仕事は増える、時間は増えない
金目がパソコンを開いたのは、午後九時を少し回った頃だった。
本業を終え、夕食を済ませ、ようやく自分の時間になった。
もっとも、その時間も最近はカナメ事務所の仕事に使っている。
画面には、いくつもの通知が並んでいた。
西田から、制作中の案件についての進捗報告。
三宅から、請求予定の確認。
顧客からは、新しい相談が二件。
どれも今日届いたものだったが、送信された時間はばらばらだった。
昼休み。
午後三時。
夕方。
そして、つい先ほど。
西田も三宅も、それぞれ本業や生活の合間に仕事を進めている。
カナメ事務所には、誰かが集まる場所があるわけではない。
金目は自宅の机で仕事をし、西田と三宅もそれぞれ別の場所にいる。
資料を共有し、必要なことをメッセージで確認する。
急ぎの話があれば、電話をする。
それだけで、仕事は進んでいた。
少なくとも、これまでは。
「……結構来とるな」
金目は通知を一つずつ開いた。
西田からの連絡には、確認してほしい項目が二つ。
三宅からは、納品日についての質問。
顧客の一人は、打ち合わせの日程を決めたいという。
もう一人は、以前作ったものを少し直してほしいらしい。
金目は予定表を開いた。
月曜日から金曜日までは、本業の予定が並んでいる。
その隙間に、カナメ事務所の打ち合わせが入っていた。
土曜日にも二件。
日曜日だけが空いている。
正確には、まだ何も書いていないだけだった。
「……来週、全部埋まっとるやん」
金目は椅子にもたれた。
少し前まで、カナメ事務所の仕事はほとんど一人でやっていた。
顧客の話を聞き、資料を確認し、必要なものを作る。
今は制作の一部を西田に任せ、請求や入出金の整理は三宅に頼んでいる。
自分が本業をしている間にも、仕事は進むようになった。
そのはずだった。
「……俺が帰ってくるまで、待っとるんか」
もちろん、二人が何もしていないわけではない。
自分たちで進められるところは進めてくれている。
ただ、金目の確認が必要なところで、仕事が止まっていた。
作業する人が増えても、決める人が一人なら、そこに仕事が集まる。
金目は、まず西田への返信から始めた。
*
『前に作ってもらった表なんですけど、項目を一つ追加してもらえませんか?』
顧客から届いていた相談は、難しいものではなさそうだった。
金目は内容を確認し、返信した。
『確認してお返事します。いつ頃までに必要ですか?』
しばらくして、返事が来た。
『できれば今週中にお願いしたいです』
金目は西田にメッセージを送った。
『前の集計表、項目を一つ増やしたいそうです。今週中っていけそう?』
すぐには返事が来なかった。
西田にも本業がある。
夜になってから連絡することもあれば、翌朝に返事が届くこともある。
金目は別の仕事を進めながら待った。
翌日の昼休み、スマートフォンを見ると返信が届いていた。
『今週は、前に頼まれた案件を進めてるで』
続けて、もう一通。
『そっちを止めてまで急ぐ必要ある?』
金目は、共有している案件一覧を開いた。
西田が担当している仕事には、今週末の納品予定が入っていた。
そうだった。
先週、自分が頼んだ仕事だ。
西田は約束どおり進めている。
そこへ、別の仕事を持ち込んだのは金目だった。
『先方に確認してみるわ』
『了解。急ぎなら、今の案件の納期も相談せなあかんと思う』
金目は画面を閉じた。
西田が忙しいことは、わかっていた。
自分も忙しい。
だから仕事を頼んでいる。
しかし、相手の予定を見ずに依頼を増やしてしまえば、結局どこかで無理が出る。
「……一人でやってたときと、あんまり変わらんな」
違うのは、無理をする相手が自分だけではなくなったことだった。
*
その日の夕方、三宅から共有資料にコメントが付いた。
『こちらの案件、納品予定日が過ぎていますが、先方には日程変更をお伝えしていますか?』
金目は、該当する行を開いた。
先週の日付が入っている。
