第8話 患者の証言
翌朝、ノエルは医療情報を別綴じにする書類を用意し、ミラと中央診療所へ向かった。ロイドとミーナには、本人への聞き取りが済むまで待合室で待ってもらう。
禁止覚醒薬の使用は規律上の問題になる。だからこそ、容器の発見と使用の事実は分けて確かめる必要があった。
王都の中央診療所は、重傷を負った冒険者たちが運び込まれる国内最大の医療施設である。
清潔な白いシーツが敷かれた個室のベッドで、ダグは青白い顔をして横たわっていた。腹部には厚い包帯が巻かれ、まだ熱が下がりきっていないのか、呼吸は浅く荒い。
「……ギルドの審査官?」
ダグは入室してきたノエルとミラ、そして担当医を見て、かすれた声を上げた。ミーナの処置について聞きたいと告げると、彼の瞳に恐怖が浮かんだ。
「あいつは、俺を見殺しにしようとしたんだ……!」
医師が水を差し出した。ノエルは話を急がせず、ダグの呼吸が落ち着くのを待った。
「落ち着けるか! 俺は腹を斬られて、血が止まらなくて……何度も、何度も『治してくれ』って頼んだんだ! なのにこいつは、冷たい布を押し当てるだけで、魔法を一度もかけてくれなかった! 俺が痛みに苦しんで、熱で意識が遠のいていくのを、ただ黙って見下ろしてたんだ! 俺は……本当に、死ぬかと……」
ダグの証言は、恐怖に裏打ちされた真実だった。
患者である彼からすれば、魔法を使えばすぐに治るはずの傷を放置され、三日間も地獄のような苦しみの中に置かれたのだ。その恨み言は痛切で、ミラも思わず胸が締め付けられる思いがした。
「ダグ氏。あなたが治癒を懇願したにもかかわらず、ミーナ氏がそれを拒否した。それは事実ですね?」
ノエルが確認すると、ダグは力強く頷いた。
「ああ! ロイド隊長だって見てた。こいつは俺の傷を治さなかった。怖気づいて逃げたか、俺を嫌って見捨てたんだ! 今更どんな言い訳をしようと、俺はこいつを絶対に許さねえ!」
「そう感じた経過を記録します。次に、処置の理由に関係する、あなた自身の体調を伺います。この部分は閲覧を制限します。規律部門への報告が必要になった場合も、関係のない相手には開示しません」
「……え?」
ダグが怪訝な顔をした瞬間、ノエルは鞄からあの小さなガラス小瓶を取り出し、ベッドの脇の小机に置いた。
その赤黒い粉末の残滓を見た途端、ダグの表情が劇的に変わった。
怒りと憎悪で赤く染まっていた頬から一瞬で血の気が引き、カチカチと歯の鳴る音が室内に響く。
「そ、それは……俺の荷物から……?」
「治療の際、診療所が保全したものです。残留物はブラッド・スパイスと一致しました。これはあなたの物ですか。いつ、どのくらい使いましたか」
「ち、違う! 俺は知らない、誰かが俺の荷物に……!」
ノエルは追及を重ねず、瓶の発見場所を記した保全票を見せた。
ダグはそれを見つめ、やがて顔を覆った。
「……俺のだ。最近、体がついていかなくて。足を引っ張りたくなかったんだ」
医師が使用時期を確かめ、ミラが本人の言葉どおりに記録した。
「ダグ氏。あなたの違法薬物使用についての処罰は、後ほどギルドの規律委員会で決定されます。ですが、今は責任解除の審査が優先です」
ノエルは医師とダグに、次の聞き取りの範囲を確かめた。
「ミーナ氏の処置については、この薬の影響も医師に確認します。ロイド隊長に治療に必要な範囲を説明し、ミーナ氏も同席することを望みますか」
ダグはしばらく黙ってから頷いた。
「……俺から話す。呼んでくれ」
ロイドは事情を聞くと、握りしめた拳を膝に置いた。責める言葉を飲み込み、ミーナの説明を待った。
「ミーナ氏。医療情報の別記録で伺います。ダグ氏にも、必要な報告先と開示範囲を説明済みです」
守秘義務保護が適用されるという言葉を聞き、ミーナは強張っていた肩の力を抜き、ようやくゆっくりと顔を上げた。
「……ダグさんが魔獣に腹を裂かれた直後、私は傷口の周囲に黒斑を見つけました」
静かな病室に、少女の澄んだ声が響く。
