第36話 行方不明者の帰還
「見つけました! 先輩、バルトさん!」
薄暗い資料室に、ミラの弾んだ声が響いた。
彼女の手には、ダンジョン管理局から取り寄せた分厚い『門札通過記録』の束が握られている。
「三ヶ月前の崩落事故の翌日。『岩鳴りの谷』の最下層から外海へ抜ける、非常用の別出口の通過記録です。そこに間違いなく、ラグンさんの門札の魔力波形が記録されています!」
ミラがバンと机に置いた記録用紙には、事故発生から約三十時間後という日時の横に、ラグンの登録番号がはっきりと印字されていた。
「門札が通った。本人も一緒だったかは、まだ確認が要りますね」
ミラは出口近くの渡し場の記録を重ねた。負傷者一名を診療所へ運んだという船頭の記載がある。
「管理局経由で診療所へ連絡したところ、本人が面会に同意しました。ここなら話す、と」
ノエルはコートを取った。
「では、その場所で伺いましょう」
王都から馬車で丸一日。
寂れた辺境の村にある小さな診療所の裏手で、右腕を吊って薪を片づけている男がいた。
崩落事故で右腕に深い傷を負い、十分な治癒魔法も受けられずに後遺症が残ってしまったのだろう。男は左手で薪を抱え、納屋へ運んでいた。
「ラグン氏ですね」
背後からかけられたノエルの声に、男はビクッと肩を震わせ、薪を取り落とした。
振り返った男の顔は、驚愕と恐怖で引きつっていた。
「ギ、ギルドの……審査官……」
男――ラグンは、ノエルの胸元で揺れる第三審査室の銀の紋章を見て、後ずさりした。
「来やがったな……。俺を、追放しに来たんだろう! 俺に全部の罪を被せて、責任記録を真っ黒に塗りつぶして、一生冒険者として生きていけなくするつもりだろう!」
ラグンは半狂乱になりながら叫んだ。
「違う! 俺は命令違反なんてしてない! アンカーを打てと言われて、ちゃんと規定通りの場所に打ち込んだ! それなのに、あのふざけた金属が勝手に千切れて、岩壁が崩れてきたんだ! 隊長が死んだのは俺のせいじゃない!」
「落ち着いてください、ラグンさん!」
ミラが一歩前に出て、彼をなだめようと両手を広げた。
「私たちはあなたを追放しに来たわけじゃありません! 提出された書類のままで、責任解除を認めることはできません。最終判定の前に、あなたのお話を伺いに来ました。……あなたは、追放されてなんかいないんです!」
「……え?」
ラグンの動きが止まった。
「認めない……? じゃあ、ケイルが出したという、あの追放届は……」
「あれは、副隊長のケイル氏が遺族保険のために偽造したものでした。我々はすでにその証拠を掴んでいます」
ノエルの淡々とした説明に、ラグンはへなへなとその場に座り込んだ。
「そうか……。ケイルの野郎、やっぱり俺を売りやがったのか……。でも、アンタがそれを止めてくれたのか……?」
「我々は事実を整理しただけです」
ノエルはラグンを見下ろした。
「ラグン氏。あなたは自分が無実であると知っていた。そして、別ルートから脱出できるだけの気力も体力もあった。ならば、なぜすぐにギルドへ報告せず、三ヶ月間も辺境に潜伏していたのですか」
ノエルの問いに、ラグンは自嘲気味に笑った。
「最初は怪我で動けなかった。治っても、報告してまともに取り合ってもらえる気がしなかったんだ。先週、診療所へ届いた保険の照会に、俺の命令違反を調べるとあった。それでケイルに手紙を出したら、追放届を出すと返ってきた」
ラグンは自分の不自由な右腕を見つめながら、吐き捨てるように言った。
「冒険者の間じゃ、有名な噂だ。……昔、ギルドが支給した橋の固定具が壊れて、パーティが全滅しかけた事故があった。装備が怪しかったという話もあったのに、結局は、生き残った下っ端の装備係に『警告が遅れた』とかいう無理やりな理由をつけて、そいつを追放して全部終わらせたんだってな」
その言葉が出た瞬間。
バルトが息を呑み、ミラが弾かれたようにノエルを見た。
七年前。ノエル自身が理不尽な追放を受けた、あの事故。まだ確かめられていない事故の話が、形を変えた『噂』として、一般の冒険者たちの間で「ギルドの隠蔽体質」の象徴として語り継がれていたのだ。
「……だから、俺もそうなると思った」
ラグンは震える声で言った。
「あのふざけたアンカーが千切れたせいで隊長は死んだ。でもギルドは絶対にそれを認めない。生き残った俺に、『お前が変な使い方をしたせいだ』って責任を押し付けて、永久に消えない傷をつけるに決まってる。……俺は、身代わりにされるのが怖くて、逃げたんだ」
それは、弱く、臆病で、しかしあまりにも合理的な恐怖だった。
かつてノエルが味わったのと同じ絶望を、この男もまた、薄暗いダンジョンの底で感じ取っていたのだ。
「……あなたの懸念は、半分は当たっていました」
ノエルは感情の揺れを一切見せず、ただ静かに告げた。
「あなたに責任を負わせる偽造書類が提出されたのは事実です。保険部門の対応も調べています。だからこそ、何が起きたかを確かめたい」
ノエルはラグンの前に歩み寄り、手を差し出した。
「命綱についていた固定具の破片は、手元にありますか。あれば、検査のために提出していただきたい」
ラグンはノエルの瞳をじっと見つめ返した。
その冷徹だが、決して嘘を許さないという強い光に何かを感じ取ったのか。ラグンはゆっくりと立ち上がり、診療所の裏手に置かれた自分の古い荷袋をごそごそと探った。
「……あんたが、まともな審査官であることを祈るよ」
そう言ってラグンが差し出したのは、土と血に汚れ、半分から無残に千切れた……金属製の『岩壁用固定具』の破片だった。
「おお……っ!」
バルトが身を乗り出し、台の上へ清潔な布を敷き、そこへ置いてもらった。
「間違いない。こいつは岩壁に残ってたアンカーの、引きちぎられた上半分の『携行片』だ!」
バルトは断面に触れず、拡大鏡を当て、写真で見たのと同じ『不自然に平滑な層状破断』の痕跡を直接その目で確認した。
「バルトさん。製造印は」
ノエルの短い問いに、バルトは付着した土ごと写真に収めた後、刻印を読むための箇所だけを慎重に清掃した。ミラが処置と受領時刻を記録する。
「……あったぜ、ノエル。こいつだ」
バルトの顔が、怒りと興奮で険しく歪む。
「ギルド支給の安全装備であることを示す、調達局の『製造ロット記号』だ。……間違いねえ。こいつはギルドが認証して、現場の冒険者に配った装備だ」




