答えを待つ人たち
2034年6月8日、木曜日。
大阪・本町。
株式会社カナメでは、いつもどおりの朝が始まっていた。
始業時刻になれば、社員たちはそれぞれの仕事を始める。
開発部では、担当案件の進捗を確認する。
営業部では、顧客からの連絡に対応する。
業務部では、請求や支払いに関する仕事を進める。
昨日と変わらない光景だった。
ただし、社員たちが考えていることまで、昨日と同じとは限らなかった。
*
午前九時。
金目は、高瀬と西田を会議室に呼んでいた。
机の上には、昨日の全社員説明会で寄せられた質問が並んでいる。
給与。
賞与。
雇用。
担当案件。
そして、社員自身の今後の進路。
どれも、昨日の時点では十分に答えられなかったものだった。
「……ほな、昨日の続きから始めようか」
金目が言った。
「はい」
高瀬が資料を共有した。
*
「まず、未回答事項を五つに整理しました」
高瀬が説明した。
「ありがとうございます」
「給与支払いの見通しについては、業務部で引き続き確認します」
「お願いします」
「賞与については、支給条件と原資を確認したうえで、判断時期を整理する必要があります」
「せやな」
「雇用については、今後の事業計画と人員配置の見通しが必要です」
金目は、うなずいた。
「そこは、三部長とも相談せなあかんな」
「そうですね」
*
「開発部の配置については、俺の方で確認するで」
西田が言った。
「頼むわ」
金目が答えた。
「各課の稼働状況は、だいたい整理できとる」
「うん」
「ただ、今後の案件がどれだけ残るかによって変わるからな」
「せやな」
「現時点では、全員の次の仕事まで決められへん」
「了解」
金目は、少し考えた。
「……それも、ちゃんと伝えなあかんな」
「せやな」
*
「……高瀬さん、ちょっとええですか」
金目が言った。
「はい」
「この一覧、回答予定日だけやと足らん気がするんです」
「といいますと?」
金目は、資料を指した。
「例えば給与やったら、支払日になってから判断しても遅いやろ」
「そうですね」
「ほな、支払日から逆算して、いつまでに資金を確保する判断をせなあかんのか、決めたいんです」
高瀬は、少し考えた。
「……なるほど」
「金融機関からの回答を待てる期限も、あるはずやし」
「そうですね」
「それを過ぎたら、別の方法を考えなあかん」
金目は、うなずいた。
「……判断する期限も、一覧に入れましょう」
*
高瀬は、管理表に新しい項目を追加した。
担当者。
次回報告日。
確認すべき事項。
そして、判断期限。
「……これで、よろしいでしょうか?」
「ええと思います」
金目が答えた。
「ただ、判断期限と、社員へ回答する日は別にしといてください」
「承知しました」
「まだ結論が出てへん場合でも、状況は伝えたいんで」
「はい」
高瀬は、うなずいた。
*
「……ちなみに、最初の定期報告はいつにしましょうか」
高瀬が尋ねた。
「来週の木曜日でどうですか?」
金目が答えた。
「六月十五日ですね」
「はい」
「それまでに、全部の結論が出るとは思ってへんけど」
「そうですね」
「確認できたことと、まだ確認中のことを整理して伝えたいです」
「承知しました」
「ただ、給与支払いに関わるような大きな変更があった場合は、来週まで待たんといてください」
「はい」
「わかった時点で、共有しましょう」
*
午前十時。
開発一課では、田村洋介が担当案件の確認を進めていた。
主要取引先の法的整理によって、予定していた作業の一部が保留になっている。
ほかの顧客の案件は、これまでどおり続いていた。
「……田村さん」
社員の一人が声をかけた。
「何や?」
「ちょっと、昨日の説明会のことで聞いてもええですか?」
「もちろんやで」
*
