それぞれの答え
2034年6月23日、金曜日。
大阪・本町。
株式会社カナメでは、三度目の全社員説明会から一夜が明けていた。
前日の説明会で、金目は今後の事業方針を示した。
既存契約を維持しながら、新しい開発案件と運用支援を増やすこと。
特定の大口取引先への依存を減らすこと。
そして、現時点では社員全員の雇用を保証できないこと。
その中で、金目は一つ、社員たちを驚かせる発言をしていた。
――自分が社員だったら、転職活動を始めると思います。
その言葉をどう受け止めるかは、人によって違っていた。
*
午前九時。
基盤運用課では、井上修一が前日の説明会の資料を確認していた。
現在継続している運用契約。
今後の更新予定。
そして、担当者の配置。
どれも、今の仕事を続けるために必要な情報だった。
「……井上さん」
若手社員が声をかけた。
「何や?」
「昨日の説明会、どう思いました?」
井上は、画面から目を上げた。
「……どういう意味や?」
「社長の話です」
「……ああ」
*
「自分が社員やったら転職活動を始めるって」
若手が言った。
「せやな」
「正直、ちょっと驚きました」
「……まあ、そうやろな」
井上は、うなずいた。
「……井上さんは、転職とか考えないんですか?」
井上は、少し考えた。
「……考えへんわけちゃうで」
「……そうなんですか?」
「そら、会社がどうなるかわからんのやから」
「……そうですよね」
*
「……でもな」
井上が続けた。
「はい」
「今は、ここでやる仕事があるからな」
「……仕事、ですか?」
「せや」
井上は、運用予定の資料を示した。
「今も使ってくれとるお客様がおる」
「はい」
「そのお客様のシステムを、ちゃんと動かし続けなあかん」
「……そうですね」
「せやから、今はその仕事を続けようと思っとる」
若手は、うなずいた。
*
「……それって、会社に残るって決めたいうことですか?」
若手が尋ねた。
「……今のところはな」
井上が答えた。
「ただ、ずっと先まで決めたわけちゃうで」
「……なるほど」
「状況が変わったら、また考える」
井上は、少し笑った。
「社長も、そう言うとったやろ」
若手も、少し笑った。
「……確かに」
*
井上は、資料へ目を戻した。
来週の運用予定。
障害対応の担当。
そして、顧客との定例確認。
今のところ、どれも予定どおり進められる。
井上は、若手へ声をかけた。
「……ほな、今日の確認始めようか」
「はい!」
若手は、資料を開いた。
会社の将来は、まだわからない。
それでも、今の仕事は続いていた。
*
午前十時半。
営業部では、大本恭平が前日の説明会を思い返していた。
金目が、自分なら転職活動を始めると答えたこと。
そして、説明会のあと、偶然耳にした金目と西田の会話。
社長は、会社を諦めているわけではない。
ただ、社員に無理に残ってもらおうとはしていない。
大本は、そう受け止めていた。
「……松井さん」
「はい?」
「昨日の社長の話なんですけど」
「はい」
「やっぱり、ちょっと驚きました」
松井慎吾は、うなずいた。
「そうですね」
*
「……でも、社長は会社を残したいんですよね」
大本が言った。
「そうだと思いますよ」
「……ですよね」
「ただ、それと社員が残るかどうかは、別の話ですから」
大本は、少し考えた。
「……なるほど」
「社長は、社員の皆さんにも、自分で考えてほしいんだと思います」
「……そうですね」
*
そこへ、小坂千尋がやってきた。
「……お二人とも、少しよろしいですか?」
「はい」
松井が答えた。
「来週の商談について、確認したいことがあります」
大本は、資料を開いた。
「月曜日にお話ししたお客様の件ですね」
「そうです」
「現在、要件整理を独立した工程としてご提案する方向で、開発部と調整しています」
「ありがとうございます」
*
「……大本さん」
小坂が言った。
「はい」
「昨日の説明会について、いろいろ考えることはあると思います」
「……はい」
「ただ、今お客様とお約束していることは、きちんと進めましょう」
「もちろんです」
「そのうえで、ご自身の将来についても考えていただいて構いません」
大本は、少し驚いたように顔を上げた。
「……ありがとうございます」
小坂は、うなずいた。
「会社に残るかどうかと、今の仕事に責任を持つことは、別ですから」
*
大本は、資料へ目を戻した。
追加開発の相談。
要件整理の提案。
そして、まだ確定していない契約条件。
今、自分にできることはある。
それを進めながら、自分の将来についても考えればいい。
大本は、次の打ち合わせに向けて、確認事項を整理し始めた。
*
2034年6月24日、土曜日。
夜。
