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2034年8月1日、火曜日。
大阪・本町。
株式会社カナメでは、八月最初の営業日が始まっていた。
七月二十五日の給与支払いは、予定どおり完了した。
その後、既存顧客からの入金が続き、追加融資も一件承認された。
資金繰りは、以前より少しずつ改善している。
しかし、会社の再建が終わったわけではない。
営業部では新しい案件を増やす取り組みが続き、開発部では人員配置の調整が進んでいた。
そして、社員たちも、それぞれの今後について考え始めていた。
*
午前十時。
開発二課の課長、尾崎達也は、社内の予定表を確認していた。
西田の予定には、午前十一時から短い空き時間があった。
尾崎は、面談の依頼を送った。
『今後のことで、少しご相談したいことがあります。十一時からお時間いただけますか』
しばらくして、返信が届いた。
『了解。会議室で話そうか』
尾崎は、画面を閉じた。
七月二十八日。
転職先企業から、正式な内定と雇用条件が届いた。
週末を挟んで、何度も内容を確認した。
年収。
役割。
勤務条件。
そして、入社予定時期。
家族とも話した。
新しい環境で、自分の経験を生かしてみたい。
その気持ちは、確かにあった。
しかし、長く働いてきた会社を離れることに、迷いがないわけではなかった。
*
午前十一時。
西田が会議室へ入ってきた。
「……お疲れさん。どうしたんや?」
「お疲れさまです」
尾崎は、少し姿勢を正した。
「……西田さん、今日はちょっとお話ししたいことがありまして」
「うん。何や?」
西田は、椅子に座った。
尾崎は、一度息を整えた。
「……退職について、ご相談したいんです」
西田の手が止まった。
「……退職?」
「はい」
西田は、尾崎を見た。
しばらくして、静かに尋ねた。
「……もう、決めたんか?」
*
尾崎は、すぐには答えなかった。
「……正直、まだ迷いはあります」
「……そうか」
「転職先からは、正式に内定をいただいています。条件も、家族と確認しました」
「うん」
「新しい環境で挑戦してみたい気持ちは、あります」
尾崎は、少し間を置いた。
「……でも、今の会社の状況を考えると」
西田は、黙って聞いていた。
「……残るべきなんちゃうか、と思うこともあるんです」
*
「今、二課のことを任せてもらっていますし、引き継ぎも簡単ではありません」
「……せやな」
「それに、社長たちがあれだけ頑張ってくれたあとで、自分だけ次へ行ってええんかなって」
尾崎は、少し苦笑した。
「……変な話ですよね」
西田は、首を横に振った。
「いや、変な話ちゃうで」
「……そうですか」
「そら、長いこと一緒にやってきたんや。簡単に割り切れんやろ」
尾崎は、うなずいた。
*
「……実は、転職活動を始めたんも、今回の会社の件がきっかけでした」
尾崎が続けた。
「……せやろな」
「最初は、自分の経験が外でも通用するのか、確かめてみようと思っただけなんです」
「うん」
「でも、実際に話を聞いてみたら、今までの経験を生かせる仕事があって」
尾崎は、少し考えた。
「……それを、なかったことにもできへんのです」
西田は、ゆっくりうなずいた。
「……そうやな」
*
「……正直な」
西田が言った。
「はい」
「残ってほしい気持ちはあるで」
尾崎は、顔を上げた。
「……ありがとうございます」
「二課のことも、よう見てくれとるしな。お前がおらんようになるんは、正直痛い」
「……はい」
「でも、会社が大変やからいう理由だけで残ってもらうんは、違う気もするんよ」
尾崎は、西田を見た。
「……西田さん」
「何や?」
「……もし、今回の件がなかったら、俺は転職を考えてなかったかもしれません」
「……せやろな」
「でも、外に出てみたら、自分が思ってた以上に、やってみたい仕事があって」
尾崎は、少し間を置いた。
「……今は、その仕事に挑戦してみたいと思っています」
*
西田は、少し考えた。
「……尾崎」
「はい」
「今すぐ、迷いを全部なくさんでもええと思うで」
尾崎は、顔を上げた。
「……はい」
「ただ、最後は自分で決めなあかん」
「……そうですね」
「残るにしても、出ていくにしてもな」