作業は進んでいたが、顧客から必要な資料がまだ届いていなかった。
資料が届いてから仕上げればいい。
そう考えていた。
しかし、予定表の日付はそのままだった。
金目は三宅に返信した。
『先方からの資料待ちです。納品日はまだ調整していません』
『承知しました。では、請求予定はいったん未確定にしておきますね』
続けて、もう一通。
『ほかにも日程が変わっている案件はありますか?』
金目は予定表を見直した。
一件。
二件。
確認待ちのままになっている仕事が、ほかにもあった。
『一度まとめて確認します』
『お願いします。決まっているものと、確認待ちのものを分けてもらえると助かります』
金目は返信を読み、少し考えた。
西田は制作の予定を見ている。
三宅は請求と入金の予定を見ている。
自分は顧客との約束を見ている。
それぞれが必要な情報を持っている。
しかし、全員が同じ状況を見られるわけではなかった。
資料はオンラインで共有している。
連絡も残っている。
それでも、どの情報が最新なのか、すぐにはわからない。
「……共有してるだけじゃ、あかんのか」
金目は新しい表を開いた。
*
土曜日の午前。
金目は自宅の机で、案件を一つずつ整理していた。
顧客名。
依頼内容。
担当者。
納品予定日。
確認待ちの項目。
最初は、簡単に終わると思っていた。
ところが、書き始めると次々に抜けが見つかった。
先方からの回答を待っている仕事。
修正内容が決まっていない仕事。
西田に依頼したものの、納品日を正式に伝えていない仕事。
金目自身が確認するつもりで、予定表に入れ忘れていた仕事。
「……なんぼあるねん」
金目は画面を見つめた。
それでも、一つずつ並べていくと、少しずつ全体が見えてきた。
今週中に終わらせなければならない仕事は、思ったほど多くない。
逆に、急がなくてもよいと思っていた仕事の中に、先に確認しておかなければならないものがあった。
金目は、例の修正依頼をしてきた顧客に連絡した。
「今週中と伺ってたんですけど、実際に使われるのはいつ頃です?」
「来月からですね」
「ほな、来週の対応でも大丈夫です?」
「はい。それでお願いします」
電話を切り、案件一覧の日付を直した。
次に、資料待ちの顧客へ連絡する。
資料の準備が遅れていることは、先方も把握していた。
納品日を改めて相談し、双方で確認する。
金目は、更新した案件一覧を西田へ送った。
『今週の優先順位、これでどうやろ?』
しばらくして、共有表に西田の書き込みが増えた。
作業できる日。
確認が必要な項目。
予定どおり進められる仕事。
そのあと、メッセージが届いた。
『これならわかりやすいわ。今の案件を先に進めてええんやな?』
『うん。修正の方は来週で大丈夫になった』
『了解』
金目は、三宅にも更新した一覧を共有した。
すぐには返事が来なかった。
その間に、金目は別の顧客への返信を済ませた。
昼過ぎ、共有表に新しいコメントが付いた。
『納品日を更新しました。請求予定も合わせて修正しておきます』
金目はコメントを確認した。
三人が同じ時間に集まったわけではない。
通話で長い打ち合わせをしたわけでもない。
それぞれが都合のよい時間に、必要なところを確認した。
少しずつ情報が揃い、案件一覧が形になっていった。
金目は時計を見た。
午後一時を過ぎていた。
「……半日終わっとるやん」
朝から何も作っていない。
集計表も、予約管理の仕組みも、ひとつとして手をつけていない。
ただ、連絡して、確認して、予定を並べ直しただけだった。
それでも、仕事は進んでいた。
金目は椅子にもたれた。
「……これ、毎週俺がやるんか?」
誰もいない部屋で、声だけが残った。
*
昼食を済ませた金目は、もう一度案件一覧を開いた。
担当者の欄を眺める。
西田。
金目。
西田。
金目。
ところどころに、三宅の名前もある。
ただ、三宅が担当しているのは請求や数字の整理だった。
制作を頼める相手は、まだ西田しかいない。
金目自身も手を動かせるが、本業がある。