尾崎達也は、自宅のパソコンで求人情報を確認していた。
先週の日曜日、いくつか気になる求人を保存していた。
開発組織のマネジメント。
技術リーダー。
プロジェクト管理。
これまでの経験を生かせそうな仕事は、思っていたよりもあった。
ただ、実際に応募するかどうかは、まだ決めていなかった。
*
「……まだ見とるん?」
家族が声をかけた。
「……うん」
尾崎が答えた。
「ちょっと、気になるところがあってな」
「そうなんや」
家族は、隣に座った。
「……会社の説明会、どうやった?」
尾崎は、少し考えた。
「今後、どんな仕事を続けるかは聞けたで」
「うん」
「ただ、七月の給料が払えるかどうかは、まだわからんらしい」
家族は、少し黙った。
「……そうなんや」
*
「……社長もな」
尾崎が続けた。
「何て?」
「自分が社員やったら、転職活動始めると思うって言うとった」
家族が、少し驚いた顔をした。
「……社長が?」
「せや」
「……思い切ったこと言うんやね」
「……ほんまにな」
尾崎は、少し笑った。
*
「……でもな」
尾崎が続けた。
「うん?」
「俺、社長の言うこともわかる気がするんよ」
「……そうなん?」
「会社に残りたい気持ちはあるで」
「うん」
「今まで一緒にやってきた仲間もおるし、仕事も嫌いやない」
「せやな」
「でも、家のこと考えたら、ほかの選択肢も知っとかなあかんと思う」
家族は、うなずいた。
*
「……ほな、応募してみたらええんちゃう?」
家族が言った。
「……ええんかな」
「何が?」
「まだ、会社辞めるって決めたわけちゃうし」
家族は、少し笑った。
「応募したからって、絶対辞めなあかんわけちゃうやろ」
「……まあ、そうやな」
「残るかどうか決めるためにも、ほかの会社を見てみたらええと思うで」
尾崎は、少し考えた。
「……せやな」
*
尾崎は、保存していた求人の一つを開いた。
仕事内容。
勤務地。
勤務条件。
そして、求められる経験。
一つずつ確認した。
これまでの自分の経験と、大きく離れているわけではない。
ただ、実際に評価してもらえるかどうかは、応募してみなければわからない。
尾崎は、職務経歴書を添付した。
入力した内容を、もう一度確認する。
そして、応募ボタンを押した。
*
画面に、応募完了の表示が出た。
尾崎は、しばらくその画面を見ていた。
会社を辞めると決めたわけではない。
転職先が見つかったわけでもない。
それでも、自分の将来について、一つ行動を起こした。
「……送ったで」
尾崎が言った。
「そうなんや」
家族が答えた。
「……どう?」
「……ちょっと緊張するな」
尾崎は、少し笑った。
家族も、笑った。
「そら、そうやろな」
*
2034年6月25日、日曜日。
午後。
田村洋介は、自宅で翌週の予定を確認していた。
開発一課の担当案件。
課をまたいだ配置調整。
そして、自分自身が参加できる開発業務。
西田と相談しながら、少しずつ整理してきたものだった。
田村は、予定表を見直した。
仕事は、まだある。
ただ、以前と同じ形で続けられるとは限らない。
*
「……また仕事のこと考えとるん?」
家族が声をかけた。
「……まあな」
田村が答えた。
「最近、ずっとそんな感じやね」
「……せやな」
田村は、少し笑った。
「今、会社が大変やからな」
「うん」
「部下の配置も、いろいろ考えなあかんし」
家族は、うなずいた。
*
「……でもな」
家族が言った。
「何や?」
「会社のことばっかり考えとらん?」
田村は、少し黙った。
「……まあ、そうかもしれんな」
「自分のことも考えや」
「……せやな」
「今の会社に残るんもええし、ほかの仕事を探すんもええと思うで」
田村は、うなずいた。
*
「……ただ、俺は」
田村が言った。
「うん?」
「もう少し、今の会社でできることを考えたいんよ」
「……そうなんや」
「部下の配置も、まだ全部決まってへんし」
「うん」
「俺自身も、開発の仕事に入れるかもしれん」
家族は、少し考えた。
「……ほな、それをやってみたらええんちゃう?」
「……せやな」
*
「でも、自分のことも忘れんといてな」
家族が続けた。
「わかっとる」
「……ほんまに?」
田村は、少し笑った。
「……たぶん(笑)」
家族も、笑った。
「それ、信用できへんな(笑)」
田村は、うなずいた。
「……せやな(笑)」
*
田村は、予定表を閉じた。
会社に残ると決めたわけではない。
転職活動を始めると決めたわけでもない。
ただ、今はまだ、ここでできることがあると思っていた。
それを確かめてからでも、遅くはない。
田村は、そう考えていた。
*
2034年6月26日、月曜日。
大阪・本町。