尾崎は、しばらく考えた。
そして、うなずいた。
「……俺は、新しい会社へ行こうと思っています」
「……うん」
「まだ、寂しさもありますけど」
西田は、少し笑った。
「……そら、あるやろ」
*
「……ほな、ここからは仕事の話もしようか」
西田が言った。
「はい」
「退職日は、先方とどこまで話しとる?」
「九月末を目安にしています」
「……なるほど」
「ただ、引き継ぎのこともあるので、調整はできると思います」
西田は、予定表を確認した。
「二課の案件も、担当者のこともあるからな」
「はい」
「ほな、引き継ぎに必要な期間も含めて、一緒に考えよう」
「……ありがとうございます」
*
面談を終えたあと。
尾崎は、会議室を出た。
西田は、しばらく席に残っていた。
尾崎が辞める。
開発二課の課長として、これまで組織を支えてきた人物だった。
今の会社にとって、決して小さな損失ではない。
しかし、本人が十分に考えて選ぼうとしている道でもある。
西田は、予定表を開いた。
明日、金目へ報告する時間を確保した。
*
2034年8月2日、水曜日。
午前十時。
金目は、西田からの報告を受けていた。
「……金目、ちょっと話があるんやけど」
「何や?」
「尾崎が辞めたい言うてきた」
金目は、顔を上げた。
「……そうか」
「うん」
「……内定も出とるんか?」
「出とるらしい。開発組織のマネジメントを任せてもらえる仕事やそうや」
金目は、少し考えた。
「……それは、おめでとうやな」
西田は、うなずいた。
「……せやな」
*
「……ただ、金目」
西田が続けた。
「何や?」
「正直、二課の体制は考え直さなあかん」
「せやな」
「今の案件もあるし、部下の評価や育成もある」
「……うん」
「尾崎が抜けたあと、誰がどう見るか決める必要があるわ」
金目は、うなずいた。
「そこは、ちゃんと考えよう」
「了解」
「……本人とは、俺も一回話したいな」
「せやな。今日の午後、時間取れるか確認しとくわ」
*
午後二時。
金目と尾崎は、会議室で向き合っていた。
「……尾崎君、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「西田から、話は聞きました」
「……はい」
金目は、少し笑った。
「……まずは、内定おめでとうございます」
尾崎は、顔を上げた。
「……ありがとうございます」
「新しいところでも、開発組織を任されるんですね」
「はい」
「……それは、ええ話やな」
*
「……金目さん」
尾崎が言った。
「はい」
「正直、まだ迷いはあります」
金目は、うなずいた。
「……せやろな」
「今、会社が大変なときですし」
「うん」
「皆さんが必死に立て直そうとしているのも、わかっています」
尾崎は、少し視線を落とした。
「……そんなときに辞めるのは、無責任なんちゃうかって」
金目は、少し考えた。
*
「……尾崎君」
「はい」
「もし、会社が今も順調やったとしても、次の仕事に魅力を感じたと思います?」
尾崎は、すぐには答えなかった。
「……はい。たぶん」
「ほな、それは今回の件だけが理由やないんやろな」
「……そうですね」
金目は、うなずいた。
「……もちろん、俺としては残ってもらえたらありがたいで」
「……ありがとうございます」
「でも、会社の事情と、尾崎君がこれからどう働きたいかは、分けて考えてええと思う」
尾崎は、顔を上げた。
*
「……それに」
金目が続けた。
「はい」
「今回のことで転職を考え始めたんは、事実やろ?」
「……はい」
「それは、会社として受け止めなあかんことやと思っています」
尾崎は、黙って聞いていた。
「会社の経営がもっと安定しとったら、尾崎君が今ここで悩むこともなかったかもしれん」
「……そんな」
「いや、そこは経営側の責任やからな」
金目は、少し笑った。
「……せやから、そこまで尾崎君が背負わんでもええよ」
*
尾崎は、しばらく黙っていた。
「……ありがとうございます」
金目は、うなずいた。
「それに、以前の説明会でも言うたやろ」
「……はい」
「会社に愛着があることと、ほかにもっとええ選択肢がないか考えることは、別やと思うんよ」
尾崎は、顔を上げた。
「……そうですね」