西田にも本業がある。
どちらかが忙しくなれば、それだけで予定が詰まる。
「……一人に頼みすぎるんも、あかんな」
金目はスマートフォンの連絡先を開いた。
以前の職場で世話になった先輩がいた。
人をまとめるのがうまく、仕事の段取りにも気が回る人だった。
最近は連絡を取っていないが、今も同じ業界で働いているはずだ。
少し下へ進む。
以前、一緒に開発をしていた後輩の名前があった。
技術の腕は確かだった。
難しい問題でも、楽しそうに考えていたのを覚えている。
ただ、人に仕事を任せるのは、あまり得意ではなかった気がする。
金目は画面を眺めた。
二人とも、今何をしているのか詳しくは知らない。
仕事を頼めるかどうかもわからない。
それでも、近況くらいは聞けるだろう。
金目は先輩に短いメッセージを送った。
『ご無沙汰してます。最近どうされてます? ちょっと仕事のことで相談したいことがありまして』
続けて、後輩にも連絡した。
『久しぶり。今も開発の仕事してる? 少し聞きたいことあるんやけど』
送信してから、スマートフォンを机に置いた。
そういえば、以前知人から紹介された、少し年下の人物もいた。
幅広い仕事をしていると聞いたことがある。
詳しいことは、まだよく知らない。
そちらも、必要になったら一度話を聞いてみよう。
金目は案件一覧に戻った。
今すぐ誰かを雇うつもりはない。
毎日来てもらうような仕事があるわけでもない。
ただ、案件ごとに少しずつ手伝ってもらえれば、今よりは仕事を回しやすくなるかもしれない。
離れた場所にいる人でも、資料を共有すれば仕事はできる。
西田や三宅とは、もうそうしている。
そのためには、何を頼むのか、どこまで任せるのかを決めなければならない。
また、面倒なことが増える。
「……まあ、しゃあないか」
金目は苦笑した。
*
夕方。
西田から、案件一覧についてもう一通メッセージが届いた。
『これ、毎回金目君が整理するん?』
金目は画面を見つめた。
確かに、毎回自分が整理するなら、仕事が増えるたびに同じことを繰り返すことになる。
『今のところはな』
『それも大変やな』
『せやねん』
少し考えて、金目は続けた。
『ほかにも手伝ってくれそうな人、ちょっと聞いてみてる』
『ええんちゃう。俺も全部は受けられへんし』
『やっぱり?』
『そら本業あるからな』
金目は笑った。
自分も同じだった。
西田にも、三宅にも、それぞれの生活と仕事がある。
カナメ事務所のために、いつでも時間を空けてもらえるわけではない。
だからこそ、頼める相手が何人かいればいい。
全員に毎回頼む必要はない。
それぞれの得意なことを、都合の合う範囲でお願いする。
それなら、今の自分にもできるかもしれない。
スマートフォンが震えた。
先ほど連絡した先輩からだった。
『久しぶりやな。元気にしとるで。仕事の相談って何や?』
金目は画面を見て、少し笑った。
「……早いな」
続けて、後輩からも返信が届いた。
『お久しぶりです! 開発やってますよ。何か面白い話ですか?』
金目は二つの返信を見比べた。
どちらにも、まだ具体的な仕事の話はしていない。
引き受けてもらえるかどうかもわからない。
それでも、話はできそうだった。
「……まあ、まずは話してみるか」
金目は先輩への返信を打ち始めた。
カナメ事務所の仕事は、また少し広がろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
カナメ事務所には、まだ誰も集まるオフィスがありません。
それぞれが別の場所で、都合のよい時間に仕事を進めています。
便利な働き方ですが、仕事が増えると、今度は情報の整理や判断が追いつかなくなることも。
そんな金目が、久しぶりに連絡した先輩と後輩。
次回から、カナメ事務所を支える顔ぶれが少しずつ増えていきます。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。




