第40話 臆病な装備係
S級候補パーティ『蒼冠』の隊長は、長机に三枚の書類を並べた。遠征の中止報告。スポンサーからの減額通知。そして、固定具の認証証明。
何度も開いたらしく、最後の一枚だけ角が丸まっていた。
「……認証品を信じた俺が、間違っていたのか」
答えを求める声だった。だが、隣に座る装備係のアイリスには目を向けない。
「安全だと書いてある。だから進めと言った。それを拒んで、全員を引き返させた。これで重大な命令違反にならないなら、隊長は何を根拠に命令すればいいんです」
アイリスは膝の上で手を握り、小さく口を開いた。
「認証印は見ました。でも、鉄に……」
「傷なら、俺にも見せただろう。あんな細い線で、遠征を全部捨てるのかと聞いたんだ」
言い終えてから、隊長は減額通知を伏せた。
「臆病になっただけだと、俺は言った。だが、こいつは最後まで危ないと言い張った。……どちらが間違ったのか、決めてください」
「そのために、固定具と、判断した時の状況を確かめます」
ノエルは二人を順に見た。
「損失が出たことだけでは、誰の責任かは決まりません。アイリス氏の説明を、まず最後まで聞きましょう」
ノエルは淡々と告げると、申請書に添付されていた証拠品――アイリスが使用を拒否したという、未使用の『岩壁用固定具』を手元に引き寄せた。
その表面には、ギルドの調達局が安全基準を満たしていることを証明する『認証印』が、誇らしげに打たれている。
だが、ノエルの視線は認証印ではなく、その隣に刻まれた小さな『製造ロット記号』に注がれていた。
(……やはり、あのロットと同系列の製造印だ)
ラグンが持ち帰った、規定荷重未満で破断した欠陥品。そして七年前、ノエル自身の人生を狂わせた事故で使われていた固定具。それらと全く同じ供給業者で作られたことを示す記号だった。
「アイリス氏」
ノエルはアイリスに向き直り、静かな声で問いかけた。
「あなたは、この固定具を使用することを拒否し、遠征の中止を進言した。隊長はそれを『怖がっただけ』と主張していますが、あなたがこれを危険だと判断した具体的な根拠は何ですか?」
「あ、あの……」
アイリスはおずおずと顔を上げ、ノエルとミラを交互に見た。
「私……冒険者になる前は、故郷の鍛冶工房で三年間、見習いとして働いていたんです。だから、鉄の叩き方とか、金属の性質とかは、ある程度分かっているつもりで……」
「元鍛冶工房見習い……」
ミラが目を丸くした。ただの荷物持ちや素人ではない。金属を扱う基礎的な専門知識を持っているということだ。
「このアンカーは、新品で、ギルドの認証印も押されていました。でも……出発前の点検で表面を磨いていた時に、違和感があったんです」
アイリスは震える指先で、机の上のアンカーを指差した。
「表面のコーティングの下に……ごくわずかなんですけど、金属の層が剥がれかけているような、細い線の影が見えました。鍛冶の親方が『鉄の層状割れは、一発で命取りになる』ってよく言ってたのと同じ特徴で……。だから、このまま体重をかけるのは危険だって、そう思って……」
「それでも、検査は通っているんだ」
隊長は認証証明を押さえた。
「現場の俺たちには、鉄の中まで確かめられない。だから、この印を頼りにしてきた。違うというなら、何が違うのか見せてほしい」
ノエルは頷いた。認証を頼りにした判断も、現物を見て止めた判断も、昨日の時点で何を知り得たかから確かめる必要がある。
「……バルトさん」
ノエルは後ろの長椅子で腕を組んで黙っていた、現場監査課のバルトを振り返った。
「専門家として、アイリス氏の主張の確認をお願いします」
「おう」
バルトはのっそりと立ち上がり、机の上のアンカーを無造作に手に取った。
彼はアイリスの顔をじろりと見てから、ポケットから分厚いレンズのルーペを取り出した。
「姉ちゃん、鍛冶見習いだったんだな。親方の教えは間違っちゃいねえ。層状割れを見落とせば、使い手は死ぬ」
「あ……はい」
バルトはルーペを目に当て、アンカーの表面を舐めるように観察し始めた。
審査室に、じりじりとした沈黙が流れる。隊長は認証証明に指を置いたまま動かず、アイリスは祈るように両手を握り締めていた。
数分の後。
バルトはルーペを下ろし、短く鼻を鳴らした。
「……大した目利きだ、姉ちゃん」
バルトの言葉に、アイリスがハッと息を呑んだ。
「コーティングで誤魔化してやがるが、確かに芯の金属部分に、髪の毛ほどの細い『層状割れ』の兆候が出てる。このまま岩壁に打ち込んで衝撃を与えりゃ、そこから割れが広がるおそれがある。……強度は測ってみなきゃ言えねえが、そのまま使っていい品とは思わん」
「認証を受けた後に、こうなった可能性は……」
隊長の問いに、バルトは首を傾けた。
「それも検査で確かめる。今ここで言えるのは、姉ちゃんの言った兆候が現物にもあるってことだ」
バルトはアンカーを敷布の上へ戻した。
「ただ怖がっただけ、と片づけるのは無理がある。使用を止めて確かめる理由はあった」
隊長はアイリスを見た。何か言いかけて、口を閉じた。
アイリスはまだ両手を握っていた。それでも、細い線を見つけた場所をもう一度尋ねられると、今度は指を震わせずに示せた。
ミラは認証証明と現物の写真に、別々の証拠番号を振った。
しかし、ノエルの表情は険しいままだった。
新ロットにも欠陥の兆候がある。だが、どこまで強度が落ちているか、認証時の材料と同じかは、まだ検査が要る。
ノエルはアイリスの最初の陳述を読み返し、本人の確認署名を求めた。ミラが受領時刻を記して封じる。
少女が小さく尋ねた。
「ほかにも、こんなことがあったんですか」
ノエルは、ラグンの事件の分析書を鞄から出した。
「別のロットで、規定に届かず壊れた事例があります。ここを――」
「先輩、その分析書は開示の決裁がまだ」
ミラの声より早く、紙がアイリスの前へ置かれた。試験数値のほかに、当事者の氏名と事故の詳しい記載がある。
少女の指が紙の端をつかんだ。
「この線も……私が見たものと似ています」
ノエルは一拍遅れて、手を止めた。
公開済みの安全通知だけで説明できた。なのに、疑われ続けた少女へ、今すぐ確かな裏付けを渡したかった。
「……その書面は、未開示です。こちらの判断を誤りました」
紙を引き取っても、見せた事実は消せない。
「ミラ。開示したページと、今のやり取りを記録してください。上級審査官へ報告します」
「はい。最初の陳述とは分けます」
ミラは新しい紙を取った。ノエルは、その手から目をそらせなかった。
「アイリス氏」
ノエルはアイリスを見つめ、静かに告げた。
「少なくとも、ただ怖がっただけという申請の説明は、この現物と合いません。……しかし、これをギルドの公式な決定として通すためには、まだ一つ壁があります」
「壁……ですか?」
「ええ」
ノエルは、バルトが敷布へ戻したアンカーを手に取った。
「ギルドの調達局は『新ロットは別材料で再認証済みであり安全である』と主張するでしょう。バルトさんの職人としての見立てだけでは、調達局の公式な記録を覆すには足りない。……同じロットの未使用品を、調達局から独立した第三者工房に持ち込み、正式な強度試験にかけ、認証の基準を満たすかどうか、数値で確かめる必要があります」




