第37話 規定荷重で壊れるもの
中央ギルドの地下にある現場監査課の試験室には、重々しい金属の軋む音が響いていた。
分厚い石壁に囲まれた空間の中央に、巨大な万力のような試験機が鎮座している。バルトは分厚い革エプロンを身につけ、真剣な眼差しで試験機のハンドルを慎重に回していた。
「よし、荷重を規定の八割まで引き上げるぞ。離れてろよ、姉ちゃん」
「は、はい!」
試験機から少し離れた安全線の中で、ミラは書類を抱きしめるようにして見守っていた。ノエルもまた、手元の記録用ボードに目を落としながら、静かにその過程を注視している。
試験機にセットされているのは、辺境の診療所からラグンが持ち帰った固定具の『携行片』に刻印されていた製造印――それと全く同じロット番号を持つ、監査課と倉庫係が立ち会い、無作為に選んで封印搬送した三点のうち、最初の未使用の『岩壁用固定具』である。
ギルドの安全規定によれば、このアンカーは成人男性四人分の体重と装備、さらに落下時の衝撃荷重にも耐えられるよう設計されていなければならない。
しかし。
ギリリ、と不快な金属音が鳴った直後だった。
バルトが試験機のメーターを確認し、「規定荷重の八割五分」と読み上げようとした、まさにその瞬間。
――バキンッ!!
弾けるような鋭い破断音とともに、試験機にセットされていた新品のアンカーが、真ん中から真っ二つに裂けた。千切れた破片が勢いよく飛び散り、防護用の金網に激突して火花を散らす。
「ひっ……!」
ミラは思わず肩をすくめ、短く悲鳴を上げた。
「やっぱりか」
バルトは試験機のハンドルから手を放し、忌々しそうに防護網を開けて、真っ二つになったアンカーの破片を取り出した。
「見ろ、ノエル。診療所で見たラグンの持ち帰り品と全く同じ壊れ方だ。綺麗な『層状破断』を起こしてやがる」
バルトは破片の断面を拡大鏡で示しながら、怒りを滲ませた声で言った。
「規定荷重どころか、その八割強の重さをかけただけであっさりと千切れやがった。断面の材質検査でも、内部に不純物の層が続いている。こんなもん、安全装備でもなんでもねえ。ただの鉄のゴミだ」
ノエルはバルトから破片を受け取り、その断面と手元の『鉄の盾』の事故報告書を交互に見比べた。
「装備重量と現場の配置から、衝撃も含めて荷重の範囲を見積もりました。上限でも規格を下回ります。ラグン氏の打込み位置は、生存者の証言と事故直後の写真が一致しています」
残る二点も、規定荷重に達する前に破断した。材質の層は回収した根元と携行片にも続き、双方の破断面はつながった。
ノエルは報告書にペンでチェックを入れ、淡々と結論を口にした。
「再現試験の結果と、当時の荷重記録により、事故の原因が『ラグン氏の命令違反による過荷重』であったという主張は、それを支える根拠がなく、装備不良とする証拠が揃いました。……崩落事故の真の原因は、ギルド調達局が認証し、現場に支給したこの『固定具の強度不足(欠陥)』です」
ミラは大きく息を吐き出した。
ラグンは命令違反など犯していなかった。彼は無実だったのだ。
保険部門が求めた個人への責任集中には、根拠がなかった。欠陥を承知で隠したのかは、これから調べる必要がある。ケイル副隊長は、その保険部門からの「遺族給付を停止する」という非情な圧力に屈し、幽霊からの追放届という偽造に手を染めてしまった。
「ひどいです……ギルドが自分たちのミスを隠すために、冒険者を身代わりにしようとしたなんて」
ミラは憤りを隠せずに言った。
「これで、ラグンさんの疑いは完全に晴れましたね。ケイルさんの偽造は処罰されるにしても、事故自体は『装備事故』として処理されるから、遺族の方への補償もちゃんと下りるはずです」
