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カナメ -君はどう考える?-  作者: 旭月
第五章 守りたいもの
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八百万円

 2034年7月24日、月曜日。


 午前九時四十五分。


 大阪・本町。


 株式会社カナメの業務部では、いつもどおりの仕事が続いていた。


 銀行口座の入出金確認。


 取引先への支払予定。


 翌日の給与振込に向けた準備。


 ただし、今日だけは一つ、いつもと違うことがあった。


 七月二十五日。


 明日の給与支払いに必要な資金が、まだ八百万円不足していた。


 その不足をどう埋めるのか。


 業務部の社員たちは、答えを待っていた。


     *


 会議室から、金目と高瀬が戻ってきた。


 三宅彩は、二人の姿を見て顔を上げた。


「……金目さん」


「はい?」


「……ちゃんと寝てはります?」


 金目は、少し驚いた顔をした。


「……何や、急に(笑)」


「いや、最近ずっと疲れた顔してはるから」


 三宅は、金目を見た。


 ここ数週間、金目は金融機関を回り、会社へ戻ってきては資金繰り表を確認していた。


 以前より、明らかに疲れた顔をしている。


 目の下には、うっすらと隈もできていた。


「……まあ、ちょっと銀行回りすぎたかな」


 金目は、苦笑した。


「……ほんま、無理せんといてくださいね」


「ありがとう」


 金目は、うなずいた。


「……ほな、ちょっとお願いがあるんですけど」


     *


 高瀬が、三宅へ声をかけた。


「三宅さん、少しお時間いただけますか」


「はい。何でしょうか」


「経理処理について、確認をお願いしたいことがあります」


 三宅は、手元の資料を閉じた。


「承知しました」


 高瀬は、業務部の奥にある打ち合わせスペースを示した。


「こちらでお願いします」


 三人は、ほかの社員から少し離れた場所へ移動した。


 業務部の区画は、執務スペースから仕切られている。


 普段から給与や経理に関する確認が行われる場所だった。


 ただ、今日の三人の様子は、いつもより少し違っていた。


     *


「……三宅さん」


 高瀬が、資料を開いた。


「はい」


「明日の給与支払いについて、最終的な不足額が確定しました」


「……八百万円ですね」


「はい」


 三宅は、うなずいた。


「追加の融資も、間に合わなかったんですね」


「そうですね」


「……では、どうされるんですか?」


 高瀬は、金目へ目を向けた。


 金目が口を開いた。


「……俺から会社に貸すことにしたんよ」


 三宅は、金目を見た。


「……はい?」


「八百万円」


 金目は、少し笑った。


「会社に貸します」


     *


 三宅は、しばらく言葉を失った。


「……八百万円、ですか?」


「うん」


「……金目さんの、個人のお金を?」


「せやで」


「……ほんまに?」


「ほんまや(笑)」


 金目は、うなずいた。


「ただ、会社に貸すだけやで。返してもらうつもりやからな」


 三宅は、資料へ目を落とした。


 八百万円。


 それは、今の会社にとって、明日の給与支払いを左右する金額だった。


     *


「……金目さん」


 三宅が、少し声を落とした。


「はい?」


「……そこまでして、ええんですか?」


 金目は、少し考えた。


「……まあ、返してもらうつもりやし」


「……でも」


「それに、八月以降の入金予定も確認したんよ」


 金目は、資料を指した。


「返してもらえる見込みがまったくないんやったら、俺も出されへん」


 三宅は、うなずいた。


「……そうですね」


「ただ、今の状況やったら、まだ会社を続けられる可能性はあると思う」


 金目は、少し笑った。


「ほな、明日の給料を払えへんいう理由だけで、止めるんはもったいないやろ」


     *


 三宅は、金目の顔を見た。


 疲れた表情は、変わっていなかった。


 しかし、金目の言葉に迷いはなかった。


「……承知しました」


 三宅は、資料を開いた。


「ほな、経理の方は私が確認します」


「お願いします」


「ただし、金目さん」


「何や?」


「ちゃんと返してもらってくださいね」


 金目は、少し笑った。


「そらそうや(笑)」


「会社のお金と、社長のお金は別ですから」


「……ほんま、それやな」


     *


 午前十時十五分。


 高瀬は、金曜日までに準備していた資料を開いた。


 役員からの短期借入。


 貸付金額、八百万円。


 貸付条件。


 返済方法。