「……社長、ちゃんと話してくれたと思うんです」
社員が言った。
「せやな」
「わからないことは、わからないって言ってましたし」
「うん」
「でも、結局どうなるかは、まだわからないんですよね」
「……せやな」
田村は、うなずいた。
「俺も、全部わかっとるわけちゃうしな」
別の社員が、会話に加わった。
「……俺は、ちょっと不安ですわ」
「何が?」
「仕事がなくなるかもしれんって話です」
「せやな」
「今は担当案件がありますけど、来月も同じように仕事があるかわからんわけですよね」
「……そうやな」
*
「……田村さん自身は、不安じゃないんですか?」
最初の社員が尋ねた。
田村は、少し考えた。
「……そら、不安はあるで」
「そうなんですね」
「俺も社員やしな」
田村は、少し笑った。
「課長やからって、何でもわかるわけちゃうし」
社員たちも、少し笑った。
「……ただな」
田村が続けた。
「今、俺らにできることもあるやろ」
「はい」
「動いとる案件は、ちゃんと進める」
「うん」
「確認が必要なことは、確認する」
「はい」
「それから、わからんことは、俺にも聞いてくれたらええ」
*
社員たちが仕事へ戻ったあと。
田村は、担当者一覧を開いた。
普段は、案件ごとの稼働状況を確認するために使っている資料だった。
しかし、今日は別の項目を見ていた。
社員ごとの得意分野。
過去に担当した案件。
使用経験のある技術。
そして、現在の担当業務。
「……この人、別の案件でもやれるはずやな」
田村は、ある社員の経歴を確認した。
現在は、倒産した取引先の案件を担当している。
しかし、以前は別の技術を使った開発にも関わっていた。
*
「……ちょっとええ?」
田村が、その社員へ連絡した。
「はい。どうしました?」
「前に担当しとった案件のことなんやけど」
「はい」
「そのとき使っとった技術、今も対応できそう?」
「……ああ、はい。できますよ」
「そうか」
「何かあるんですか?」
「いや、別の案件で必要になるかもしれんから、確認しとこうと思ってな」
「なるほど」
「まだ決まった話ちゃうけど、西田に相談してみるわ」
「わかりました」
*
通話を終えたあと。
田村は、資料に一行を追加した。
――別案件への配置候補。
ただし、確定とは書かなかった。
実際に担当できるかどうかは、案件の状況や本人の希望も確認する必要がある。
田村は、別の社員についても経歴を見直した。
今の案件がなくなったとしても、できる仕事までなくなるわけではない。
そう考えながら、一人ずつ確認を進めていった。
*
午前十一時。
開発二課では、尾崎達也が翌週の作業予定を確認していた。
予定表には、保留になった案件がいくつか残っている。
担当者を変更できる案件。
別の作業へ振り替えられる案件。
そして、まだ判断できない案件。
「……結構、変わったな」
尾崎は、小さくつぶやいた。
*
「尾崎さん、ちょっとよろしいですか?」
部下が声をかけた。
「ええで」
「来週の作業なんですが、こちらはまだ保留ですか?」
「せやな。契約の確認待ちや」
「わかりました」
「ほかの案件で、先に進められるところを確認しとくわ」
「ありがとうございます」
社員は、少し考えた。
「……ちなみに、今後もこういう状態が続くんでしょうか?」
尾崎は、資料を見た。
「……まだ、わからんな」
「そうですよね」
「ただ、今の予定のままでは難しいところもあると思う」
*
社員が席へ戻ったあと。
尾崎は、西田へ連絡した。
「西田、ちょっとええか?」
「ええで。どうした?」
「二課の来月以降の予定なんやけどな」
「うん」
「このままやと、結構空くで」
「せやな」
「ほかの課の案件も含めて、調整できへんかなと思って」
「了解。確認しようか」
