金目が尋ねた。


「……正直、まだ少し怖いです」


「……怖い?」


「はい。また給与が払えなくなるんじゃないかって」


 金目は、うなずいた。


「……そうですよね」


     *


「七月は、社長も高瀬さんも三宅さんも、ずっと動いてくださっていました」


「……はい」


「でも、次に同じことが起きたら、また何とかなるんでしょうか」


 金目は、少し考えた。


「……同じ方法で乗り越えられるとは限りません」


 社員は、黙って聞いていた。


「せやから、今度は事前に備えたいと思っています」


「……備える?」


「はい。手元資金を確保したり、銀行さんとの関係を続けたり」


 金目は、少し笑った。


「……今回、傘が必要になってから借りようとして、えらい苦労しましたから」


 社員も、少し笑った。


     *


「……ただ」


 金目が続けた。


「はい」


「今すぐ絶対に安心してくださいとは、言えません」


「……そうですよね」


「でも、同じことを繰り返さんために、できることは進めます」


 社員は、うなずいた。


「……ありがとうございます」


 金目は、少し考えた。


「……逆に、会社にこうしてほしいということはありますか?」


「……そうですね」


 社員は、少し間を置いた。


「悪い話でも、早めに教えてほしいです」


 金目は、うなずいた。


「……わかりました」


 社員は、少し安心したように息を吐いた。


「……ありがとうございます」


「いえ。こちらこそ、話してくれてありがとうございます」


 金目は、少し考えた。


「……今回も、もっと早くお伝えできたことがあったと思っています」


「……はい」


「ただ、確認できていないことまで、確かな話として伝えるわけにもいかへんので」


 金目は、続けた。


「わかっていることと、まだわからないこと。その二つを分けて、できるだけ早くお伝えするようにします」


 社員は、うなずいた。


「……それなら、ありがたいです」


     *


 面談を終えたあと。


 金目は、ノートを開いた。


 ――悪い情報も、早めに共有してほしい。


 その下に、もう一つ書き加えた。


 ――未確定事項も、未確定であることを伝える。


 七月の全社員説明会では、何度も数字を確認し、社員へ報告してきた。


 しかし、社員たちが求めていたのは、数字だけではなかった。


 何が起きているのか。


 会社は、何を考えているのか。


 そして、自分たちの生活に、どんな影響があるのか。


 金目は、ノートを閉じた。


     *


 その日の夕方。


 金目は、ここまでの面談記録を確認していた。


 金目は、ノートを閉じた。


 社員の不安は、会社の資金繰り表には載っていない。


 しかし、会社を続けるためには、無視できないものだった。


     *


 2034年8月10日、木曜日。


 午後四時。


 金目は、数日間の面談記録を整理していた。


 面談を希望した社員の中には、会社の今後について具体的な質問をする人もいた。


 今の仕事を続けたいと話す人。


 新しい仕事に挑戦したいと話す人。


 そして、まだ自分の将来を決められないと話す人。


 誰もが、同じ答えを持っているわけではなかった。


 金目は、面談記録を読み返した。


 それぞれの言葉を、本人が共有を了承した内容と、面談の中だけに留める内容に分けている。


 会社として対応すべきことも、少しずつ見えてきた。


 しかし、面談をしたからといって、すぐに答えが出るわけではない。


     *


 そこへ、西田がやってきた。


「……金目、最近ずっと面談しとるな」


「せやで」


「……四十人全員か?」


「希望してくれた人から、順番にな」


 西田は、少し笑った。


「……大変やろ」


「いや、結構おもろいで」


「……何がや?」


「みんな、それぞれ考えとるんやなと思って」


 西田は、少し笑った。


「……そらそうやろ」


 金目も、笑った。


「……せやな」


     *


「……でもな、西田」


 金目が続けた。


「何や?」


「ここ二か月、会社をどうやって続けるかばっかり考えとったやろ」


「……せやな」