 そして、必要な社内手続き。


「……金目さん、こちらの内容で確認をお願いします」


「はい」


 金目は、資料を読み進めた。


 会社への貸付であること。


 返済を前提とすること。


 ただし、会社の資金繰りに支障が出るような返済は行わないこと。


 金目は、一つずつ確認した。


     *


「……高瀬さん」


「はい」


「返済の時期は、会社の資金繰りを見て判断する形でええんですよね」


「はい。契約上の条件を明確にしたうえで、実際の返済は会社の支払能力を踏まえて行う必要があります」


「了解です」


「また、必要な社内承認と記録についても、確認した手順で進めます」


「お願いします」


 三宅は、経理処理の資料を開いた。


 会社が八百万円を借り入れる。


 その結果、現預金が増える。


 しかし、同時に返済すべき負債も増える。


 資金が確保できたからといって、会社の利益が増えるわけではない。


 三宅は、仕訳の内容を確認した。


     *


 午前十一時。


 金目は、自分の取引銀行の画面を開いていた。


 金曜日に確認した送金方法。


 振込限度額。


 送金先の口座情報。


 必要な本人確認。


 いずれも、準備は済んでいた。


 金目は、振込金額を入力した。


 八、〇〇〇、〇〇〇円。


 送金先は、株式会社カナメの法人口座。


 金目は、金額をもう一度確認した。


「……高瀬さん、口座情報これで合っています?」


「はい。確認済みの口座情報と一致しています」


「ありがとうございます」


     *


 金目は、確認画面へ進んだ。


 振込金額。


 振込先。


 振込予定日。


 すべて確認する。


 そして、送金を実行した。


 画面に、受付完了の表示が出た。


「……送れました」


 金目が言った。


 高瀬は、うなずいた。


「ありがとうございます。会社側で着金を確認します」


 三宅は、銀行の入出金明細を開いた。


 まだ、表示は変わっていなかった。


     *


 午前十一時半。


 業務部の区画には、いつもより静かな空気が流れていた。


 三宅は、入出金明細を更新した。


 高瀬は、資金繰り表を開いている。


 金目は、少し離れた椅子に座っていた。


 ほかの業務部社員たちも、何か重要な確認が行われていることには気づいていた。


 しかし、何が進められているのかは知らない。


 福原は、社員から届いた問い合わせを整理しながら、ときどき三人の方へ目を向けていた。


     *


「……まだですね」


 三宅が言った。


「そうですね」


 高瀬が答えた。


「振込の受付は完了していますので、少し待ちましょう」


「はい」


 金目は、何も言わなかった。


 今さら、急かしても変わらない。


 必要な手続きは、すでに終えている。


 あとは、会社の口座へ資金が反映されるのを待つだけだった。


     *


 しばらくして。


 三宅は、もう一度入出金明細を更新した。


 画面に、新しい入金が表示された。


 三宅の手が止まった。


 振込元。


 金額。


 入金日。


 一つずつ確認する。


「……高瀬さん」


「はい」


 三宅は、画面を指した。


「……入りました」


 高瀬が、画面を確認した。


「金額は?」


「八百万円。間違いありません」


     *


 高瀬は、入金明細と貸付資料を照合した。


 八百万円。


 金目から会社への貸付金。


 金額も、振込元も一致している。


 高瀬は、資金繰り表を更新した。


 七月二十五日。


 給与を含む支払いに必要な資金。


 不足額、ゼロ。


 高瀬は、もう一度数字を確認した。


 そして、金目へ顔を向けた。


「……金目さん」


「はい」


「明日の給与支払いに必要な資金を確保できました」


 金目は、うなずいた。


「……ほな、予定どおりお願いします」


     *


 三宅は、画面を見つめていた。


 創業期から、何度も会社の数字を見てきた。


 初めてまとまった売上が入ったとき。


 社員が増えたとき。


 大きな契約が決まったとき。


 そのたびに、会社の口座残高は変わってきた。


 しかし、今日の八百万円は、それらとは違った。


 金目が、自分の資金を会社へ貸したお金だった。


「……金目さん」


 三宅が声をかけた。


「はい?」


「……ありがとうございます」


 金目は、少し驚いた顔をした。


「……何で三宅さんがお礼言うんよ(笑)」


 三宅は、少し笑った。


「……長いこと、この会社のお金を見てきましたから」


     *


 金目は、少し黙った。


 そして、うなずいた。


「……こちらこそ、ありがとう」