「俺かて、経営については常にそう考えとるしな」
金目は、少し笑った。
「せやから、尾崎君が自分で考えて選んだ道なら、尊重したいと思っています」
*
「……ただし」
金目が続けた。
「はい」
「引き継ぎは、ちゃんと頼むで(笑)」
尾崎は、思わず笑った。
「……もちろんです(笑)」
「西田とも相談して、無理のない形にしましょう」
「承知しました」
金目は、うなずいた。
「……次の会社でも頑張ってほしいからな」
「……はい」
尾崎は、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
*
尾崎が会議室を出たあと。
金目は、しばらく席に残っていた。
尾崎は、会社を離れる。
しかし、それは本人が考えた末の選択だった。
会社を続けること。
社員が残ること。
それは、必ずしも同じ意味ではなかった。
金目は、資料を閉じた。
少し寂しさはあった。
それでも、尾崎が新しい仕事へ進むことを、喜びたいと思っていた。
2034年8月3日、木曜日。
午後二時。
株式会社カナメの開発部では、西田が三人の課長を集めていた。
田村洋介。
尾崎達也。
井上修一。
議題は、今後の開発部の体制についてだった。
「……ほな、始めようか」
西田が言った。
三人は、それぞれの資料を開いた。
西田は、尾崎へ目を向けた。
「……まず、尾崎から話してもらおうか」
尾崎は、うなずいた。
*
「……皆さん」
尾崎が口を開いた。
「私事なんですが、九月末を目安に退職する方向で調整しています」
田村が、顔を上げた。
「……ほんまか」
「うん」
「……決めたんか?」
尾崎は、少し間を置いた。
「……まだ、迷いがないわけちゃうけどな」
田村は、黙って聞いていた。
「でも、新しい会社で挑戦してみようと思っとる」
「……そうか」
井上も、ゆっくりうなずいた。
*
「……急な話で、すまんな」
尾崎が言った。
田村は、少し考えた。
「……まあ、寂しくはなるけどな」
「……うん」
「でも、ちゃんと考えて決めたんやろ?」
「せや」
「ほな、しゃあないな」
田村は、少し笑った。
「……次でも頑張れよ」
「ありがとう」
井上も、うなずいた。
「……ほな、ちゃんと送り出せるようにせなな」
*
西田は、引き継ぎ資料を開いた。
「……では、ここからは仕事の話や」
三人が、資料へ目を向けた。
開発二課の案件。
顧客との連絡窓口。
部下の評価と育成。
そして、今後の人員配置。
「……尾崎が抜けたあと、当面は俺が二課の管理を引き受ける」
西田が言った。
「ただし、全部一人で見るわけにはいかん」
*
「……田村、井上」
「何や?」
「一部の業務について、協力してもらいたい」
田村が、うなずいた。
「ええで」
井上も、答えた。
「運用に影響せん範囲なら、協力できると思う」
「ありがとう」
西田は、資料を更新した。
尾崎が退職するまで、まだ二か月近くある。
しかし、引き継ぎは早く始める必要があった。
*
「……尾崎」
西田が言った。
「はい」
「退職日が正式に決まるまでに、引き継ぎの一覧を作ってもらえるか?」
「了解」
「案件だけやなくて、普段お前が判断しとることも含めてな」
「わかった」
「課長がおらんと止まる仕事を、なるべく減らしときたいんよ」
尾崎は、うなずいた。
「……せやな」
*
会議を終えたあと。
田村は、尾崎へ声をかけた。
「……尾崎」
「何や?」
「次の会社、ええところなんか?」
「……まだ入ってへんからわからんけどな(笑)」
田村は、少し笑った。
「……そらそうやな」
「でも、今までの経験を生かせそうや」
「……ほな、ええやん」
田村は、うなずいた。
「……頑張れよ」
「ありがとう」
*
午後五時。
金目は、自席で八月の資金繰り表を確認していた。
七月末に承認された五百万円の融資。
その実行に向けた手続きが進んでいる。
八月以降の入金予定も、少しずつ具体的になってきた。
ただし、まだ十分な余裕があるわけではない。
金目は、資料を見直していた。
そのとき、声がした。
「……社長、ちょっとええですか」
顔を上げると、大本恭平が立っていた。
*
「おお、大本君。何や?」
「……あの、金曜日の夜って空いてます?」
「金曜日?」
「はい」
金目は、予定表を確認した。
