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カナメ -君はどう考える?-  作者: 旭月
第五章 守りたいもの
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121/173

選んだ先へ

 2034年8月1日、火曜日。


 大阪・本町。


 株式会社カナメでは、八月最初の営業日が始まっていた。


 七月二十五日の給与支払いは、予定どおり完了した。


 その後、既存顧客からの入金が続き、追加融資も一件承認された。


 資金繰りは、以前より少しずつ改善している。


 しかし、会社の再建が終わったわけではない。


 営業部では新しい案件を増やす取り組みが続き、開発部では人員配置の調整が進んでいた。


 そして、社員たちも、それぞれの今後について考え始めていた。


     *


 午前十時。


 開発二課の課長、尾崎達也は、社内の予定表を確認していた。


 西田の予定には、午前十一時から短い空き時間があった。


 尾崎は、面談の依頼を送った。


『今後のことで、少しご相談したいことがあります。十一時からお時間いただけますか』


 しばらくして、返信が届いた。


『了解。会議室で話そうか』


 尾崎は、画面を閉じた。


 七月二十八日。


 転職先企業から、正式な内定と雇用条件が届いた。


 週末を挟んで、何度も内容を確認した。


 年収。


 役割。


 勤務条件。


 そして、入社予定時期。


 家族とも話した。


 新しい環境で、自分の経験を生かしてみたい。


 その気持ちは、確かにあった。


 しかし、長く働いてきた会社を離れることに、迷いがないわけではなかった。


     *


 午前十一時。


 西田が会議室へ入ってきた。


「……お疲れさん。どうしたんや?」


「お疲れさまです」


 尾崎は、少し姿勢を正した。


「……西田さん、今日はちょっとお話ししたいことがありまして」


「うん。何や?」


 西田は、椅子に座った。


 尾崎は、一度息を整えた。


「……退職について、ご相談したいんです」


 西田の手が止まった。


「……退職?」


「はい」


 西田は、尾崎を見た。


 しばらくして、静かに尋ねた。


「……もう、決めたんか?」


     *


 尾崎は、すぐには答えなかった。


「……正直、まだ迷いはあります」


「……そうか」


「転職先からは、正式に内定をいただいています。条件も、家族と確認しました」


「うん」


「新しい環境で挑戦してみたい気持ちは、あります」


 尾崎は、少し間を置いた。


「……でも、今の会社の状況を考えると」


 西田は、黙って聞いていた。


「……残るべきなんちゃうか、と思うこともあるんです」


     *


「今、二課のことを任せてもらっていますし、引き継ぎも簡単ではありません」


「……せやな」


「それに、社長たちがあれだけ頑張ってくれたあとで、自分だけ次へ行ってええんかなって」


 尾崎は、少し苦笑した。


「……変な話ですよね」


 西田は、首を横に振った。


「いや、変な話ちゃうで」


「……そうですか」


「そら、長いこと一緒にやってきたんや。簡単に割り切れんやろ」


 尾崎は、うなずいた。


     *


「……実は、転職活動を始めたんも、今回の会社の件がきっかけでした」


 尾崎が続けた。


「……せやろな」


「最初は、自分の経験が外でも通用するのか、確かめてみようと思っただけなんです」


「うん」


「でも、実際に話を聞いてみたら、今までの経験を生かせる仕事があって」


 尾崎は、少し考えた。


「……それを、なかったことにもできへんのです」


 西田は、ゆっくりうなずいた。


「……そうやな」


     *


「……正直な」


 西田が言った。


「はい」


「残ってほしい気持ちはあるで」


 尾崎は、顔を上げた。


「……ありがとうございます」


「二課のことも、よう見てくれとるしな。お前がおらんようになるんは、正直痛い」


「……はい」


「でも、会社が大変やからいう理由だけで残ってもらうんは、違う気もするんよ」


 尾崎は、西田を見た。


「……西田さん」


「何や?」


「……もし、今回の件がなかったら、俺は転職を考えてなかったかもしれません」


「……せやろな」


「でも、外に出てみたら、自分が思ってた以上に、やってみたい仕事があって」


 尾崎は、少し間を置いた。


「……今は、その仕事に挑戦してみたいと思っています」


     *


 西田は、少し考えた。


「……尾崎」


「はい」


「今すぐ、迷いを全部なくさんでもええと思うで」