 三宅は、顔を上げた。


「高瀬さんも、三宅さんも、ずっと資金繰りを確認してくれとったやろ」


「……はい」


「銀行さんから三百万円借りられたんも、入金をちゃんと確認できたんも、二人が動いてくれたからや」


 高瀬は、静かに頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 金目は、少し笑った。


「ほな、最後までお願いします」


「承知しました」


 三宅も、うなずいた。


「任せといてください」


     *


 午後一時。


 業務部では、翌日の給与支払いに向けた最終確認が進められていた。


 必要な資金は、会社の口座に揃っている。


 ただし、給与が社員の口座へ振り込まれたわけではない。


 高瀬と三宅は、金曜日に確認した手順に沿って、振込データと承認状況を確認した。三宅は、入出金明細と経理資料も照合していた。


 金目は、二人の作業を見守っていた。


 午前中まで、八百万円が不足していた。


 今、その不足は解消されている。


 しかし、まだ一つ、仕事が残っていた。


 明日の給与を、予定どおり支払うこと。


 そのための確認が、静かに続いていた。


 午後一時半。


「……高瀬さん」


 三宅が声をかけた。


「はい」


「振込データと支給額の照合、終わりました」


「ありがとうございます。承認状況は?」


「確認できています」


 高瀬は、銀行側の受付結果を確認した。


 金曜日までに準備していた手順。


 今日、資金を確保したあとに行う確認。


 そして、翌日の振込指定。


 いずれも、予定どおり進んでいた。


「……金目さん」


 高瀬が顔を上げた。


「はい」


「明日の給与振込について、必要な手続きが完了しました」


 金目は、少しだけ息を吐いた。


「……ありがとうございます」


     *


 そのとき、業務部の入口から声がした。


「……金目、ちょっとええか?」


 西田だった。


「おお。何や?」


「明日の給料、どうなりそうや?」


 金目は、高瀬へ目を向けた。


 高瀬が、うなずいた。


「……大丈夫やで」


 西田は、顔を上げた。


「……大丈夫?」


「うん。必要な資金は確保できた。振込の手続きも済んどる」


 西田は、一瞬、言葉を止めた。


「……ほんまか!」


「ほんまや」


「……よかったなあ」


 西田は、椅子の背もたれに手を置いた。


 ここ数週間、何度も聞いてきた資金不足の話。


 ようやく、明日の給与について答えが出た。


     *


「……で、銀行から追加で借りられたんか?」


 西田が尋ねた。


「いや」


「……ほな、どこから?」


 金目は、少し笑った。


「俺から貸した」


 西田は、金目を見た。


「……は?」


「会社に貸したんよ」


「……お前が?」


「せやで」


「……いくら?」


「八百万」


 西田は、言葉を失った。


     *


「……お前なあ」


 西田が、ようやく口を開いた。


「何や?」


「そういう話、先に言えや」


 金目は、少し考えた。


「……いや、まだ決めてへんかったし」


「……そういう問題ちゃうやろ」


「せやけど、もう入金済んだで?」


「……そこやないねん!」


 三宅が、思わず笑った。


 高瀬も、少しだけ表情を緩めた。


     *


「……金目」


 西田が、少し声を落とした。


「何や?」


「俺かて、多少は覚悟しとったんやで」


 金目は、顔を上げた。


「……何を?」


「運転資金や」


「……ほう」


「百万円くらいやったら、俺も何とかしようと思っとった」


 金目は、少し黙った。


「……そうやったんか」


「せや」


 西田は、苦笑した。


「まさか、お前が八百万も出すとは思わんかったけどな」


     *


「……西田」


 金目が言った。


「何や?」


「ありがとうな」


 西田は、少し驚いた顔をした。


「……何や、急に」


「いや、そこまで考えてくれとったんやなと思って」


「……当たり前やろ」


 西田は、少し笑った。


「俺かて、この会社の取締役やで」


 金目は、うなずいた。


     *


「……でもな」


 金目が続けた。


「何や?」


「今は、その百万円は持っといてくれ」


「……何でや?」


「西田にも生活があるやろ」


 西田は、少し考えた。


「……お前かて、そうやろ」


「そらそうや」


 金目は、少し笑った。


「でも、俺は今のところ大丈夫や。そこはちゃんと分けて考えとる」


「……せやな」


「それに、会社として必要な金額は確保できたからな」


 西田は、うなずいた。


     *


「……金目」


