第5話 追放は却下します
迷いの森に吹く風が、木々をざわめかせた。
ガレスの指が、地図の端を強く押さえた。
「正当化できないだと?」
ガレスは苛立ちを隠せない様子で、ノエルへとにじり寄った。
「俺たちはA級へ上がるために必死なんだ! あいつが戦闘を避けるせいで討伐数が稼げないなら、パーティを抜けてもらうしかないだろうが! それを邪魔する権利が審査官にあるのか!」
「パーティを抜けてもらうこと自体は、あなたの自由です」
ノエルは一歩も引かず、淡々と言葉を返す。
「私が問題にしているのは、あなたがその手段として『責任解除』を選んだ点です。責任解除――すなわち追放は、重大な契約違反や重過失を犯した者にのみ適用されるペナルティです。クロウ氏のルート選定は、結果として討伐数の減少を招いたかもしれませんが、同時にパーティの損耗を防ぎ、安全を担保していました。これを『故意による仲間の危険化』や『職務放棄』と呼ぶことはできません」
ノエルは手元の書類をまとめ、まっすぐにガレスを見据えた。
「ガレス隊長。あなたがクロウ氏を切り捨てたかった理由は、彼が無能だったからではない。討伐数連動スポンサーの査定条件を満たすために、彼の『安全を優先する方針』が邪魔になったからです。そして、自己都合での解雇に伴う補償金を支払いもせず、昇格査定の遅れを『怠慢なメンバーがいたせいだ』と責任転嫁するために、戦闘実績の不足を、契約違反と取り違えた」
「うっ……」
ガレスは言葉に詰まり、唇を噛みしめた。ガレスは地図に視線を落としたが、もうそれを押し返さなかった。
「最終判定を下します」
ノエルは事務的な、しかし重みのある声で告げた。
「『暁の剣』からの、荷物持ちクロウ氏に対する重大な職務怠慢を理由とした責任解除申請は――却下します」
その言葉が響いた瞬間、クロウの肩からすっと力が抜けた。
彼が背負わされようとしていた不当な責任記録は、付けられずに済んだのだ。
「ただし」
ノエルはガレスへと向き直る。
「パーティの方針が合わない以上、『通常解除』へと切り替えることは可能です。申請書は却下されましたが、あなた方がクロウ氏の復帰を望まず、クロウ氏も離脱に同意するのであれば、これをもって契約終了となります」
「……ああ。どのみち、こいつとはもう組めねえ」
ガレスは忌々しげに顔を背けた。
「では、ギルドの規定に従い、三十日前の予告なしの解雇として、クロウ氏に対して三週間分相当の補償金、および未精算報酬の全額を支払っていただきます」
「チッ……分かったよ。払えば文句はないんだろう」
「それと、もう一つ」
立ち去ろうとしたガレスの背中に、ノエルは容赦のない追撃を放った。
「今回の責任解除を前提として、あなたがスポンサーへ提出していた『A級昇格査定』ですが、第三審査室から正式な事実通知を行わせていただきます。クロウ氏の重大な違反を除外理由には使えません。査定部からは、その前提が崩れれば実績を再計算し、今期の審議を延期するとの回答を得ています」
「なっ……!?」
ガレスが振り返り、血走った目でノエルを睨む。ノエルは異議申立ての手続きも告げた。提出記録の捏造はなく、仕事の評価を誤った申請として、罰金や資格停止は科さない。それでも、彼がもっとも欲していた「昇格」は遠のいたのだ。
「……クソがっ!」
ガレスは近くの木の幹を渾身の力で殴りつけ、先に馬車へ戻ると吐き捨て、来た道を引き返した。
その背中が見えなくなった後。
クロウはへたり込むようにその場に座り込み、深く息を吐き出した。
「終わった……」
「お疲れ様でした、クロウ氏」
ノエルが歩み寄り、彼を見下ろす。
「あなたは通常解除として離脱することになりました。履歴に傷はつきませんし、十分な補償金も手に入ります。これからどうしますか? 別のパーティを探しますか?」
「いえ……」