尾崎は、うなずいた。
「……それと、西田」
「何や?」
「昨日の説明会、結構きつかったな」
「……せやな」
「社員からしたら、当然の質問やと思うけど」
「うん」
「……俺らも、まだ先が見えへんしな」
西田は、少し考えた。
「……そうやな」
*
昼休み。
尾崎は、スマートフォンを確認していた。
家族から、夕食についての連絡が届いている。
いつもなら、何気なく返事をするだけだった。
しかし、今日は少し手が止まった。
昨日の説明会で聞いた言葉が、頭に残っていた。
――今後も絶対にないとは、お約束できません。
人員削減について尋ねられた金目の回答だった。
尾崎は、スマートフォンで家計の記録を開いた。
毎月の生活費。
今後の支払い予定。
そして、手元の貯蓄。
数字を確認しても、すぐに何かが変わるわけではなかった。
ただ、何も知らないままでいるよりは、少し落ち着いた。
*
尾崎は、家族からのメッセージを開いた。
夕食についての、何気ない連絡。
その返事を書こうとして、少し考えた。
会社のことを、どこまで話すべきなのか。
まだ、何も決まっていない。
それでも、何も知らせずにいるのも違う気がした。
尾崎は、短い返信を送った。
『今日、帰ったら少し話したいことがある』
送信したあと、しばらく画面を見ていた。
*
同じ頃。
開発部に配属されたばかりの新卒社員は、研修資料を開いていた。
四月に入社して、まだ二か月ほど。
覚えなければならないことは、たくさんある。
昨日の説明会では、会社の経営について、初めて聞く話も多かった。
売上。
資金繰り。
雇用。
どれも、入社前には深く考えたことがなかった。
「……大丈夫かな」
小さくつぶやいた。
*
隣にいた先輩社員が、顔を上げた。
「どうしたん?」
「……いえ、ちょっと」
新卒社員は、少し迷った。
「昨日の説明会のこと、考えてまして」
「……そうやな」
先輩社員が答えた。
「私も、ちょっと驚いたわ」
「そうですよね」
「でも、今すぐ何か決めなあかんわけちゃうし」
「……はい」
「わからんことあったら、聞いたらええと思うで」
「ありがとうございます」
*
新卒社員は、研修資料へ目を戻した。
しかし、すぐには集中できなかった。
この会社で、これから仕事を覚えていく。
そう思って入社した。
その未来が、今も同じように続くのか。
まだ、わからなかった。
少し考えたあと、新卒社員は研修の予定表を開いた。
午後には、先輩社員との実習が入っている。
その予定は、まだ変わっていなかった。
新卒社員は、資料を閉じずに、実習で確認したいことをメモした。
今、自分にできることは、まだあった。
*
2034年6月8日、木曜日。
正午。
株式会社カナメでは、午前中の仕事がひと区切りついていた。
金目たちは、社員から寄せられた質問への対応を整理した。午後には、今後の事業計画と人員配置を話し合うことになっていた。
*
午後四時。
金目、西田、高瀬、小坂の四人が、会議室に集まっていた。
議題は、今後の事業計画と人員配置。
昨日の全社員説明会で寄せられた質問についても、回答期限と担当者を決める必要があった。
金目は、資料を開いた。
「……ほな、始めようか」
三人がうなずいた。
「まず、営業部からお願いします」
*
「現在の受注見込みを、改めて整理しました」
小坂が資料を共有した。
「倒産した取引先の予定案件は、従来の見込みから外しています」
「ありがとうございます」
「そのうえで、既存のお客様への追加提案候補を洗い出しました」
画面には、いくつかの案件が並んでいた。
過去に相談を受けたもの。
時期が合わず、見送られていたもの。
そして、既存契約の拡張として提案できそうなもの。
「ただ、現時点では、いずれも正式な受注ではありません」