「……今のところ空いとるけど、何かあった?」
大本は、少し笑った。
「営業部で、七月のお疲れさま会をやろうと思ってまして」
「ほう、ええやん」
「それで、よかったら社長も来てもらえませんか?」
金目は、少し驚いた顔をした。
「……俺も?」
「はい」
「営業部の飲み会やろ?」
「そうなんですけど」
大本は、少し考えた。
「……社長、最近ずっと銀行回ってはったじゃないですか」
「……まあな(笑)」
「俺らも、何かお疲れさまでしたって言いたくて」
*
金目は、少し黙った。
「……そうか」
そして、笑った。
「ほな、お邪魔させてもらおうかな」
「ほんまですか!」
「うん。ありがとうな、誘ってくれて」
大本は、うれしそうに笑った。
*
「……ただし、大本君」
「はい?」
「営業部の皆さんが気を遣わへんか、そこだけ確認しといてな」
大本は、少し笑った。
「大丈夫です。小坂さんにも相談してますから」
「……それやったら安心やな(笑)」
「ほな、金曜日よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくな」
大本は、少しうれしそうに自席へ戻っていった。
金目は、その背中を見送った。
七月は、銀行を回り、資金繰りを確認し、社員たちへ何度も説明をしてきた。
そんな自分を、社員の方から飲みに誘ってくれた。
金目は、少しだけ笑った。
そして、予定表に一つ追加した。
――営業部、お疲れさま会。
*
2034年8月4日、金曜日。
午後七時。
大阪・本町の居酒屋では、営業部の小さな慰労会が始まっていた。
小坂千尋。
松井慎吾。
大本恭平。
そして、少し遅れて参加する予定の金目。
大きな宴会ではなかった。
七月の営業活動を、ひとまず労うための集まりだった。
「……ほな、皆さん」
小坂が、グラスを持ち上げた。
「七月は、本当にお疲れさまでした」
「お疲れさまでした!」
大本が答えた。
松井も、グラスを持ち上げる。
「……まだ、仕事は続いていますけどね」
「それはそうです(笑)」
小坂は、少し笑った。
「でも、たまには労わないと」
*
「……しかし、大本さん」
小坂が言った。
「はい?」
「今回の案件、よく頑張りましたね」
「……ありがとうございます!」
「受注できたこともそうですけど、その先の仕事まで考え始めたことがよかったと思います」
大本は、少し照れたように笑った。
「……まだ、次の契約が取れたわけじゃないですけど」
「そうですね」
松井が答えた。
「だからこそ、次も頑張りましょう」
*
午後七時半。
店の入口から声がした。
「……お疲れさまです」
金目だった。
「あ、社長!」
大本が顔を上げた。
「遅くなってすみません」
金目は、席に座った。
「今日は、呼んでいただいてありがとうございます」
小坂が、少し笑った。
「社長も、お疲れさまでした」
「……いやあ、銀行さんにはだいぶお世話になりました(笑)」
松井が笑った。
「本当に、ずっと外出されていましたもんね」
「せやねん。もうしばらく銀行回りは勘弁してほしいわ(笑)」
*
「……でも、社長」
大本が言った。
「何や?」
「俺ら、もっと仕事取ってきますから」
金目は、大本を見た。
「……ありがとう」
「まだ、全然足りへんと思うんですけど」
「……せやな」
金目は、少し考えた。
「でもな、大本君」
「はい」
「無理して取ってこんでええで」
大本が、少し顔を上げた。
「……え?」
「ちゃんと利益が出て、お客様にも喜んでもらえる仕事を取ってきてほしいんよ」
「……はい」
「仕事増やすために、赤字の仕事増やしてもしゃあないやろ(笑)」
大本は、笑った。
「……確かに(笑)」
*
「……それに」
金目が続けた。
「はい」
「今の仕事をちゃんと終わらせることも、大事やと思うで」
「……そうですね」
「その結果、お客様が次の仕事も任せたいと思ってくれたら、それが一番ええやろ」
大本は、うなずいた。
「……はい」
松井も、少し笑った。
「まさに、今進めている案件ですね」
「そうですね」
小坂が答えた。
*
「……大本君」
金目が言った。
「はい」
「今の案件、次の工程も考えてくれとるんやって?」
「……はい!」
「小坂さんから聞いたで」