 尾崎は、顔を上げた。


「……はい」


「ただ、最後は自分で決めなあかん」


「……そうですね」


「残るにしても、出ていくにしてもな」


 尾崎は、しばらく考えた。


 そして、うなずいた。


「……俺は、新しい会社へ行こうと思っています」


「……うん」


「まだ、寂しさもありますけど」


 西田は、少し笑った。


「……そら、あるやろ」


     *


「……ほな、ここからは仕事の話もしようか」


 西田が言った。


「はい」


「退職日は、先方とどこまで話しとる?」


「九月末を目安にしています」


「……なるほど」


「ただ、引き継ぎのこともあるので、調整はできると思います」


 西田は、予定表を確認した。


「二課の案件も、担当者のこともあるからな」


「はい」


「ほな、引き継ぎに必要な期間も含めて、一緒に考えよう」


「……ありがとうございます」


     *


 面談を終えたあと。


 尾崎は、会議室を出た。


 西田は、しばらく席に残っていた。


 尾崎が辞める。


 開発二課の課長として、これまで組織を支えてきた人物だった。


 今の会社にとって、決して小さな損失ではない。


 しかし、本人が十分に考えて選ぼうとしている道でもある。


 西田は、予定表を開いた。


 明日、金目へ報告する時間を確保した。


     *


 2034年8月2日、水曜日。


 午前十時。


 金目は、西田からの報告を受けていた。


「……金目、ちょっと話があるんやけど」


「何や?」


「尾崎が辞めたい言うてきた」


 金目は、顔を上げた。


「……そうか」


「うん」


「……内定も出とるんか?」


「出とるらしい。開発組織のマネジメントを任せてもらえる仕事やそうや」


 金目は、少し考えた。


「……それは、おめでとうやな」


 西田は、うなずいた。


「……せやな」


     *


「……ただ、金目」


 西田が続けた。


「何や?」


「正直、二課の体制は考え直さなあかん」


「せやな」


「今の案件もあるし、部下の評価や育成もある」


「……うん」


「尾崎が抜けたあと、誰がどう見るか決める必要があるわ」


 金目は、うなずいた。


「そこは、ちゃんと考えよう」


「了解」


「……本人とは、俺も一回話したいな」


「せやな。今日の午後、時間取れるか確認しとくわ」


     *


 午後二時。


 金目と尾崎は、会議室で向き合っていた。


「……尾崎君、お疲れさまです」


「お疲れさまです」


「西田から、話は聞きました」


「……はい」


 金目は、少し笑った。


「……まずは、内定おめでとうございます」


 尾崎は、顔を上げた。


「……ありがとうございます」


「新しいところでも、開発組織を任されるんですね」


「はい」


「……それは、ええ話やな」


     *


「……金目さん」


 尾崎が言った。


「はい」


「正直、まだ迷いはあります」


 金目は、うなずいた。


「……せやろな」


「今、会社が大変なときですし」


「うん」


「皆さんが必死に立て直そうとしているのも、わかっています」


 尾崎は、少し視線を落とした。


「……そんなときに辞めるのは、無責任なんちゃうかって」


 金目は、少し考えた。


     *


「……尾崎君」


「はい」


「もし、会社が今も順調やったとしても、次の仕事に魅力を感じたと思います?」


 尾崎は、すぐには答えなかった。


「……はい。たぶん」


「ほな、それは今回の件だけが理由やないんやろな」


「……そうですね」


 金目は、うなずいた。


「……もちろん、俺としては残ってもらえたらありがたいで」


「……ありがとうございます」


「でも、会社の事情と、尾崎君がこれからどう働きたいかは、分けて考えてええと思う」


 尾崎は、顔を上げた。


     *


「……それに」


 金目が続けた。


「はい」


「今回のことで転職を考え始めたんは、事実やろ?」


「……はい」


「それは、会社として受け止めなあかんことやと思っています」


 尾崎は、黙って聞いていた。


「会社の経営がもっと安定しとったら、尾崎君が今ここで悩むこともなかったかもしれん」


「……そんな」


「いや、そこは経営側の責任やからな」


 金目は、少し笑った。


「……せやから、そこまで尾崎君が背負わんでもええよ」


     *


 尾崎は、しばらく黙っていた。


「……ありがとうございます」


 金目は、うなずいた。


「それに、以前の説明会でも言うたやろ」


「……はい」


「会社に愛着があることと、ほかにもっとええ選択肢がないか考えることは、別やと思うんよ」