小坂が続けた。
「せやな」
金目がうなずいた。
「それでも、何もせず待つわけにはいきませんので」
「もちろんです」
「対応可能な案件から、営業活動を進めたいと思っています」
*
「……ちょっとええか?」
西田が口を開いた。
「はい」
小坂が答えた。
「この案件、開始時期はどうなっとる?」
「お客様の希望としては、できるだけ早く、というお話です」
「……早く、か」
西田は、資料を確認した。
「今、開発部の予定は組み直しとるところや」
「はい」
「空いとる人がおるからいうて、すぐその案件に入れるとは限らんで」
「それは承知しています」
小坂は、うなずいた。
「ですので、まずはお客様のご要望を確認したいと思っています」
「……それならええけどな」
*
「ただ、西田さん」
小坂が続けた。
「はい?」
「今、営業部としては、新しい売上を作る必要があります」
「そら、わかっとるで」
「そのためには、ある程度早く動かなければなりません」
「……せやな」
「開発部の体制が確定するまで待っていたら、商談の機会そのものを失う可能性があります」
西田は、少し考えた。
「……商談するんはええと思う」
「はい」
「ただ、納期を約束する前には、必ず確認してほしい」
「もちろんです」
小坂は、少しだけ声を強めた。
「そこは、営業部としても理解しています」
*
「……すみません」
高瀬が口を開いた。
三人が顔を向けた。
「一つ、確認させてください」
「はい」
金目が答えた。
「現在の資金繰りでは、売上の計上時期だけでなく、実際の入金時期が重要になります」
「せやな」
「仮に新しい案件を受注できたとしても、入金まで数か月かかる場合があります」
小坂がうなずいた。
「そうですね」
「その間に、外注費や設備費などの支出が先行する場合もあります」
「……なるほど」
金目は、資料を確認した。
「つまり、受注が増えても、すぐ資金繰りが改善するとは限らんいうことですね」
「はい」
高瀬が答えた。
「条件によっては、一時的に資金負担が増える可能性もあります」
*
会議室が静かになった。
小坂は、新規案件の一覧を見た。
西田は、開発部の稼働予定を確認している。
高瀬は、資金繰り表を開いたままだった。
三人とも、間違ったことは言っていない。
しかし、それぞれの立場から見えている問題は違っていた。
「……ほな、どうする?」
金目が尋ねた。
すぐには、誰も答えなかった。
*
「……一つ、提案してもええですか?」
小坂が言った。
「お願いします」
「営業活動そのものは、止めずに進めたいと思っています」
「はい」
「ただし、正式な提案や契約の前に、開発部の対応可否と、業務部の資金面の確認を入れます」
西田がうなずいた。
「それなら、こっちも判断できると思う」
高瀬も、資料を確認した。
「支払条件や費用見込みを共有いただければ、資金繰りへの影響を試算できます」
「ありがとうございます」
小坂は、うなずいた。
*
「……ただな」
西田が言った。
「何や?」
金目が尋ねた。
「それでも、開発部の稼働が全部埋まるわけちゃうで」
「せやな」
「今、各課の予定を統合しとるけど、対象取引先の案件がなくなった場合、かなり空く」
「……なるほど」
「ほかの案件へ移せる人もおる。でも、全員は難しい」
西田は、資料を切り替えた。
課ごとの稼働予定。
担当者の経験。
配置変更の候補。
そして、今後の案件見込み。
「……課長も含めて、配置案を作っとる」
金目が顔を上げた。
「課長も?」
「せや」
*
「今の三課体制を、そのまま維持できるかどうかも考えなあかん」
西田が言った。
小坂は、資料から目を上げた。
高瀬も、黙って聞いている。
「もちろん、今すぐ課を減らす言う話ちゃうで」
「うん」
