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カナメ -君はどう考える?-  作者: 旭月
第五章 守りたいもの
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待つ理由

 2034年6月12日、月曜日。


 大阪・本町。


 株式会社カナメでは、主要取引先の法的整理が判明してから、一週間が経っていた。


 先週の金曜日、全社員へ一通の通知が送られていた。


 代表取締役の金目と、取締役の西田。


 二人の役員報酬を全額返上するという基本方針だった。


 実施時期や必要な手続きは、まだ確認中。


 それでも、経営陣が自ら負担を引き受けようとしていることは、社員たちにも伝わっていた。


 ただ、その知らせをどう受け止めるかは、人によって違っていた。


     *


 午前九時。


 業務部では、福原奈央が入金管理表を開いていた。


 週末を挟んで届いた通知と、今後の支払予定を照合する。


 ほかの顧客からの入金は、予定どおり確認できていた。


 しかし、法的整理に入った主要取引先からの入金は、まだ確認できていない。


「……高瀬さん」


 福原が声をかけた。


「はい?」


「今朝の入金確認、終わりました」


「ありがとうございます」


「対象取引先からの入金は、ありませんでした」


「承知しました」


 高瀬は、資料を確認した。


「ほかのお客様からの入金は?」


「予定どおりです」


「ありがとうございます。では、資金繰り表へ反映しましょう」


     *


 福原は、入金済みのものと、今後の入金予定を分けて入力した。


 回収見込みが確定していないものには、別の印をつける。


「……金曜日から、あまり変わっていませんね」


 福原が言った。


「そうですね」


 高瀬は、支払予定の欄を指した。


「ただ、支払日までは三日進みました」


「……あ」


 福原は、画面を見た。


 残高が大きく変わらなくても、次の支払日は近づいている。


「残高だけではなく、支払日までの日数も確認しましょう」


「はい」


 福原は、管理表に新しい項目を追加した。


 ――支払日までの残日数。


 その数字は、明日になればまた一つ減る。


     *


 午前九時四十分。


 営業部では、大本恭平が金曜日の社内通知を読み返していた。


「……松井さん」


「はい?」


「社長たち、ほんまに給料なくすんですね」


 松井慎吾は、画面から目を上げた。


「正確には役員報酬ですね。実施時期はまだ確認中ですけど」


「……そうでした」


 大本は、通知を見直した。


「でも、そこまでしてくれるんやなって」


「そうですね」


 松井は、うなずいた。


「ただ、それだけ会社の状況が厳しいということでもあります」


「……ああ」


「役員報酬をなくしても、失われた売上が戻ってくるわけではありませんから」


 大本は、少し黙った。


     *


 金目たちが、自分たちの報酬をなくそうとしている。


 その決断には、頭が下がる思いだった。


 しかし、そこまでしなければならないほど、会社の状況は厳しいのだろうか。


 安心したような気持ちと、かえって不安になる気持ち。


 その両方があった。


「……松井さん」


「はい?」


「金曜日に整理したお客様へ、今日連絡してみようと思います」


「そうですね」


「まずは、今もご相談の必要があるか確認してみます」


「お願いします」


 松井は、少し考えた。


「ただ、急いで発注していただこうとはしなくて大丈夫ですよ」


「はい」


「お客様の事情もありますから」


「了解です」


 大本は、過去の商談記録を開いた。


     *


 同じ頃。


 開発一課では、田村洋介が西田から届いた配置資料を確認していた。


 その横には、金曜日の社内通知が開かれている。


「……ほんまに、全額か」


 田村は、小さくつぶやいた。


 西田とは、これまで何度も開発部の仕事について相談してきた。


 案件の進め方。


 部下の育成。


 そして、担当者の配置。


 その西田が、自分の報酬をなくすという。


 取締役として経営責任があることは理解している。


 しかし、西田自身にも生活がある。


 田村は、社内チャットを開いた。


『西田、報酬の件、無理だけはせんといてな』


 少しして、返信が届いた。


『ありがとう。そっちも無理せんといてな』


 田村は、少し笑った。


「……お互い様やな」


 そして、配置資料へ戻った。


     *


 開発二課では、尾崎達也が同じ通知を確認していた。


 金目と西田が、役員報酬を全額返上する。


 その決断には、頭が下がる思いだった。


 しかし、週末に家族と確認した家計の数字も、頭に残っている。


 毎月の生活費。


 今後の支払い。


 そして、もし収入が変わった場合のこと。


 経営陣の決断は、ありがたい。


 ただ、それによって自分の将来が決まるわけではなかった。


 尾崎は、通知を閉じた。


 今は担当する仕事を進める。


 そして、自分の将来についても考え続ける。


 その二つを、分けて考えることにした。


     *