 西田が、少し声を落とした。


「何や?」


「……ありがとうな」


 金目は、少し困ったように笑った。


「……何でお前まで礼言うんよ」


「そら、俺もこの会社の取締役やからな」


 西田は、金目を見た。


「……一人で背負わせてもたな」


 金目は、首を横に振った。


「いや、ちゃうで」


「……何が?」


「会社に返してもらうつもりやし」


「……せやな」


「それに、返せる見込みがあるから貸したんや」


 西田は、うなずいた。


「……わかっとる」


     *


「……ほな、西田」


 金目が言った。


「何や?」


「ちゃんと返せる会社にしてや」


 西田は、少し笑った。


「……任せとけ」


 二人は、うなずき合った。


 高瀬は、資料へ目を戻した。


 三宅も、経理処理の確認を続けていた。


 明日の給与は、予定どおり支払われる。


 ただし、会社の再建が終わったわけではなかった。


     *


 午後三時。


 株式会社カナメの社員たちに、臨時の全社員集会の案内が届いた。


 開始時刻は、午後四時。


 議題は、七月二十五日の給与支払いについて。


 突然の案内だった。


 社員たちは、何か新しい問題が起きたのではないかと考えた。


 営業部では、大本恭平が松井慎吾へ声をかけていた。


「……松井さん、臨時集会ですって」


「そうですね」


「……何でしょうね」


 松井は、案内を確認した。


「給与について、とありますね」


「……そうですね」


 大本は、少し黙った。


 七月二十日の報告では、まだ八百万円が不足する見込みだった。


 それから、週末を挟んで四日。


 今日が、金目の約束した最終期限だった。


     *


 午後四時。


 臨時の全社員集会が始まった。


 金目は、参加者の一覧を確認した。


 高瀬、西田、小坂。


 そして、各部署の社員たち。


 全員が揃ったことを確認してから、金目は口を開いた。


「……皆さん、お疲れさまです」


 いつもと変わらない声だった。


「急に集まっていただいて、すみません」


 金目の顔には、ここ数週間の疲れが残っていた。


 それでも、今日の表情は少しだけ明るかった。


「……今日は、一つご報告があります」


     *


「明日、七月二十五日の給与についてですが」


 金目は、少し間を置いた。


「必要な資金を確保できました」


 数秒間、誰も声を出さなかった。


「ですので、明日の給与は、予定どおりお支払いします」


 画面の向こうで、何人かの社員が顔を上げた。


 隣の社員と顔を見合わせる人もいた。


 ようやく、誰かが口を開いた。


「……本当ですか?」


「はい」


 金目は、うなずいた。


「資金の確保と、支払いに必要な手続きを確認できています」


     *


 その言葉を聞いて、社員たちの表情が少しずつ変わっていった。


 田村は、椅子の背もたれに体を預けた。


 開発一課の社員たちも、明日の給与を心配していた。


 課長として、その不安を何度も聞いてきた。


 井上は、静かにうなずいた。


 運用の仕事は、明日も続く。


 その仕事を担う社員たちの生活も、ひとまず守られた。


     *


 営業部では、大本が、松井へ顔を向けた。


「……よかったですね」


「そうですね」


 松井も、少し笑った。


「……ほんま、よかったです」


 大本は、手元の資料を見た。


 新しく受注した仕事。


 その先の開発工程。


 まだ、やるべきことはたくさんある。


 でも、明日もその仕事を続けられる。


 それが、何よりうれしかった。


     *


 尾崎は、画面を見つめていた。


 明日の給与が支払われる。


 その知らせには、素直に安堵した。


 しかし、自分の将来についての判断は、まだ残っている。


 転職先企業からの正式な条件提示は、まだ届いていない。


 会社の資金繰りが一日つながったことと、自分がこの会社に残るかどうかは、別の問題だった。


     *


 業務部では、福原が静かに息を吐いた。


 相談窓口には、給与についての切実な声が何度も届いていた。


 明日の生活費を心配する社員。


 家族への説明に悩む社員。


 そして、会社を信じたいけれど、信じ切れない社員。


 その一つひとつを、福原は聞いてきた。


 今日、ようやく一つの答えが出た。


 福原は、手元のメモを閉じた。


     *


 その少し後ろで、三宅は金目を見ていた。


 午前中、八百万円が会社の口座へ入った瞬間を、三宅は知っている。


 金目がどれだけ疲れていたかも、知っている。


 そして、その八百万円が、会社にとってどれほど大きな意味を持つのかも。


 三宅は、何も言わなかった。


