第30話 追放という避難所
ノエルが机に広げたのは、『白鷲』の直近六週間の経費決済簿だった。普段ギルドへ提出するのは費目別の集計で、細かな用途と承認署名はパーティ内部の帳簿に残る。今回は支出の裏付けとして、その帳簿も照会して取り寄せていた。
「レオ氏が悪魔族難民のキャンプへ向かったのは、六週間前、四週間前、そして昨日の計三回。この記録簿によれば、第一回と第二回の接触の直後、レオ氏の携行ポーションの補充費用や、劣化した防寒具の買い替え費用が、隊長であるあなたのサインで決済されています」
ノエルの指摘に、隊長の顔色が土気色に変わった。
「補充費を出しただけなら、用途を知らなかった可能性もあります。ですが、二回目の申請には理由が書かれています」
ノエルは裏面を開いた。
『悪魔族避難民への救援後の携行品補充』。そのすぐ下に、隊長の承認署名があった。
「この記載を見ずに署名したのか。それとも、読んで承認したのか。確かめさせてください」
証拠は、あまりにも明白だった。
「昨日初めて知った」という彼らの主張は、この一枚の決済簿によって完全に瓦解した。
「……ああ、そうだ」
長机の端で黙り込んでいたレオが、深く息を吐いて天井を仰いだ。
「隊長たちは、二回目の時に俺の後をつけて、俺が難民のガキどもにパンや毛布を配ってるのを知った。……こいつらは俺を叱ったが、相手が飢えた女子供だと知って、見逃してくれたんだよ。減ったポーション代も、経費で落としてくれた」
「レオ……」
魔法使いの女性が、泣きそうな顔で彼を見た。
「用途は読んだ。俺が承認した」
隊長がようやく口を開いた。
「当時は、無許可の救援を見逃した責任を問われるとは思っていた。だが、内通だの連座だのと疑われるところまでは考えていなかった。だから、内輪の帳簿には使い道をそのまま書かせたんだ」
「だが、三日前に国境警備隊の動きが慌ただしくなって、審問院が内通者を洗っているって噂が流れてきた」
レオは自嘲気味に笑った。
「俺は焦ったよ。もし俺のせいで『白鷲』が内通の疑いをかけられたら、初期調査の段階でパーティ全員が活動停止になる。……隊長の家には病気の子供がいるし、シスターは孤児院への寄付を抱えてる。みんな、S級昇格のスポンサー報酬が必要なんだ。俺のくだらない自己満足のせいで、こいつらの人生まで道連れにできるわけねえだろ」
だからこそ、彼らは「緊急分離」の確証を得るために窓口へ行き、明確な答えを得られなかったことでパニックに陥ったのだ。
「だから、俺から頼んだんだ」
レオはノエルを真っ直ぐに見据えた。
「俺が昨日、一回だけ勝手に密会したことにしてくれって。証拠の写真を撮って、嘘の陳述書を書いて、俺を裏切り者として即日追放してくれってな。……そうすれば、白鷲という組織は完全に無関係な被害者になる。俺一人が罪を被れば、全員助かるんだ」
「馬鹿を言うな! 俺たちがお前を切り捨てたことに変わりはないだろうが!」
隊長が目を赤くして怒鳴った。
「お前一人が審問院の地下牢に放り込まれるのを、黙って見過ごせるか! だからせめて、最高の弁護人を雇う費用くらいは出させてくれって……っ」
隊長はついに顔を覆い、嗚咽を漏らした。
ミラは、胸が締め付けられるような思いで彼らを見ていた。
誰も、悪意なんて持っていなかった。
レオは難民を見捨てられず、仲間もレオを見捨てられなかった。ただ、審問院の『連座』という恐ろしい制度から互いを守るために、彼らは『追放』という制度を避難所として利用し、互いを憎んでいるふりを演じていたのだ。
「ノエル先輩……」
ミラは潤んだ瞳でノエルを見上げた。彼らの思いやりによる嘘なら、せめて穏便に済ませる方法はないのだろうか。
ノエルは申請書を裏返した。
「レオ氏。あなたが一人で罪を被れば、全員助かると言いましたね」
「ああ」
「それは、誰が保証したのですか」
レオは答えなかった。
「接触当時の支出記録は残っています。昨日初めて知ったという説明を通せば、仲間は明日の聴取でも、その嘘を続けることになる」
ノエルは消さずに残された三通の陳述書を見た。
「人道支援が嘘一つで内通に変わるわけではありません。それでも虚偽の説明は別の問題になり、本来示せた記録まで疑われる。今より安全になる保証はないのです」
「……じゃあ、どうすればよかった」
隊長の声には、もう怒りがなかった。
「窓口へも行った。制度があるのは聞いた。でも、明日までに使えるのか、誰も答えてくれなかった」
ノエルはその言葉を遮らなかった。
「その対応も記録します。担当へつなげなかった事情は、こちらで確かめなければなりません」
隊長の指が、握りつぶしかけたハンカチから離れた。
その時、審査室の扉が開いた。
「――その答えを出すのが、我々『審査官』の仕事です」
ノエルが答えるより早く、審査室の入り口から凛とした声が響いた。
振り返ると、大量の判例集や法規の記された分厚いファイルを手にしたクララが、毅然とした態度で立っていた。