クロウは首を横に振った。
「俺はやっぱり、魔獣が怖いです。剣を振って戦う才能はない。でも……」
彼は自分の手で作った、あの書き込みだらけの広域地図を愛おしそうに撫でた。
「俺が逃げるためにやってきたことが、誰かの安全を守れていた。そのことだけは、誇りに思おうと思います。……審査官様。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げるクロウを見て、傍らで腕を組んでいたバルトが口を開いた。
「おい、クロウ。戦うのが嫌なら、冒険者以外の生き方もあるぜ」
「え?」
「うちの現場監査課が出入りしてる領主系の『交易隊』で、新しいナビゲーターを探してるんだ。連中は馬車で大量の物資を運ぶから、魔獣を倒すことより『遭遇せずに確実に目的地へ着くルート選び』を何より重宝する。お前さんのその鼻と地図書きの腕があれば、引く手あまただろうよ。どうだ、俺から口利きしてやろうか?」
「ほ、本当ですか!?」
クロウの顔がパッと明るく輝いた。冒険者として戦えなくても、彼の才能を正当に評価してくれる場所がある。
「ええ、良い転職先だと思います」
ノエルも微かに頷いた。
「あなたが書いた地図は、その最高の推薦状になるはずです」
* * *
それから数日後の午後。
第三審査室の窓から差し込む陽光は穏やかで、部屋の中には平和な静寂が戻っていた。
デスクで書類整理をしていたミラが、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば先輩。昨日、クロウさんがギルドに来てましたよ。交易隊への正式な就職が決まったそうです。固定給で、経路を調べる時間も仕事に含めてもらえるそうです。『避けて帰ると、今度は喜んでもらえる』って言ってました」
「そうですか。それは良かった」
ノエルは報告書の束にサインを書き込みながら、表情を変えずに応じた。
「一方で、ガレス隊長の『暁の剣』は、補償金の支払いで資金がカツカツな上に、A級昇格が見送りになったせいで、毎日必死に低級クエストを回してるみたいです。少し可哀想な気もしますけどね」
「査定が変わった結果です。補償は罰ではなく、急に仕事を失う人のためのものですから」
ノエルはペンを置き、静かに息を吐いた。
「制度や数字は人を守るためにありますが、その数字が歪めば、人もまた容易に歪んでしまう。我々の仕事は、その歪みを正すことです」
ミラはノエルの横顔を見つめ、少しだけ尊敬の念を抱いた。
「ノエル先輩って、最初からクロウさんが有能だって見抜いてたんですか?」
「まさか」
ノエルはあっさりと首を振った。
「私はただ、提出された数字に『遭遇数の低下』という矛盾があったから、現場の証拠と照らし合わせただけです。審査官は勘で仕事をしてはいけません」
「あはは、先輩らしいですね」
ミラがくすくすと笑ったその時。
コンコン、と控えめなノックの音が響き、初老のギルド職員が分厚い封筒を持って入ってきた。
「ノエル審査官。新しい『責任解除申請書』が届いている」
「ご苦労様です」
ノエルは封筒を受け取り、中の書類を取り出して目を通した。
「次の案件ですか?」
ミラが身を乗り出してのぞき込む。
「ええ。あるパーティからの申請です。対象者は、回復術師の少女、ミーナ」
ノエルは書類の『処分の理由』の欄を指でなぞりながら、抑揚のない声で読み上げた。
「『重傷者を前に治癒魔法の使用を拒否し、仲間を三日間危篤状態に陥らせた重大な職務放棄』……だそうです」
「えっ!?」
ミラは驚いて声を上げた。
「魔法を使わなかったのは事実なんですね。ほかに、どんな処置をしたかは書いてありますか?」
「さて。どうでしょうね」
ノエルは申請書をデスクに置き、新しい羊皮紙を引き寄せた。
「申請書にはありません。まず、それを確かめましょう」