「ただ、仕事が大きく減った場合、管理する組織だけ今のまま残すんがええのか、考えなあかんと思う」
金目は、少し黙った。
「……田村らには、もう話しとるんか?」
「いや」
西田が答えた。
「まだ何も決まってへんからな」
「……せやな」
*
「……ただ、金目」
西田が続けた。
「うん?」
「昨日、社員には正直に話す言うたやろ」
「せやな」
「ほな、俺らも考えなあかんと思う」
「……何を?」
「今の組織を守ることと、今おる社員を守ることが、同じとは限らんいうことや」
金目は、資料を見た。
開発一課。
開発二課。
基盤運用課。
これまで、会社の成長に合わせて整えてきた組織だった。
しかし、仕事の量が変われば、必要な体制も変わる。
「……なるほどな」
金目は、短く答えた。
*
「ただ、組織を変えたら、すぐに費用が減るわけでもありません」
高瀬が言った。
「そうですね」
金目が答えた。
「役職や配置を変える場合には、本人との調整や、必要な手続きもあります」
「せやな」
「また、社員の雇用を維持するのであれば、給与などの支出は引き続き発生します」
西田がうなずいた。
「……そこはわかっとる」
「はい」
「ただ、今の体制が必要かどうかは、別に考えたいんや」
「それは、そのとおりだと思います」
*
金目は、三人の資料を見比べた。
営業部には、受注の見込みがある。
開発部には、空く可能性のある人員がいる。
業務部には、支払いを続けるための資金繰り表がある。
しかし、それらを単純に組み合わせれば、会社が立て直せるわけではなかった。
「……ほな、一つ決めようか」
三人が、金目へ目を向けた。
*
「新しい商談は、営業部で進めてください」
金目が言った。
「承知しました」
小坂が答えた。
「ただし、正式な受注の前に、開発部と業務部で確認する」
「了解」
西田がうなずいた。
「特に、納期と支払条件は、必ず確認したいです」
「はい」
高瀬が答えた。
「それから、開発部の配置案は、複数の条件で作ってください」
「わかった」
「ただ、まだ人員削減や組織変更を決める段階ではないと思っています」
「せやな」
*
「……それと」
金目が続けた。
「はい」
高瀬が顔を上げた。
「今の事業計画を、もう一回作り直しましょう」
三人が、資料を確認した。
「倒産した取引先の売上を見込まない場合」
「はい」
「新しい案件を受注できた場合」
「それから、受注できなかった場合」
金目は、少し考えた。
「その三つを見て、会社としてどこまで対応できるか判断したいです」
高瀬がうなずいた。
「承知しました。資金繰りと合わせて整理します」
*
「……金目」
西田が声をかけた。
「何や?」
「それ、いつまでに決める?」
金目は、少し黙った。
いつまでに。
昨日の説明会でも、社員から同じことを聞かれていた。
金目は、高瀬へ目を向けた。
「……高瀬さん」
「はい」
「今の資金繰りで、判断を先延ばしにできる期限は、どこになります?」
高瀬は、資料を確認した。
「……現在の条件では、複数の期限があります」
「なるほど」
「給与の支払日、外注費の支払日、それから金融機関への相談に必要な時間です」
金目は、うなずいた。
*
「……ほな、そこから逆算しようか」
金目が言った。
「はい」
「社員への回答期限だけ決めても、俺らの判断が間に合わんかったら意味ないしな」
高瀬が、資料を開いた。
「では、資金繰り上の期限と、経営判断の期限を分けて整理します」
「お願いします」
金目は、少し考えた。
「……それと、金融機関からの回答を待てる期限も入れといてください」
「承知しました」
*
午後五時。
会議は終了した。
金目たちは、新しい受注の進め方と、事業計画の見直し方針を決めた。
ただし、まだ資金調達は決まっていない。