「でも、社員がこの会社で何をしたいかまでは、あんまり聞けてへんかったんよ」


 西田は、うなずいた。


「……そうか」


「営業部の人は、これからの目標を心配しとったし」


「うん」


「開発部の人は、もっと技術を身につけたいって話してくれた」


「……ええやん」


「業務部の人からは、悪い話も早めに伝えてほしいって言われた」


 西田は、少し考えた。


「……どれも、もっともな話やな」


「せやろ」


     *


「……で、金目」


 西田が尋ねた。


「何や?」


「何か、変えるつもりなんか?」


 金目は、少し考えた。


「……変えなあかんことは、あると思う」


「うん」


「でも、話を聞いたからいうて、すぐ全部変えるんは違うやろ」


「……せやな」


「まず、何が問題なんか整理したいんよ」


 金目は、ノートを指した。


「それで、会社としてできることと、今はできへんことを分ける」


「……なるほどな」


「できへんことまで、できる言うたらあかんしな」


 西田は、うなずいた。


     *


「……しかし、金目」


 西田が言った。


「何や?」


「ほんま、ようやく社員と話す時間が戻ってきたな」


 金目は、少し笑った。


「……せやな」


「七月なんか、ほとんど銀行におったもんな」


「ほんまやで(笑)」


「……疲れたやろ」


「まあ、ちょっとな」


 金目は、苦笑した。


「でも、社員の話聞いとる方がおもろいわ」


 西田も、笑った。


「……そら、よかったな」


     *


 西田が去ったあと。


 金目は、次の面談予定を確認した。


 来週以降も、希望者との面談が続く。


 まだ、全員の話を聞けたわけではない。


 そして、話を聞いたからといって、すべての不安を解消できるわけでもなかった。


 それでも、金目は続けようと思っていた。


 社員が何を考えているのか。


 会社に何を求めているのか。


 そして、これからどんな仕事をしていきたいのか。


 その一つひとつを、今度は見落としたくなかった。


     *


 2034年8月14日、月曜日。


 お盆休みの時期に入り、株式会社カナメのオフィスは普段より静かだった。


 カナメは、全社一斉の夏季休業ではない。


 社員たちは、それぞれの都合に合わせて休暇を取得していた。


 営業部では、顧客との打ち合わせ予定が少なくなっている。


 開発部でも、休暇中の社員が多かった。


 一方、基盤運用課では、顧客システムの稼働を守るため、交代で勤務を続けていた。


     *


 午前十時。


 小川悠斗は、監視システムの画面を確認していた。


 先週、井上と藤井に相談した追加ログの設定。


 必要な項目だけに絞り、処理への影響を確認したうえで、監視項目を追加していた。


 小川は、記録されたデータを確認した。


 応答時間。


 処理件数。


 そして、遅延が発生した時間帯の負荷状況。


 以前より、原因を調べるための情報が増えていた。


     *


「……小川、どうや?」


 井上修一が声をかけた。


「今のところ、追加したログによる影響は出ていません」


「ほう」


「前回の遅延についても、原因の候補をもう少し絞れそうです」


「……ええやん」


 井上は、資料を確認した。


「藤井にも共有したか?」


「はい。昨日までに確認してもらっています」


「了解」


 井上は、うなずいた。


「ほな、そのまま進めてくれ」


「はい」


     *


 小川は、資料へ目を戻した。


 入社したばかりの頃は、わからないことがあるたびに、先輩へ確認していた。


 今でも、わからないことはある。


 しかし、何を調べれば判断できるのか。


 どこまで自分で確認し、どこから相談するべきなのか。


 以前より、少しずつわかるようになっていた。


 小川は、調査結果をまとめ、井上へ共有した。


     *


「……そういや、小川」


 井上が言った。


「はい?」


「夏休み、来週やったな」


「はい。来週いただく予定です」


「……ちゃんと休めよ」


 小川は、少し笑った。


「ありがとうございます」


「今週は人も少ないし、無理せんようにな」


「はい」