株式会社カナメでは、新しい一週間が始まっていた。
先週の木曜日、金目は今後の事業方針を社員たちへ説明した。
会社として続けたい仕事。
まだ確保できていない仕事。
そして、七月二十五日の給与支払いについて、現時点では保証できないということ。
その説明を受けて、社員たちはそれぞれの将来を考え始めていた。
しかし、月曜日の朝になれば、いつもの仕事が始まる。
*
午前九時。
業務部では、三宅彩が入金管理表を確認していた。
週末を挟んで届いた入金通知。
今後の支払予定。
そして、回収見込みが確定していない売掛金。
金曜日から大きな変化はなかった。
「……高瀬さん」
三宅が声をかけた。
「はい」
「今朝の入金確認、終わりました」
「ありがとうございます」
「ほかのお客様からの入金は、予定どおりです」
「承知しました」
「ただ、主要取引先の分については、引き続き回収見込みが立っていません」
高瀬は、うなずいた。
「そちらは、資金繰り上も未回収として扱いましょう」
*
福原奈央は、社員向けの質問管理表を更新していた。
先週の説明会で寄せられた質問。
給与の見通し。
今後の雇用。
そして、会社の事業方針。
すでに回答された項目もある。
しかし、未回答のものも残っていた。
「……高瀬さん」
福原が声をかけた。
「はい?」
「こちらの質問について、次回報告までに確認できそうでしょうか」
高瀬は、資料を確認した。
「……そうですね。現時点では、まだ判断に必要な情報が揃っていません」
「承知しました」
「確認状況と、次にいつ報告するかを記載しておいてください」
「はい」
*
「……それから」
高瀬が続けた。
「はい?」
「相談窓口の運用についても、少し確認したいことがあります」
福原が顔を上げた。
「……何でしょうか?」
「相談担当者の負担を分散するための運用です」
「はい」
「三宅さんからも提案をいただいています」
福原は、三宅へ目を向けた。
三宅は、小さくうなずいた。
「相談を受ける担当者自身も、必要に応じて別の担当者へ相談できるようにしましょう」
高瀬が言った。
「……ありがとうございます」
福原が答えた。
*
「ただし、個別相談の内容については、引き続き必要な範囲で管理します」
高瀬が続けた。
「はい」
「会社として対応が必要な課題は、個人を特定できない形で整理します」
「承知しました」
福原は、うなずいた。
自分が三宅へ相談した内容は、高瀬へ伝わっていない。
それでも、相談窓口の改善は進んでいる。
福原は、運用資料を更新した。
相談する人も、相談を受ける人も、一人で抱え込まない。
そのための仕組みが、少しずつ整い始めていた。
*
午前十一時。
開発部では、西田が田村と尾崎を集めていた。
議題は、課をまたいだ人員配置。
田村は、自分自身も一部の開発案件へ参加するため、課長業務との調整を進めていた。
「……一課の方はどうや?」
西田が尋ねた。
「今のところ、配置候補は整理できとるで」
田村が答えた。
「ありがとう」
「俺自身も、少し開発に入れるように調整しとる」
「せやな」
「ただ、課長の仕事もあるから、全部は無理やけどな」
西田は、うなずいた。
*
「……尾崎のところは?」
西田が尋ねた。
「二課も、引き続き調整しとるで」
尾崎が答えた。
「ほう」
「ただ、必要な技術と経験が合わん案件もあるからな」
「せやな」
「そこは、教育期間も含めて考えたい」
「了解」
西田は、資料を確認した。
「……ほな、まずは無理なく動かせるところから進めよう」
「せやな」
田村が答えた。
*
尾崎は、資料を見ていた。
土曜日の夜、自宅で転職先へ応募した。
まだ、返事は届いていない。
会社を辞めると決めたわけでもない。
ただ、自分の将来について、初めて社外へ向けて行動した。
しかし、そのことと、今の仕事は別だった。
開発二課の社員たちは、今日も自分の判断を待っている。
尾崎は、資料を切り替えた。
「……西田、ここの配置なんやけど」
「何や?」
「一課から応援をもらえるなら、来月の作業を少し調整できると思う」
「なるほど」
田村が、資料を確認した。
「……そこなら、候補はおるで」
*
三人は、担当者の経験と作業内容を照らし合わせた。
必要な教育期間。
現在の案件への影響。
そして、本人の希望。
条件が合えば、課をまたいだ配置も可能だった。
ただし、それによって仕事の総量が増えるわけではない。
「……ほな、ここは候補として残そうか」
西田が言った。
「了解」
尾崎が答えた。
田村も、うなずいた。
*
午後二時。
営業部では、小坂千尋が松井慎吾と大本恭平を集めていた。
大本が担当する追加開発の商談について、顧客から新しい返答が届いていた。