開発部の配置も、確定していない。
社員の待遇についても、答えは出ていなかった。
それでも、今日一つだけ変わったことがある。
何を確認するかだけではなく、いつまでに判断しなければならないかを考え始めたことだった。
*
午後五時過ぎ。
開発一課では、田村洋介が西田から届いた連絡を確認していた。
各課の稼働状況と、担当者の経験を整理してほしいという依頼だった。
田村は、午前中に作成した配置候補の資料を開いた。
倒産した取引先の案件を担当していた社員。
ほかの技術にも対応できる社員。
そして、今後の仕事がまだ決まっていない社員。
一人ずつ、名前を確認していく。
田村は、ある社員の名前の横に、短いメモを加えた。
――別案件への配置可能性あり。本人確認済み。
その下には、まだ空欄が残っていた。
田村は、少し考えたあと、別の社員へ連絡した。
「……ちょっと、今ええ?」
できることは、まだあった。
*
開発二課では、尾崎達也が翌週の予定表を閉じたところだった。
今日、西田と話した内容を思い返していた。
ほかの課との案件調整。
担当者の配置。
そして、今後の開発部の体制。
どれも、まだ決まっていない。
尾崎は、スマートフォンを取り出した。
昼休みに家族へ送ったメッセージには、返事が届いていた。
『わかった。帰ってから聞くね』
尾崎は、少しだけ画面を見つめた。
会社では、課長として部下の仕事を考える。
しかし、家に帰れば、家族の一人だった。
その両方を、同じように大切にしたかった。
尾崎は、パソコンを閉じた。
今日は、少し早く帰ることにした。
*
営業部では、大本恭平が翌日の打ち合わせ資料を確認していた。
松井から指摘された納期の記載は、すでに修正してある。
開発部の確認が必要な項目には、印をつけた。
そして、過去の商談記録から選んだ二件についても、再度相談するための準備を進めていた。
「……松井さん」
大本が声をかけた。
「はい?」
「明日の資料、修正しました」
「ありがとうございます」
「あと、以前のお客様への確認も、まずは状況を伺う形にしています」
「よいと思います」
松井は、資料を確認した。
「……大本さん」
「はい?」
「焦らなくて大丈夫ですよ」
大本は、少し黙った。
「……焦っとるように見えます?」
「少しだけ(笑)」
「……そうですか(笑)」
二人は、少し笑った。
「でも、仕事は丁寧に進めましょう」
「はい!」
*
業務部では、福原奈央が個別相談窓口の予約状況を確認していた。
すでに、いくつかの相談希望が届いている。
給与について。
今後の働き方について。
そして、会社の状況について。
福原は、相談内容を担当者ごとに整理した。
ただし、相談者の氏名や詳細は、必要な担当者以外には共有しない。
その中に、自分自身の予約もあった。
直属の上司以外との面談を希望している。
福原は、予約内容を確認した。
まだ、何を話すかは決めていなかった。
ただ、相談してもよい場所がある。
それだけで、少し気持ちが軽くなっていた。
*
午後六時。
金目は、自席で未回答事項の一覧を確認していた。
昨日の説明会で寄せられた質問。
給与。
賞与。
雇用。
人員配置。
そして、社員の進路相談。
それぞれに担当者が設定され、次回報告日も記載されている。
今日の会議を受けて、さらに新しい項目が追加されていた。
――経営判断の期限。
金目は、その列を確認した。
*
給与の支払日。
外注費の支払日。
金融機関からの回答を待てる期限。
そして、事業計画を見直すために必要な日程。
どれも、会社の都合だけでは変えられないものだった。
金目は、一覧を見直した。
昨日、社員から聞かれた言葉を思い出す。
――いつまでに何を教えてもらえるんでしょうか?