「血吸い胞子の感染を疑いました。だから、治癒魔法を発動する前に詠唱を中断したんです。でも……おかしいと思いました。典型的な寄生症なら、受傷直後にあそこまで急激に高熱が出ることはありません。黒斑の広がり方も、不規則で異常でした」
ミーナはベッドで顔を覆うダグを、悲痛な目で見つめた。
「もし私の見立てが間違っていて、ただの傷だったら、魔法を使わないことでダグさんを死なせてしまうかもしれない。でも、もし本当に感染していて魔法を使ってしまったら、即死させてしまう。……私は、ダグさんの荷物から微かにブラッド・スパイスの独特な匂いがしていることに気づきました。薬の影響も疑いました。ただ、その場では確定できませんでした」
ミーナは両手を胸の前で強く握り合わせた。
「感染の疑いがあるので魔法は危険だとは伝えました。でも、病名や熱の上がり方を問われると、薬の疑いまで話さなければいけないと思い込んで……。断定できないことと、今しなければいけない処置を、分けて説明できませんでした」
守るべき情報と、伝えるべき危険の区別がつかなかった。それでも、処置は続けた。
彼女は自分自身が『職務放棄をした裏切り者』として糾弾され、追放の危機に立たされることを承知で、三日間、ただひたすらに冷却処置を続けていたのだ。
「ミーナ……お前……」
ロイドは震える声で呟き、言葉を失った。ダグもまた、顔を覆っていた手をどけ、信じられないものを見るようにミーナを見つめていた。
「彼女の判断は、回復術師として極めて理にかなっています」
同席していた初老の担当医が、診療記録を開いた。
「覚醒薬は、一時的に血流を異常なほど促進させます。そのため、血吸い胞子の増殖も変則的になり、医療手引に載っている典型的な症状から大きく外れてしまう。その不確定な状況下で、即座に低体温管理へと移行した彼女の処置は見事としか言いようがありません。あの段階で治癒魔法を回避するのは、我々医師であっても標準的な正解です」
医師の言葉に、ミラは深く頷いた。少なくとも、魔法を避けたことを怠慢とは呼べない。
「待ってください、審査官殿」
だが、ダグがふらつく体を起こし、すがるような目でノエルを見た。
「俺が薬を使ったのは悪い……認める。だが、それはそれだ! こいつが本当に俺の感染に気づいていた証拠なんてないじゃないか! こいつはただ怖くなって俺の治療を放棄し、あとから門医の記録を見て、寄生症だったから魔法を使わなかったんだって、理由をでっち上げたのかもしれないだろう!」
言葉は刺々しかった。だが、ダグが知りたいのは、自分が見捨てられたのかどうかだった。
「なるほど。『後付けの言い訳』ですか」
ノエルは少しも動揺することなく、手元の書類をトントンと揃えた。
「本人の説明だけで決めないために、当時の記録を確かめます」
「時系列……?」
「ええ。理由を後から付けた可能性が残るか、順に見ていきましょう」
ノエルはロイドの遠征簿と、門医の記録を二枚並べて掲げた。
「門医が『黒斑』と『冷却処置中』の記録を残したのは、あなた方が王都のギルド門を通過した帰還時のことです。しかし、ロイド隊長の遠征簿には、受傷からわずか五分後の『一六時二五分』に、ミーナ氏が黒い斑点を理由に発動前の詠唱を中断し、冷却処置を始めたと記載されている」
ノエルはダグを冷徹に見据える。
「病名が確定するよりはるか前、森の奥深くの沼地で、彼女はすでに『寄生症に対する最適解の処置』を開始していた。門医の診断を聞いて初めて感染を口にした、という説明とは合いません。ただし、処置を続けた量と方法も確かめます」
ダグは完全に沈黙した。
言い逃れの余地は、もうどこにもなかった。
「しかし、まだ一つだけ確認事項が残っています」
ノエルは医師へと向き直った。
「先生。ミーナ氏の処置の正確性を最終的に裏付けるため、診療所での医療記録と、ある『消耗品』の計算を行いたい。ご協力いただけますか」