 尾崎は、顔を上げた。


「……そうですね」


「俺かて、経営については常にそう考えとるしな」


 金目は、少し笑った。


「せやから、尾崎君が自分で考えて選んだ道なら、尊重したいと思っています」


     *


「……ただし」


 金目が続けた。


「はい」


「引き継ぎは、ちゃんと頼むで(笑)」


 尾崎は、思わず笑った。


「……もちろんです(笑)」


「西田とも相談して、無理のない形にしましょう」


「承知しました」


 金目は、うなずいた。


「……次の会社でも頑張ってほしいからな」


「……はい」


 尾崎は、頭を下げた。


「……ありがとうございます」


     *


 尾崎が会議室を出たあと。


 金目は、しばらく席に残っていた。


 尾崎は、会社を離れる。


 しかし、それは本人が考えた末の選択だった。


 会社を続けること。


 社員が残ること。


 それは、必ずしも同じ意味ではなかった。


 金目は、資料を閉じた。


 少し寂しさはあった。


 それでも、尾崎が新しい仕事へ進むことを、喜びたいと思っていた。


 2034年8月3日、木曜日。


 午後二時。


 株式会社カナメの開発部では、西田が三人の課長を集めていた。


 田村洋介。


 尾崎達也。


 井上修一。


 議題は、今後の開発部の体制についてだった。


「……ほな、始めようか」


 西田が言った。


 三人は、それぞれの資料を開いた。


 西田は、尾崎へ目を向けた。


「……まず、尾崎から話してもらおうか」


 尾崎は、うなずいた。


     *


「……皆さん」


 尾崎が口を開いた。


「私事なんですが、九月末を目安に退職する方向で調整しています」


 田村が、顔を上げた。


「……ほんまか」


「うん」


「……決めたんか?」


 尾崎は、少し間を置いた。


「……まだ、迷いがないわけちゃうけどな」


 田村は、黙って聞いていた。


「でも、新しい会社で挑戦してみようと思っとる」


「……そうか」


 井上も、ゆっくりうなずいた。


     *


「……急な話で、すまんな」


 尾崎が言った。


 田村は、少し考えた。


「……まあ、寂しくはなるけどな」


「……うん」


「でも、ちゃんと考えて決めたんやろ?」


「せや」


「ほな、しゃあないな」


 田村は、少し笑った。


「……次でも頑張れよ」


「ありがとう」


 井上も、うなずいた。


「……ほな、ちゃんと送り出せるようにせなな」


     *


 西田は、引き継ぎ資料を開いた。


「……では、ここからは仕事の話や」


 三人が、資料へ目を向けた。


 開発二課の案件。


 顧客との連絡窓口。


 部下の評価と育成。


 そして、今後の人員配置。


「……尾崎が抜けたあと、当面は俺が二課の管理を引き受ける」


 西田が言った。


「ただし、全部一人で見るわけにはいかん」


     *


「……田村、井上」


「何や?」


「一部の業務について、協力してもらいたい」


 田村が、うなずいた。


「ええで」


 井上も、答えた。


「運用に影響せん範囲なら、協力できると思う」


「ありがとう」


 西田は、資料を更新した。


 尾崎が退職するまで、まだ二か月近くある。


 しかし、引き継ぎは早く始める必要があった。


     *


「……尾崎」


 西田が言った。


「はい」


「退職日が正式に決まるまでに、引き継ぎの一覧を作ってもらえるか?」


「了解」


「案件だけやなくて、普段お前が判断しとることも含めてな」


「わかった」


「課長がおらんと止まる仕事を、なるべく減らしときたいんよ」


 尾崎は、うなずいた。


「……せやな」


     *


 会議を終えたあと。


 田村は、尾崎へ声をかけた。


「……尾崎」


「何や?」


「次の会社、ええところなんか?」


「……まだ入ってへんからわからんけどな(笑)」


 田村は、少し笑った。


「……そらそうやな」


「でも、今までの経験を生かせそうや」


「……ほな、ええやん」


 田村は、うなずいた。


「……頑張れよ」


「ありがとう」


     *


 午後五時。


 金目は、自席で八月の資金繰り表を確認していた。


 七月末に承認された五百万円の融資。


 その実行に向けた手続きが進んでいる。


 八月以降の入金予定も、少しずつ具体的になってきた。


 ただし、まだ十分な余裕があるわけではない。


 金目は、資料を見直していた。


 そのとき、声がした。


「……社長、ちょっとええですか」


 顔を上げると、大本恭平が立っていた。


     *


「おお、大本君。何や?」