 井上は、自席へ戻っていった。


 小川は、もう一度監視画面を確認した。


 顧客のシステムは、今日も動いている。


 誰かが休んでいても、仕事が止まらないようにする。


 それも、今の自分に任されている仕事だった。


     *


 2034年8月16日、水曜日。


 午後三時。


 田村洋介は、家族と自宅で過ごしていた。


 夏季休暇を取得していたため、今日は会社へ行く予定はなかった。


 七月は、会社の資金繰りについて何度も説明を受けた。


 給与が予定どおり支払われるかどうかも、直前までわからなかった。


 それでも、七月二十五日の給与は無事に支払われた。


 八月に入ってからは、追加融資も実行されている。


 会社の状況は、少しずつ改善していた。


     *


「……なあ」


 家族が声をかけた。


「何や?」


「会社、最近どうなん?」


 田村は、少し考えた。


「……前よりは、ようなっとると思うで」


「……そうなん?」


「うん。給料もちゃんと出たし、銀行からも追加で借りられたらしい」


 家族は、うなずいた。


「……それは、よかったな」


「せやな」


     *


「……でも」


 家族が続けた。


「何や?」


「次の給料も、大丈夫なん?」


 田村は、すぐには答えなかった。


「……前よりは、安心できると思う」


「……思う、なんや」


「……せやな」


 田村は、少し苦笑した。


「会社のこと、全部わかっとるわけちゃうからな」


 家族は、うなずいた。


     *


「……転職とか、考えてへんの?」


 家族が尋ねた。


 田村は、少し驚いた顔をした。


「……急に何や(笑)」


「いや、今の会社が嫌やいう話ちゃうねんけど」


「うん」


「もしまた同じことがあったら、どうするんかなと思って」


 田村は、少し考えた。


「……今のところ、具体的には考えてへんよ」


「……そうなんや」


「仕事自体は、おもろいしな」


「うん」


「最近、また開発に関わる時間も増えてきたし」


 田村は、少し笑った。


「若い連中と一緒に仕事するんも、悪ないで」


     *


「……ほな、今の会社に残りたいん?」


 家族が尋ねた。


 田村は、少し黙った。


「……そうやな」


 そして、続けた。


「今は、そう思っとる」


 家族は、うなずいた。


「……そっか」


「うん」


 田村は、少し考えた。


「でも、これから先のことは、ちゃんと考えなあかんな」


「……せやな」


     *


 田村は、窓の外を見た。


 夏の午後。


 会社では、今日も誰かが仕事をしている。


 尾崎は、九月末で退職する予定だった。


 上田は、その後任として課長になることを引き受けた。


 田村自身も、上田を支えるつもりでいた。


 しかし、会社の状況が今後どう変わるのかは、まだわからない。


 自分が今の会社で何をしたいのか。


 家族との生活を、どう守っていくのか。


 その二つを、改めて考える必要があるのかもしれなかった。


 田村は、しばらく窓の外を眺めていた。

お読みいただきありがとうございます。旭月です。


今回は、八月前半のカナメをお届けしました。


追加融資が実行され、ようやく銀行巡りが一段落した金目。


そこで真っ先に始めたのは、社員一人ひとりとの対話でした。


営業部には営業部の、開発部には開発部の、業務部には業務部の不安があります。


同じ経営危機を経験していても、立場が違えば、見えている問題も違います。


そして、会社の状況が改善したからといって、社員の不安がすぐに消えるわけでもありません。


一方、開発部では小川が着実に成長し、夏季休暇中の田村も、家族との会話を通じて自分の将来について考え始めました。


会社を続けるための資金は、少しずつ確保できるようになりました。


しかし、そこで働く人たちの未来は、資金繰り表だけではわかりません。


金目が始めた1on1が、これからどんな話につながっていくのか。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

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