「……大本さん、先方からご連絡があったんですね」
小坂が尋ねた。
「はい!」
大本は、資料を共有した。
「要件整理を独立した工程として進める案について、前向きに検討していただけるそうです」
「なるほど」
「ただし、まだ正式な発注ではありません」
小坂は、うなずいた。
「そうですね」
*
「……松井さん、どう思われますか?」
小坂が尋ねた。
「よい方向に進んでいると思います」
松井が答えた。
「ただ、費用と成果物の範囲について、もう少し具体的にする必要がありますね」
「そうですね」
「開発部と相談して、要件整理で何を納品するのか明確にした方がよいと思います」
大本がうなずいた。
「承知しました」
*
「……大本さん」
小坂が言った。
「はい」
「今回の商談、よく進めてくださっています」
「ありがとうございます!」
「ただ、まだ受注が確定したわけではありません」
「はい」
「ですので、今の段階では売上見込みの区分は変更しません」
「承知しました」
大本は、資料を更新した。
商談継続。
要件整理の独立発注を検討。
費用・成果物の範囲を確認中。
正式契約は未確定。
*
大本は、資料を保存した。
少しずつ、前に進んでいる。
しかし、まだ売上になったわけではない。
会社が大変な状況だからこそ、早く結果を出したい気持ちはあった。
それでも、無理に話を進めるわけにはいかない。
大本は、次に確認する項目を整理した。
*
午後五時半。
金目と西田は、会議室で今日の状況を確認していた。
「……開発部の方はどうや?」
金目が尋ねた。
「三課で配置調整を続けとるで」
西田が答えた。
「ありがとう」
「田村も、一部の開発案件へ入れるように調整しとる」
「ほう」
「ただ、まだ全員分の仕事はないな」
「……せやな」
金目は、うなずいた。
*
「……営業部は、少し進んだみたいやな」
金目が言った。
「せやな」
「大本君の案件、要件整理から進められるかもしれん」
「うん」
「ただ、まだ正式な契約ではないんよな」
「せや」
西田は、うなずいた。
「決まったら、開発部でも対応できるように準備しとくわ」
「頼むで」
*
金目は、翌週の予定を確認した。
金融機関との協議。
営業部の商談状況。
開発部の配置調整。
そして、七月二十五日の給与支払いに向けた資金繰り。
やるべきことは、まだ多かった。
「……高瀬さんにも、来週の資金繰りを確認してもらおうか」
金目が言った。
「せやな」
「小坂さんには、商談の進捗を」
「うん」
「西田は、引き続き開発部を頼むで」
「了解」
*
午後六時半。
金目は、自席へ戻った。
今日の報告を整理する。
金融機関からの回答は、まだない。
新しい受注も、まだ確定していない。
しかし、会社を続けるための仕事は、少しずつ進んでいる。
金目は、資料を保存した。
社員たちが、今どんなことを考えているのか。
すべてを知ることはできない。
そして、知る必要のないこともある。
ただ、会社としてできることは進めなければならなかった。
*
2034年6月26日、月曜日。
株式会社カナメでは、それぞれが自分の判断で動き始めていた。
井上は、今の仕事を続けることを選んだ。
大本は、顧客との商談を進めている。
田村は、社内で自分の経験を生かす方法を探していた。
尾崎は、会社の外にも目を向け始めた。
そして金目たちは、会社を続けるための方法を探し続けていた。
まだ、誰も将来の答えを出したわけではない。
それでも、それぞれの答えへ向けて、一歩ずつ進んでいた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、三度目の全社員説明会を終えたカナメで、それぞれの社員がどのように動き始めたのかを描きました。
井上は、今ある仕事を続けることを選びました。
大本は、目の前のお客様との商談を進めています。
田村は、自分の経験を社内で生かす方法を探し、尾崎は初めて社外の求人へ応募しました。
同じ会社で、同じ説明を聞いていても、考えることや選ぶ行動は違います。
会社に残ることが正解とも、転職することが正解とも限りません。
そして、転職活動を始めたからといって、すぐに会社を辞めると決めたわけでもありません。
大切なのは、それぞれが自分の事情と向き合い、納得できる選択をすることなのかもしれません。
一方、金目たちも、会社を続けるためにできることを進めています。
社員たちの将来と、会社の将来。
その答えが必ずしも同じ方向を向くとは限りません。
それでも、今日の仕事は続いていきます。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