「……あの、金曜日の夜って空いてます?」


「金曜日?」


「はい」


 金目は、予定表を確認した。


「……今のところ空いとるけど、何かあった?」


 大本は、少し笑った。


「営業部で、七月のお疲れさま会をやろうと思ってまして」


「ほう、ええやん」


「それで、よかったら社長も来てもらえませんか?」


 金目は、少し驚いた顔をした。


「……俺も?」


「はい」


「営業部の飲み会やろ?」


「そうなんですけど」


 大本は、少し考えた。


「……社長、最近ずっと銀行回ってはったじゃないですか」


「……まあな(笑)」


「俺らも、何かお疲れさまでしたって言いたくて」


     *


 金目は、少し黙った。


「……そうか」


 そして、笑った。


「ほな、お邪魔させてもらおうかな」


「ほんまですか!」


「うん。ありがとうな、誘ってくれて」


 大本は、うれしそうに笑った。


     *


「……ただし、大本君」


「はい?」


「営業部の皆さんが気を遣わへんか、そこだけ確認しといてな」


 大本は、少し笑った。


「大丈夫です。小坂さんにも相談してますから」


「……それやったら安心やな(笑)」


「ほな、金曜日よろしくお願いします!」


「こちらこそ、よろしくな」


 大本は、少しうれしそうに自席へ戻っていった。


 金目は、その背中を見送った。


 七月は、銀行を回り、資金繰りを確認し、社員たちへ何度も説明をしてきた。


 そんな自分を、社員の方から飲みに誘ってくれた。


 金目は、少しだけ笑った。


 そして、予定表に一つ追加した。


 ――営業部、お疲れさま会。


     *


 2034年8月4日、金曜日。


 午後七時。


 大阪・本町の居酒屋では、営業部の小さな慰労会が始まっていた。


 小坂千尋。


 松井慎吾。


 大本恭平。


 そして、少し遅れて参加する予定の金目。


 大きな宴会ではなかった。


 七月の営業活動を、ひとまず労うための集まりだった。


「……ほな、皆さん」


 小坂が、グラスを持ち上げた。


「七月は、本当にお疲れさまでした」


「お疲れさまでした!」


 大本が答えた。


 松井も、グラスを持ち上げる。


「……まだ、仕事は続いていますけどね」


「それはそうです(笑)」


 小坂は、少し笑った。


「でも、たまには労わないと」


     *


「……しかし、大本さん」


 小坂が言った。


「はい?」


「今回の案件、よく頑張りましたね」


「……ありがとうございます!」


「受注できたこともそうですけど、その先の仕事まで考え始めたことがよかったと思います」


 大本は、少し照れたように笑った。


「……まだ、次の契約が取れたわけじゃないですけど」


「そうですね」


 松井が答えた。


「だからこそ、次も頑張りましょう」


     *


 午後七時半。


 店の入口から声がした。


「……お疲れさまです」


 金目だった。


「あ、社長!」


 大本が顔を上げた。


「遅くなってすみません」


 金目は、席に座った。


「今日は、呼んでいただいてありがとうございます」


 小坂が、少し笑った。


「社長も、お疲れさまでした」


「……いやあ、銀行さんにはだいぶお世話になりました(笑)」


 松井が笑った。


「本当に、ずっと外出されていましたもんね」


「せやねん。もうしばらく銀行回りは勘弁してほしいわ(笑)」


     *


「……でも、社長」


 大本が言った。


「何や?」


「俺ら、もっと仕事取ってきますから」


 金目は、大本を見た。


「……ありがとう」


「まだ、全然足りへんと思うんですけど」


「……せやな」


 金目は、少し考えた。


「でもな、大本君」


「はい」


「無理して取ってこんでええで」


 大本が、少し顔を上げた。


「……え?」


「ちゃんと利益が出て、お客様にも喜んでもらえる仕事を取ってきてほしいんよ」


「……はい」


「仕事増やすために、赤字の仕事増やしてもしゃあないやろ(笑)」


 大本は、笑った。


「……確かに(笑)」


     *


「……それに」


 金目が続けた。


「はい」


「今の仕事をちゃんと終わらせることも、大事やと思うで」


「……そうですね」


「その結果、お客様が次の仕事も任せたいと思ってくれたら、それが一番ええやろ」


 大本は、うなずいた。


「……はい」


 松井も、少し笑った。


「まさに、今進めている案件ですね」


「そうですね」


 小坂が答えた。


     *


「……大本君」


 金目が言った。


「はい」


「今の案件、次の工程も考えてくれとるんやって?」


