突然の知らせ
2034年6月5日、月曜日。
大阪・本町。
株式会社カナメでは、いつもどおりの一週間が始まっていた。
六月に入り、四月に入社した新卒社員も、少しずつ仕事に慣れ始めている。
開発部では、夏以降の案件に向けた準備が進み、業務部では月初の請求処理が行われていた。
営業部でも、週明けの案件確認が始まろうとしていた。
*
「おはようございます!」
大本恭平が、オンライン会議に入ってきた。
「おはようございます」
松井慎吾が答えた。
「おはようございます。今週もよろしくお願いします」
営業部長の小坂千尋が、資料を共有した。
「まず、今週の予定を確認しましょうか」
「はい」
「よろしくお願いします!」
大本は、案件一覧を開いた。
五月に正式受注となった追加開発案件。
開発部への引き継ぎも終わり、今月から作業が始まる予定だった。
「大本さんの案件は、予定どおりですね」
小坂が言った。
「はい。開発部との確認も完了しています」
「ありがとうございます」
「お客様との次回の打ち合わせも、予定を押さえています」
「承知しました」
*
「松井さんの方はいかがですか?」
小坂が尋ねた。
「こちらも、今のところ予定どおりです」
松井が答えた。
「今週は、既存のお客様との打ち合わせが二件あります」
「ありがとうございます」
「一件は追加開発の相談で、もう一件は契約条件の確認です」
「なるほど」
小坂は、資料を確認した。
「では、必要なところは開発部とも調整しておきましょう」
「承知しました」
大本も、うなずいた。
「今週も、結構やることありますね」
小坂が、少し笑った。
「そうね。六月も始まったばかりですから」
「……頑張ります!」
*
午前九時半。
週初めの打ち合わせを終えた小坂は、届いていた連絡を確認していた。
顧客からの問い合わせ。
契約書の確認依頼。
社内からの相談。
その中に、取引先の信用情報に関する通知があった。
普段から利用している企業情報サービスからの連絡だった。
小坂は、何気なく開いた。
そして、画面に表示された社名を見て、手を止めた。
「…………」
そこには、見覚えのある会社名が記載されていた。
先月、金目と一緒に定例打ち合わせへ参加した取引先だった。
*
小坂は、通知を読み直した。
対象企業の名称。
所在地。
そして、法的整理に関する情報。
最初は、別の会社ではないかと思った。
似た名前の企業もある。
通知の内容を取り違えている可能性もある。
小坂は、取引先の登録情報を開いた。
法人名。
本店所在地。
そして、法人番号。
通知に記載された情報と照らし合わせる。
「……同じ会社?」
小坂は、もう一度画面を確認した。
*
「松井さん、少しよろしいでしょうか?」
小坂が連絡した。
「はい。どうしました?」
「こちらの情報を、一緒に確認していただけますか?」
「承知しました」
松井が、共有された画面を開いた。
「……これは」
松井の声が止まった。
「ご存じの会社ですよね」
小坂が尋ねた。
「はい」
松井は、資料を確認した。
「……先月も、打ち合わせをしていたところですよね」
「そうです」
「……法的整理、ですか」
「はい」
小坂は、うなずいた。
「ただ、まだ詳細までは確認できていません」
*
「まず、法人情報を確認しましょう」
松井が言った。
「そうですね」
二人は、通知に記載された情報を照合した。
社名だけではない。
所在地も一致している。
法人番号も、カナメの取引先台帳に登録されているものと同じだった。
「……間違いなさそうですね」
松井が言った。
「そうですね」
小坂は、資料を閉じずに答えた。
その会社は、カナメにとって長年の主要取引先だった。
現在も、複数の案件が進行している。
今後の追加案件についても、相談を受けていた。
売上全体に占める割合も大きい。
ただし、通知に書かれている内容だけでは、カナメの契約がどうなるのかまではわからなかった。
*
「……ほかにも情報は出ていますか?」
小坂が尋ねた。
「確認してみます」
松井は、公開されている企業情報を調べ始めた。
小坂も、通知元の情報を確認する。
しばらくして、松井から連絡が入った。