そのときは、正確な期限を答えられなかった。
今も、すべての答えが出ているわけではない。
しかし、いつまでに判断しなければならないかは、少しずつ整理できていた。
*
「……金目」
西田が声をかけた。
「おお、どうしたん?」
「今日の会議の件、ちょっとええか?」
「もちろんやで」
西田は、隣の椅子に座った。
「開発部の配置案、もう少し整理してみるわ」
「頼むで」
「ただ、金目」
「何や?」
「今の三課体制を変えることになったら、結構大きな話になるで」
「……せやな」
「課長らにも、ちゃんと説明せなあかん」
「もちろんや」
金目は、うなずいた。
「まだ何も決まってへんけど、決めるときはちゃんと話そう」
「了解」
*
「……しかし」
西田が、少し考えた。
「何や?」
「俺ら、今まで会社大きくする話ばっかりしとったな」
金目は、少し笑った。
「……せやな」
「人増やして、課を増やして、事務所も広くして」
「ほんまやな」
「……それを、今度は見直さなあかんかもしれん」
金目は、資料を見た。
「……まあ、そうなるな」
西田は、少し黙った。
*
「……金目」
「何や?」
「お前、今の会社、どこまで残したい?」
金目は、すぐには答えなかった。
開発部。
営業部。
業務部。
そして、そこで働く社員たち。
これまで、少しずつ増えてきた仲間だった。
「……正直、全部残したいで」
金目が答えた。
「せやろな」
「でも、全部残せるかどうかは、まだわからん」
「……せやな」
金目は、少し考えた。
「……ほな、残せる方法を考えるしかないやろ」
西田がうなずいた。
「せやな」
*
西田が席を立ったあと。
金目は、未回答事項の一覧をもう一度開いた。
担当者。
次回報告日。
判断期限。
そして、回答状況。
いくつかの欄には、まだ「未確定」と記載されている。
金目は、その文字を見た。
今は、答えがない。
しかし、答えがないままでよい期限も、無限ではなかった。
*
同じ頃。
尾崎は、家族と夕食を囲んでいた。
いつもの食卓。
いつもの会話。
しかし、今日は、会社のことを話さなければならなかった。
「……ちょっと、仕事のことで話があるんやけど」
家族が、顔を上げた。
「どうしたん?」
尾崎は、少し考えた。
「……会社の大きなお客さんが、倒産してな」
「……え?」
「今後、仕事が減るかもしれんのや」
家族は、黙って聞いていた。
「まだ、何も決まってへんけど」
「……そうなんや」
尾崎は、うなずいた。
*
「……大丈夫なん?」
家族が尋ねた。
尾崎は、すぐには答えなかった。
昨日、金目が社員たちへ説明した言葉を思い出した。
――今後も絶対にないとは、お約束できません。
「……まだ、わからん」
尾崎が答えた。
「でも、何かあったときに困らんように、今から考えとこうと思う」
家族は、少し考えた。
「……そうやな」
「うん」
「ほな、今度の休みに、一緒に家計も確認しよか」
尾崎は、うなずいた。
「……ありがとう」
*
2034年6月8日、木曜日。
株式会社カナメでは、社員たちがそれぞれの一日を終えようとしていた。
田村は、部下の次の仕事を探していた。
尾崎は、家族へ会社の状況を伝えた。
大本は、新しい仕事につながる可能性を探し始めた。
福原は、社員の相談を受け付ける仕組みを整え、自分自身も相談することを選んだ。
そして金目は、会社として判断しなければならない期限を整理した。
それぞれが、自分にできることを始めていた。
ただし、その行動が、同じ未来へつながるとは限らない。
会社を続けたい人。
今の仕事を守りたい人。
家族の生活を守りたい人。
そして、自分の将来を考え始めた人。
誰も、まだ答えを持っていなかった。
それでも、時間は進んでいく。
答えが出るのを、待ってはくれなかった。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、全社員説明会の翌日、カナメで働く人たちの一日をお届けしました。
同じ説明を聞いても、受け止め方は人それぞれ。
部下の次の仕事を探す田村。
家族へ会社の状況を伝える尾崎。
新しい仕事の可能性を探す大本。
社員の相談窓口を整えながら、自分自身も不安を抱える福原。
そして、会社として何をいつまでに判断するべきかを考える金目たち。
誰もが、それぞれの立場でできることを始めています。
ただ、会社を守りたいという思いと、自分や家族の生活を守りたいという思いが、必ずしも同じ結論につながるとは限りません。
残ることも、別の道を選ぶことも、簡単な判断ではないのでしょう。
まだ、誰も答えを出していません。
それでも、日々の仕事も、それぞれの人生も続いていきます。
次回も、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