大本は、少し照れたように笑った。
「……まだ、提案の準備段階ですけど」
「それでええと思う」
金目は、うなずいた。
「お客様が何を必要としてるか、ちゃんと考えてな」
「……はい」
「そのうえで、うちが役に立てることを提案したらええ」
大本は、少し考えた。
「……わかりました」
*
小坂は、そのやり取りを静かに聞いていた。
金目は、大本に売上目標を押しつけなかった。
ただ、どんな仕事を増やしてほしいのかを伝えた。
大本は、その言葉を自分なりに受け止めているようだった。
「……ほな、大本君」
金目が言った。
「はい!」
「次の仕事も、頼むで」
「……はい!」
*
しばらくして。
話題は、七月の銀行回りへ移っていた。
「……しかし社長、ほんまにずっと外出されていましたよね」
松井が言った。
「せやねん」
金目は、少し笑った。
「もう、銀行さんの応接室にはだいぶ詳しくなったで(笑)」
大本が笑った。
「……そんなに回ってはったんですか?」
「まあ、何か所かはな」
「……大変でしたね」
「いや、でも話聞いてもらえただけありがたいで」
金目は、うなずいた。
「銀行さんも、仕事やからな」
*
「……社長」
小坂が言った。
「はい?」
「七月は、本当にお疲れさまでした」
金目は、少し驚いた顔をした。
「……何や、改まって(笑)」
「いえ。営業部としても、いろいろ考える一か月でしたので」
「……せやな」
「でも、社長が動いてくださっていたから、私たちも自分たちの仕事を進められました」
金目は、少し考えた。
「……いや、それはお互いさまやで」
「……はい?」
「営業部が新しい仕事を取ってきてくれたから、銀行さんにも説明できたんやし」
小坂は、少し笑った。
「……そうですね」
*
「……ほな、皆さん」
金目がグラスを持ち上げた。
「七月は、ほんまにありがとうございました」
三人も、グラスを持ち上げた。
「お疲れさまでした!」
大本が答えた。
松井と小坂も、笑った。
会社の再建は、まだ終わっていない。
それでも、今日は少しだけ、仕事の話から離れて笑うことができた。
*
午後九時過ぎ。
慰労会は、そろそろお開きになろうとしていた。
金目は、店の外へ出た。
夜の本町には、まだ人通りがあった。
少し遅れて、大本たちも店から出てきた。
「……社長、今日はありがとうございました!」
大本が言った。
「こちらこそ、ありがとうな」
「また、ぜひ!」
「せやな(笑)」
金目は、少し笑った。
*
大本たちと別れたあと。
金目は、駅へ向かって歩いていた。
七月は、会社を続けるために走り回っていた。
八月に入り、ようやく少しだけ、先のことを考えられるようになった。
しかし、会社を離れることを選んだ社員もいる。
尾崎。
開発二課を支えてきた課長だった。
その退職は、会社にとって小さなことではない。
それでも、本人が選んだ道だった。
*
金目は、ふと先ほどの大本の言葉を思い出した。
――俺ら、もっと仕事取ってきますから。
会社を離れる人がいる。
そして、今いる場所で次の仕事を作ろうとする人もいる。
どちらも、自分で考えて選んだ道だった。
金目は、少しだけ笑った。
今ここで、次の仕事を作ろうとしている人たちを支えたい。金目は、そう思った。
金目は、駅へ向かって歩き出した。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、八月最初のカナメをお届けしました。
尾崎は、新しい環境へ進むことを選びました。
長く働いてきた会社への愛着も、残していく仲間への責任感もあります。
だからこそ、簡単には割り切れない決断でした。
一方、大本は今いる会社で、次の仕事を生み出そうとしています。
そして、忙しかった金目を自分から飲みに誘いました。
会社を離れる人もいれば、今いる場所で新しい役割を見つけていく人もいます。
どちらが正しいという話ではありません。
金目にとっても、社員の選択を尊重することと、会社を続けていくことは、どちらも大切な仕事です。
七月の危機を乗り越えたカナメは、少しずつ新しい形へ変わり始めています。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