 ただ、金目が社員たちへ報告する姿を、静かに見つめていた。


 高瀬は、手元の資料を確認していた。


 資金は確保できた。


 必要な振込手続きも済んでいる。


 しかし、明日の支払い結果を確認するまでは、業務部の仕事は終わらない。


     *


「……ただし」


 金目が続けた。


「今回、明日の給与をお支払いできることと、会社の再建が完了したことは別です」


 社員たちは、静かに聞いていた。


「八月以降の資金繰りについても、引き続き確認を進めています」


「金融機関との協議も続けていますし、新しい仕事を増やす取り組みも続けます」


 金目は、少し間を置いた。


「……まずは、明日の給与について、ご心配をおかけしていたことをお詫びします」


 そして、頭を下げた。


「これからも、確認できたことはきちんとお伝えしていきます」


     *


 午後四時半。


 臨時集会が終わった。


 社員たちは、それぞれの仕事へ戻っていった。


 営業部では、大本が翌日の顧客打ち合わせ資料を開いた。


 開発部では、田村が担当者の配置を確認している。


 井上は、運用予定を見直していた。


 尾崎も、開発二課の仕事へ戻った。


 業務部では、福原が相談窓口の記録を更新していた。


 いつもと同じ仕事だった。


 しかし、社員たちの表情は、少しだけ明るくなっていた。


     *


 午後四時四十五分。


 金目は、業務部の区画へ戻っていた。


 三宅が、声をかけた。


「……金目さん」


「はい?」


「今日は、皆さんの顔が少し明るくなりましたね」


 金目は、少し考えた。


「……せやな」


「……よかったですね」


 金目は、うなずいた。


「……うん」


 少し間を置いた。


「……ほんま、よかった」


 三宅は、少し笑った。


 高瀬も、静かにうなずいた。


     *


 金目は、椅子に腰を下ろした。


 いつもなら、すぐに次の資料を開いていただろう。


 八月の資金繰り。


 九月の入金予定。


 そして、金融機関との協議状況。


 やるべきことは、まだ残っている。


 しかし、今は少しだけ、何もしなかった。


 ここ数週間、ずっと考えてきたこと。


 七月二十五日。


 その日を、ようやく迎えられる。


 金目は、静かに息を吐いた。


     *


 午後五時半。


 高瀬と三宅は、翌日の給与支払いに向けた最終確認を終えていた。


 必要な資金は、会社の口座に揃っている。


 振込データも、銀行側で受け付けられている。


 あとは、翌日の支払い結果を確認するだけだった。


「……金目さん」


 高瀬が声をかけた。


「はい」


「明日の給与支払いについて、必要な準備は完了しています」


「ありがとうございます」


 金目は、二人へ目を向けた。


「……高瀬さん、三宅さん」


「はい」


「ほんま、ありがとうございました」


 三宅は、少し笑った。


「……まだ明日の確認が残ってますよ(笑)」


 金目も、少し笑った。


「……せやな(笑)」


     *


 2034年7月24日、月曜日。


 株式会社カナメでは、七月二十五日の給与支払いに必要な資金が確保された。


 その裏側を知っている社員は、わずかだった。


 しかし、社員たちは、明日の給与が予定どおり支払われることを知った。


 会社の再建は、まだ終わっていない。


 それでも、今日だけは、一つの約束を守ることができた。


 明日の給与支払いは、もう願いではなかった。


 実行を待つ、確かな予定になっていた。

お読みいただきありがとうございます。旭月です。


今回は、七月二十四日のカナメをお届けしました。


金目が決断した八百万円の貸付。


決して小さな金額ではありませんし、会社から返済される保証があるわけでもありません。


それでも金目が決断できたのは、これまで社員たちが積み重ねてきた仕事と、今後の入金見通しがあったからこそです。


そして、その決断を実際の資金へとつなげた高瀬と三宅。


事実を知って驚きながらも、自分も会社を支える覚悟があったことを明かした西田。


それぞれが、自分の立場で会社を守ろうとしていました。


金目が用意したのは、会社がもう少し先へ進むための時間だったのかもしれません。


午後四時。


社員たちへ、ようやく明るい知らせを届けることができました。


会社の再建は、まだ終わっていません。


それでも、この日だけは、金目にも少しだけ安心してもらいたいと思います。


次回は、七月二十五日。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

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