「……はい!」


「小坂さんから聞いたで」


 大本は、少し照れたように笑った。


「……まだ、提案の準備段階ですけど」


「それでええと思う」


 金目は、うなずいた。


「お客様が何を必要としてるか、ちゃんと考えてな」


「……はい」


「そのうえで、うちが役に立てることを提案したらええ」


 大本は、少し考えた。


「……わかりました」


     *


 小坂は、そのやり取りを静かに聞いていた。


 金目は、大本に売上目標を押しつけなかった。


 ただ、どんな仕事を増やしてほしいのかを伝えた。


 大本は、その言葉を自分なりに受け止めているようだった。


「……ほな、大本君」


 金目が言った。


「はい!」


「次の仕事も、頼むで」


「……はい!」


     *


 しばらくして。


 話題は、七月の銀行回りへ移っていた。


「……しかし社長、ほんまにずっと外出されていましたよね」


 松井が言った。


「せやねん」


 金目は、少し笑った。


「もう、銀行さんの応接室にはだいぶ詳しくなったで(笑)」


 大本が笑った。


「……そんなに回ってはったんですか?」


「まあ、何か所かはな」


「……大変でしたね」


「いや、でも話聞いてもらえただけありがたいで」


 金目は、うなずいた。


「銀行さんも、仕事やからな」


     *


「……社長」


 小坂が言った。


「はい?」


「七月は、本当にお疲れさまでした」


 金目は、少し驚いた顔をした。


「……何や、改まって(笑)」


「いえ。営業部としても、いろいろ考える一か月でしたので」


「……せやな」


「でも、社長が動いてくださっていたから、私たちも自分たちの仕事を進められました」


 金目は、少し考えた。


「……いや、それはお互いさまやで」


「……はい?」


「営業部が新しい仕事を取ってきてくれたから、銀行さんにも説明できたんやし」


 小坂は、少し笑った。


「……そうですね」


     *


「……ほな、皆さん」


 金目がグラスを持ち上げた。


「七月は、ほんまにありがとうございました」


 三人も、グラスを持ち上げた。


「お疲れさまでした!」


 大本が答えた。


 松井と小坂も、笑った。


 会社の再建は、まだ終わっていない。


 それでも、今日は少しだけ、仕事の話から離れて笑うことができた。


     *


 午後九時過ぎ。


 慰労会は、そろそろお開きになろうとしていた。


 金目は、店の外へ出た。


 夜の本町には、まだ人通りがあった。


 少し遅れて、大本たちも店から出てきた。


「……社長、今日はありがとうございました!」


 大本が言った。


「こちらこそ、ありがとうな」


「また、ぜひ!」


「せやな(笑)」


 金目は、少し笑った。


     *


 大本たちと別れたあと。


 金目は、駅へ向かって歩いていた。


 七月は、会社を続けるために走り回っていた。


 八月に入り、ようやく少しだけ、先のことを考えられるようになった。


 しかし、会社を離れることを選んだ社員もいる。


 尾崎。


 開発二課を支えてきた課長だった。


 その退職は、会社にとって小さなことではない。


 それでも、本人が選んだ道だった。


     *


 金目は、ふと先ほどの大本の言葉を思い出した。


 ――俺ら、もっと仕事取ってきますから。


 会社を離れる人がいる。


 そして、今いる場所で次の仕事を作ろうとする人もいる。


 どちらも、自分で考えて選んだ道だった。


 金目は、少しだけ笑った。


 今ここで、次の仕事を作ろうとしている人たちを支えたい。金目は、そう思った。


 金目は、駅へ向かって歩き出した。

お読みいただきありがとうございます。旭月です。


今回は、八月最初のカナメをお届けしました。


尾崎は、新しい環境へ進むことを選びました。


長く働いてきた会社への愛着も、残していく仲間への責任感もあります。


だからこそ、簡単には割り切れない決断でした。


一方、大本は今いる会社で、次の仕事を生み出そうとしています。


そして、忙しかった金目を自分から飲みに誘いました。


会社を離れる人もいれば、今いる場所で新しい役割を見つけていく人もいます。


どちらが正しいという話ではありません。


金目にとっても、社員の選択を尊重することと、会社を続けていくことは、どちらも大切な仕事です。


七月の危機を乗り越えたカナメは、少しずつ新しい形へ変わり始めています。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

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