 午前十時。


 金目と高瀬は、取引金融機関とのオンライン打ち合わせに臨んでいた。


 先週、運転資金について初回の相談を行っている。


 決算書や試算表、資金繰り表など、準備できた資料はすでに送付していた。


 しかし、融資についての結論は、まだ出ていない。


「先日お送りいただいた資料を確認しました」


 金融機関の担当者が言った。


「ありがとうございます」


 金目が答えた。


「現在の財務状況については、一定の確認ができています。ただ、今後の事業見通しについて、もう少し詳しく確認させてください」


「もちろんです」


     *


「今回の主要取引先についてですが」


「はい」


「今後の売上を見込まない場合、どのように事業を継続されるお考えでしょうか?」


 金目は、資料を開いた。


「現在、既存のお客様との契約を継続しながら、新しい受注機会を整理しています」


「なるほど」


「また、不要不急の支出を見直し、役員報酬についても全額返上する基本方針を決めました」


「そうですか」


「ただし、それだけで失われた売上を補えるとは考えていません」


 担当者は、うなずいた。


「今後の売上見通しについて、確定している契約と、受注見込みの案件を分けていただけますか?」


「承知しました」


     *


「それから、必要となる運転資金の規模についても、詳しく確認したいと思っています」


 担当者が続けた。


 高瀬が口を開いた。


「現在、支払日ごとの資金繰りを整理しています」


「ありがとうございます。そちらもご提出をお願いします」


「承知しました」


 金目は、少し考えた。


「……ちなみに、融資については、いつ頃までに見通しが立ちそうでしょうか?」


 担当者は、資料を確認した。


「現時点では、具体的な時期をお約束することは難しい状況です」


「……そうですか」


「追加資料を確認したうえで、審査を進めることになります」


「承知しました。必要な資料を優先して準備します」


     *


 打ち合わせを終えたあと。


 金目は、高瀬と資金繰り表を見直していた。


「……まあ、すぐには決まらんわな」


「そうですね」


「ただ、確認すべきことは明確になりました」


 高瀬が答えた。


「……せやな」


 金目は、支払予定の欄を見た。


「向こうの審査が終わるまで、こっちの支払いは待ってくれへんしな」


「はい」


「直近の給与は大丈夫なんですよね?」


「現時点で確認できている資金残高では、対応可能です」


「了解です」


「ただし、その次の給与については、今後の入金状況によって変わります」


 金目は、うなずいた。


     *


「……高瀬さん」


「はい」


「金融機関からの回答、いつまで待てます?」


 高瀬は、別の資料を開いた。


「通常の手続きで資金調達を進めるには、一定の期限があります」


「……なるほど」


「その期限を過ぎると、融資が認められても必要な支払日に間に合わない可能性があります」


 金目は、少し考えた。


「……ほな、そこを分けましょうか」


「といいますと?」


「金融機関からの回答を待つ期限と、別の対応を判断する期限です」


「承知しました」


「待てるところまでは待つ。でも、間に合わんようになるまで待つんは違うと思うんです」


 高瀬がうなずいた。


「その方針で整理します」


     *


 正午。


 金目は、更新された資金繰り表を確認していた。


 金融機関への追加資料提出。


 事業計画の再作成。


 そして、資金繰り上の判断期限。


 会社が次の判断をするために、確認すべきことは少しずつ明確になってきた。


 しかし、必要な資金が確保できたわけではない。


 金目は、資料を保存した。


 午後には、社員たちの個別相談も予定されている。


     *


 午後一時十五分。


 福原奈央は、小さな会議室へ入った。


 そこには、三宅彩が待っていた。


 福原が相談相手として希望した、創業期からの先輩だった。


「……三宅さん、お時間いただいてありがとうございます」


「ええよ。座り」


 三宅は、いつもと変わらない調子で答えた。


「……何から話したらええかわからないんですけど」


「順番なんか気にせんでええよ。話したいことから話し」


 福原は、少しだけ笑った。


     *


「……私、皆さんの相談を受け付ける仕事をしてるじゃないですか」


「せやな」


「でも、私自身も会社のこれからが不安で」


 三宅は、黙って聞いていた。


「皆さんから相談されたとき、ちゃんと答えなあかんと思うんです」


「うん」


「でも、わからないことばかりで……」


 福原は、少し俯いた。


「私が不安そうにしてたら、余計に心配させてしまうんじゃないかって」


 三宅は、少し考えた。


「……福原さん」


「はい」


「私も、不安やで」


 福原が顔を上げた。


「……三宅さんでも、ですか?」


「そらそうや。長くおるからって、未来まで知っとるわけちゃうしな」


     *


「最初は、今みたいに人も多くなかったんよ」


 三宅が続けた。


「はい」


「仕事のやり方も何回も変わったし、少しずつ人も増えてきた」


「そうですね」