「小坂さん、こちらにも情報が出ています」
「ありがとうございます」
小坂は、共有された資料を開いた。
企業名。
所在地。
法的整理に入った旨の記載。
内容は、先ほどの通知と一致していた。
「……そうですか」
小坂は、短く答えた。
*
「……先月、普通に打ち合わせしていましたよね」
松井が言った。
「そうですね」
小坂が答えた。
「今後の案件についても、ご相談いただいていました」
「はい」
「……まさか、こんなことになるとは」
松井は、それ以上言葉を続けなかった。
小坂も、すぐには答えなかった。
先月の打ち合わせを思い出していた。
進行中の案件について確認し、今後の相談について話した。
特別な問題はなかった。
担当者の様子も、いつもと変わらなかった。
しかし、今、目の前には法的整理に関する情報が表示されている。
*
「……松井さん」
小坂が口を開いた。
「はい」
「現在の案件一覧を確認していただけますか?」
「承知しました」
「契約済みのものと、まだ相談段階のものを分けてください」
「はい」
「それから、現在進行している案件についても、一覧にしておきたいです」
「わかりました」
松井は、うなずいた。
「大本さんにも確認をお願いしましょうか?」
小坂は、少し考えた。
「……そうですね。ただ、まずは私から状況を説明します」
「承知しました」
*
小坂は、もう一度通知を確認した。
法的整理に入ったという情報。
取引先の法人情報との一致。
そして、別の公開情報でも確認できた事実。
現時点で確認できたのは、そこまでだった。
今後の契約。
進行中の案件。
未入金の請求。
それらがどう扱われるのかは、まだわからない。
ただ、会社として対応が必要なことだけは明らかだった。
*
「……金目さんへ報告しましょう」
小坂が言った。
「そうですね」
松井が答えた。
「私から連絡します」
「お願いします」
小坂は、金目との連絡画面を開いた。
普段なら、案件の進捗や顧客との打ち合わせについて報告する相手。
しかし、今回は違う。
カナメの経営そのものに関わる可能性がある。
小坂は、短い文章を入力した。
『金目さん、至急ご報告したいことがあります。お時間をいただけますでしょうか。』
送信した。
午前十時十五分。
いつもどおり始まった月曜日の営業部では、まだ誰も、この知らせが会社にどれほどの影響を与えるのかを知らなかった。
*
午前十時十五分。
金目は、新事務所の自席で契約書を確認していた。
六月から始まる案件について、営業部から相談を受けていたものだった。
契約条件に問題がないことを確認し、次の資料を開こうとしたとき。
社内チャットに通知が届いた。
『金目さん、至急ご報告したいことがあります。お時間をいただけますでしょうか。』
送信者は、小坂千尋。
営業部長だった。
「……何やろ?」
金目は、予定表を確認した。
次の打ち合わせまでは、まだ時間がある。
『今から大丈夫ですよ。どうしました?』
そう返信すると、すぐに通話の案内が届いた。
*
「金目さん、お時間ありがとうございます」
小坂の声が聞こえた。
「いえいえ。どうしました?」
「……主要取引先の一社について、ご報告があります」
「はい」
「先ほど、企業情報サービスから、法的整理に入ったという通知が届きました」
「…………え?」
金目は、手を止めた。
「……どこですか?」
小坂が、会社名を告げた。
先月、一緒に定例打ち合わせへ参加した会社だった。
「……あそこが?」
「はい」
金目は、少しの間、何も言わなかった。
*
「……情報源は?」
金目が尋ねた。
「こちらです」
小坂が、資料を共有した。
企業情報サービスからの通知。
対象企業の名称と所在地。
そして、法的整理に関する情報。
「松井さんとも確認しましたが、法人番号も一致しています」
「……なるほど」
「別の公開情報でも、同じ内容を確認できています」
「そうですか」
金目は、資料を読み進めた。
社名に間違いはない。
所在地も一致している。
通知に記載された情報も、複数の資料で確認されていた。
「……先月、普通に話しとったよな」
「はい」