「ええ。ですが、実務上、我々審査室がこれを『装備事故』として正式に認定するためには、当時の現場での『安全マニュアルの遵守状況』も確認しておく必要があります」
ノエルは淡々と手続きのステップを進める。
「ミラ。ギルドの『ダンジョン内設備および支給装備に関する安全規則』の条文を開いてください。固定具に異常が生じた場合の、装備係の対応手順についてです」
「あ、はい! ええと……」
ミラは分厚い規則集を急いでめくり、該当するページに指を這わせた。
「ありました。第七章、緊急時の対応手順ですね。……『非常巻上機を備えた区画で固定具等に異常を認識した装備係は、直ちに警笛を二回鳴らして仲間に危険を知らせ、その後に非常巻上機へ向かい、退路を確保すること』……とあります」
「当時の『鉄の盾』の装備係は、ハロルド隊長本人が兼任していました」
ノエルは事故報告書の記述を指でなぞる。
「生存者の証言によれば、隊長は崩落の予兆となるアンカーのきしみ音を聞いた直後、規定通りに警笛を鳴らし、退避を指示しています。二回の警笛は、救護側の記録とも一致しています。現時点で、事故に寄与した手順違反は確認されていません」
「あの、ノエル先輩」
ミラは規則集のページを見つめたまま、ふと疑問を口にした。
「この『警笛を二回鳴らしてから、巻上機へ向かう』っていうルール……最近できたものじゃないんですね。欄外の改訂履歴を見ると、この安全規則の条文自体は、もう十年以上変更されていないみたいです」
「ええ。基本となる安全手順は、そう簡単に変わるものではありません」
ノエルは無機質に答えながら、バルトが検体皿に戻した、欠陥アンカーの破片へと視線を戻した。
「……」
ノエルの視線が、破片の表面に刻まれた小さな『製造ロット記号』に釘付けになった。
調達局が品質管理のために打つ、英数字の羅列。
その記号の並び、特定の工房を示すアルファベットの配列と、製造ラインを示す特有のナンバリング形式。
それを見た瞬間。ノエルの頭の中で、冷たく重い『記憶の扉』が、ギィッと音を立てて開いた。
『――警告なしだ! 装備係が持ち場を離れやがったせいで、二人が死んだんだ!』
『――君の判断ミスだ、ノエル君。材料分析の結果、あの固定具は規定の強度を満たしていた。……君が警笛を鳴らさずに逃げたことが、この惨事を招いたのだよ』
耳の奥で、七年前の怒号と、冷ややかな宣告がフラッシュバックする。
七年前。ノエル・ヴァイスという若き装備係が、巻上機の事故において「重大な持ち場放棄」で責任解除された日。
ノエルは確かに、固定具の異常に気づいていた。そして、自分は警笛を鳴らした記憶があった。
だが、ギルドが後から行った材料分析では、固定具は『規格内』であると判断された。生存者のエリアンは『警笛は聞こえなかった』と証言した。
警笛を鳴らした記憶も、巻上機を回した記憶も、消えたことはない。だが、その前に迷った時間があった。あれが短ければ仲間は助かったのではないか。その問いに答えられず、ノエルは責任解除に同意した。
しかし。今、目の前にある欠陥アンカーの製造ロット記号の形式は。
「……同じ、だ」
ノエルは無意識のうちに、低く掠れた声で呟いていた。
「おい、ノエル。どうした?」
バルトが怪訝そうに眉をひそめる。
ノエルは、破片を持つ手にギリッと力が込められていることに気づき、ゆっくりと息を吐き出して感情を押し殺した。
「……いえ。バルトさん。このロット記号と同じ系列の製造印が使われていた時期を、調べてくれませんか」
「あ? ああ、構わねえが……大体どのくらい前の時期だ?」
「七年前です」
ノエルの声には、普段の彼にはあり得ないほどの、微かな震えが混じっていた。
「私が……冒険者ギルドから、責任解除された年の記録です」