「せやから、今の状況は寂しいし、怖いで」


 三宅は、少し笑った。


「でもな、相談を受けることと、答えを出すことは別やろ」


「……別、ですか?」


「せや。わからんことを、わかったように答える方が困るやん」


 福原は、うなずいた。


「……そうですね」


「確認が必要なら確認する。すぐに答えられへんことは、いつ返事するか伝える。それでええと思うで」


     *


「……三宅さん」


 福原が、少し迷いながら尋ねた。


「何や?」


「こういう相談って、高瀬さんや金目さんにも伝わるんでしょうか」


 三宅は、うなずいた。


「……福原さんは、どうしてほしい?」


「できれば、今はまだ伝えてほしくないです」


「ほな、そうしよか」


「……ええんですか?」


「相談したからいうて、何でも上に報告する必要はないやろ」


 三宅は、続けた。


「ただ、会社として対応が必要なことが出てきたら、誰かに話を通さなあかん場合もある。そのときは、まず相談するわ」


「……ありがとうございます」


「誰に、何を伝えるか。一緒に考えたらええ」


 福原は、少しだけ肩の力を抜いた。


     *


「……でも、相談窓口の担当者が一人で抱え込まんようにする仕組みは、必要やと思うで」


 三宅が言った。


「はい」


「それを提案するために、福原さんが今日何を話したかまで伝える必要はないやろ?」


 福原は、少し考えた。


「……確かに、そうですね」


「ほな、仕組みの話だけ相談したらええんちゃう?」


「……はい」


 福原は、うなずいた。


「それなら、私にもできそうです」


     *


 午後二時前。


 面談を終えた福原は、自席へ戻った。


 相談窓口の運用資料を開く。


 相談担当者自身も、必要に応じて相談できること。


 負担が大きい場合は、別の担当者へ引き継げること。


 個別の相談内容を共有する場合は、原則として本人の意向を確認すること。


 ただし、安全や法令上の問題など、必要な対応を行うための例外は別途整理する。


 福原は、修正案を保存した。


 まだ正式な運用変更ではない。


 高瀬に確認してもらう必要がある。


 それでも、今日一つだけ、できることが増えた。


     *


 一方、三宅は会議室に残っていた。


 福原が座っていた椅子を見た。


 創業期から働いてきた会社。


 少しずつ増えてきた社員。


 そして、今はその社員たちが、それぞれの将来を心配している。


 三宅自身も、不安がないわけではなかった。


 この会社が、これからどうなるのか。


 その答えを、三宅も持っていない。


 ただ、福原が話をして帰っていった。


 それは、よかったと思った。


 会議室を出る前に、三宅は自分の予定表を開いた。


 午後には、いつもの経理業務が残っている。


 請求書の確認。


 支払予定の照合。


 そして、明日の入金確認。


 会社の先行きがわからなくても、今日の仕事はまだあった。


     *


 2034年6月12日、月曜日。


 主要取引先の法的整理が判明してから、一週間。


 株式会社カナメでは、金融機関との協議が続いていた。


 金目たちは、必要な資金を確保するために動いている。


 社員たちは、金曜日に発表された役員報酬返上の方針を、それぞれの立場で受け止めていた。


 そして業務部では、一人の社員が、ようやく自分の不安を口にすることができた。


 福原が相談したことで、会社の資金繰りが改善したわけではない。


 給与や雇用の見通しが明らかになったわけでもない。


 それでも、相談窓口を担当する福原自身にも、相談できる相手がいた。


 そのことは、確かだった。


     *


 三宅は、経理資料を開いた。


 確認すべき数字が並んでいる。


 入金予定。


 支払予定。


 そして、まだ回収の見通しが立たない売掛金。


 三宅は、次の請求書を開いた。

お読みいただきありがとうございます。旭月です。


今回は、主要取引先の倒産から一週間が経ったカナメの様子をお届けしました。


金目たちは、金融機関との協議を進めています。


必要な資料を揃え、資金繰りを見直し、できることを一つずつ進めていますが、まだ答えは出ていません。


一方、社員たちも、それぞれの立場で会社の状況を受け止めています。


役員報酬の全額返上という知らせに、感謝する人もいれば、かえって会社の厳しさを感じる人もいる。


同じ出来事でも、受け止め方は一つではありません。


そして今回は、福原と三宅のやり取りも描きました。


相談を受ける側の人にも、不安はあります。


誰かの話を聞くことと、その人の問題をすべて解決することは、必ずしも同じではありません。


三宅は福原に「大丈夫」とは言いませんでした。


それでも、話を聞き、一緒に考えることはできました。


会社を立て直すには、まだ時間が必要です。


その時間の中で、社員たちも少しずつ自分の将来を考え始めています。


次回は、同じ日の午後。


今度は、それぞれが自分の進む道について考えるお話です。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

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