「今後の案件についても、相談もらっとったよな」
「そうですね」
「……そうか」
金目は、短く答えた。
*
「……ちなみに、先方からは何か連絡ありました?」
金目が尋ねた。
「現時点では、正式な連絡は届いていません」
「了解」
「こちらからの確認については、まだ行っていません」
「そうですか」
金目は、少し考えた。
「……ほな、まずは確認できとることと、わからんことを分けようか」
「はい」
小坂が、うなずいた。
「現時点で確認できているのは、法的整理に入ったという情報です」
「せやな」
「ただし、現在の契約や、進行中の案件がどう扱われるかについては、まだ確認できていません」
「了解です」
「未入金の請求についても、業務部での確認が必要です」
「せやな」
金目は、メモを取り始めた。
*
「……小坂さん」
「はい」
「今、進んどる案件って、何件ありましたっけ?」
「正確な件数は、これから確認します」
「了解です」
「松井さんには、契約済みの案件と、まだ相談段階の案件を分けて整理していただいています」
「ありがとうございます」
金目は、少し考えた。
「……新しい約束は、いったん確認できるまで控えてもらえます?」
「承知しました」
「ただ、今動いとる仕事は、勝手に止めんといてください」
「はい」
「契約がどうなっとるかわからんうちに、こっちから止めるんも違うと思うんで」
「そうですね」
「まず、契約と状況を確認しましょう」
「承知しました」
*
金目は、手元の契約書を閉じた。
さっきまで確認していた、別の顧客の契約書だった。
今、優先して確認すべきことが変わった。
「……小坂さん、営業部の方で、今わかる範囲を整理してもらえますか?」
「はい」
「契約済みの案件、進行中の案件、それから今後の相談分」
「承知しました」
「それぞれ、誰が担当しとるかも確認しておいてください」
「わかりました」
「あと、先方から連絡があった場合は、内容を記録して共有してください」
「はい」
金目は、少し間を置いた。
「……まだ、どうなるかわからんしな」
「そうですね」
*
通話を終えたあと。
金目は、しばらく画面を見ていた。
先月の打ち合わせ。
いつもどおりの案件確認。
今後の仕事についての相談。
何も変わったところはなかった。
それでも、今、取引先の法的整理に関する情報が届いている。
金目は、もう一度通知を開いた。
読み間違いではない。
「……参ったな」
小さくつぶやいた。
そして、西田へ連絡した。
*
「西田、今ちょっとええ?」
「ええで。どうしたん?」
「……取引先のことで、ちょっと大きな話があってな」
「ほう?」
「主要取引先の一社が、法的整理に入ったらしい」
「…………は?」
西田の声が止まった。
「……どこや?」
金目が会社名を伝えた。
「……あそこか?」
「せや」
「……ほんまなんか?」
「信用情報と公開情報で確認できとる」
「……そうか」
西田は、少し黙った。
*
「……今、開発部で動いとる案件もあるよな」
金目が言った。
「あるで」
「その状況、確認してもらえる?」
「了解」
「担当者と進捗、それから今後の予定も整理してほしい」
「わかった」
「ただ、勝手に作業を止めることはせんといてな」
「せやな。契約も確認せなあかんし」
「頼むで」
西田は、少し考えた。
「……金目、これ、結構大きい話やな」
「……せやな」
「わかった。すぐ確認するわ」
「ありがとう」
*
続いて、金目は高瀬へ連絡した。
「高瀬さん、今お時間よろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
「主要取引先の一社について、法的整理に入ったという情報が確認されました」
「……そうですか」
高瀬の声が、少し低くなった。
「現在、営業部と開発部で状況を確認しています」
「承知しました」
「業務部の方でも、売掛金と入金予定を確認してもらえますか?」
「はい。すぐに確認します」
「お願いします」
金目は、少し考えた。
「……まだ、回収できへんと決まったわけではないので」
「そうですね」
「まず、今ある数字を整理してほしいんです」
「承知しました」
*
「それと、今後の資金繰りについても、影響を確認しておきたいです」
金目が続けた。
「はい」
「予定していた入金がなくなった場合も、考えておきたいので」
「わかりました」
高瀬は、少し間を置いた。
「……金目さん」
「はい?」
「現時点では、まだ損失額はわかりませんね」
「せやな」
「では、確認できた数字と、仮定を置いた試算を分けて整理します」
「お願いします」
「午後には、最初の状況を共有できると思います」
「ありがとうございます」
*
午前十一時前。
金目は、三人の部長へ緊急の連絡を送った。
主要取引先の法的整理に関する情報を確認したこと。
各部門で、契約、案件、入金予定への影響を調べること。
そして、午後に最初の情報共有を行うこと。
ただし、現時点では未確認の事項が多いことも明記した。
送信を終えると、金目は予定表を開いた。
午後には、別の顧客との打ち合わせが入っている。
翌月の計画について確認する会議もあった。
どちらも必要な仕事だった。
しかし、今は優先順位を変えなければならない。
*
「……さて、どうするか」
金目は、予定を確認した。
延期できる会議を選び、関係者へ連絡する。
顧客との打ち合わせについては、営業部へ日程調整を依頼した。
そのうえで、午後の予定に新しい会議を登録した。
緊急情報共有。
参加者は、金目、西田、高瀬、小坂。
まずは、各部門で確認できた事実を持ち寄る。
それ以上のことは、まだ決められなかった。
*
午前十一時十五分。
西田から連絡が入った。
『午後は時間取れるで』
金目は、返信した。
『ありがとう。よろしく頼むわ』
しばらくして、通話の案内が届いた。
「金目、ちょっとええ?」
「おお、どうしたん?」
「……えらいことになったな」
「……せやな」
西田は、少し考えた。
「……どうする?」
金目は、すぐには答えなかった。
*
「……まず、何が起きとるんか確認せなあかんな」
金目が言った。
「せやな」
「契約も数字も、まだ全部はわかってへんし」
「うん」
「今ここで、どうする言うても、判断する材料が足らんわ」
「……せやな」
西田は、うなずいた。
「ほな、開発部の方は俺が確認しとく」
「頼むで」
「午後には、わかる範囲をまとめとくわ」
「ありがとう」
*
通話を終えたあと。
金目は、予定表を閉じた。
午前十一時半。
いつもどおり始まった月曜日。
その予定は、わずか二時間ほどで大きく変わっていた。
先月まで、普通に仕事をしていた取引先。
今も、契約や案件が残っている。
そして、その会社から入るはずだったお金もある。
どこまで影響が出るのか。
何を続けられるのか。
何を変えなければならないのか。
まだ、答えは出ていない。
金目は、机の上に置いていたメモを手に取った。
確認することが、いくつも書かれていた。
その一番上に、短く一行を加えた。
――事実確認。
金目は、ペンを置いた。
午後には、最初の情報が集まる。
それを見てから、次の判断を考えるしかなかった。
2034年6月5日、午前十一時半。
株式会社カナメにとって、長い一日が始まっていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回から、カナメにとって大きな転機となる日々を描いていきます。
ここまで長くお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
さて、今回はカナメにとって、思いもよらない知らせが届くお話でした。
先月まで普通に取引を続けていた会社が、突然、法的整理に入ったという知らせ。
金目たちも、まだ何が起きているのか、その影響がどこまで及ぶのかを把握できていません。
それでも、会社の仕事は続いています。
わからないことを一つずつ確認し、必要な判断を重ねていく。
これまでカナメが積み重ねてきたものが、これから試されることになります。
ここから始まった、新しい局面。
金目たちは、何を考え、どう向き合っていくのでしょうか。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




