第3話 本人が認めても終わらない
冒険者ギルド中央本部の一階ロビーには、真新しい羊皮紙のポスターが誇らしげに掲示されていた。
『討伐数連動スポンサー契約枠、拡大! 魔獣を狩り、更なる名誉と富を!』
大きな飾り文字の下には、この制度を立案し、かつて赤字に喘いでいたギルドの事故保険原資を立て直した功労者、ルーファス副ギルド長の名前が仰々しい署名とともに記されている。
「この査定が、ガレス隊長の申請を急がせたんでしょうか」
出勤がてらポスターを見上げたミラが、隣を歩くノエルに小声で言った。
「討伐数が多いほど、スポンサーからの特別報奨金が増え、A級昇格への査定も有利になる。クロウさんが討伐数ゼロのままだと、パーティ全体の平均値が下がる……」
「その可能性はあります。ただ、動機の推測は、契約違反の証拠にはなりません」
ノエルはポスターから目を離し、階段へ向かった。
「補償を免れたいとは、本人も言っています。ですが、クロウ氏の働きをどこまで理解していたかは、まだ確かめていません」
「知らなかったのか、知っていて評価しなかったのか、ですね」
「それも伺います。まずは、任せた仕事と実際の仕事を」
二人が三階の第三審査室へ足を踏み入れると、そこにはすでに先客がいた。
「あ、あの……失礼します」
部屋の隅に置かれた来客用の丸椅子に、背を丸めて座っていた青年。洗いざらしの簡素な麻服に身を包み、大きな荷物を背負うための革帯を肩から下げている。ひょろりとした体格で、顔立ちは平凡だが、ひどくおどおどとした瞳が印象的だった。
「クロウ氏ですね。お待ちしていました」
ノエルが声をかけると、クロウはビクッと肩を跳ねさせ、慌てて立ち上がって深々と頭を下げた。
「す、すみません! 俺なんかのせいで、ギルドの審査官様にまでご迷惑をおかけしてしまって……」
「迷惑ではありません。ギルドの規定に基づく通常の審査業務です」
ノエルはデスクを指し示し、彼に座るよう促した。
「クロウ氏。あなた方のパーティ『暁の剣』から、あなたに対する責任解除――俗に言う追放の申請が出されています。理由は『戦闘参加ゼロ、討伐数ゼロによる重大な職務怠慢』。これについて、あなた自身の口から事情を伺いたい」
ノエルが淡々と事実を告げると、クロウはすっかり萎縮した様子で視線を泳がせた。
「それは……隊長の言う通りです。俺は、剣を振るう才能なんて欠片もなくて……。魔獣が現れると、足がすくんで、荷車を引いて岩陰に隠れることしかできませんでした」
クロウの言葉に、ミラはハッとして口を挟んだ。
「でも! あなたは風向きや魔獣の痕跡を読んで、ずっと安全なルートを選んでましたよね? あなたが休んだ二回の遠征では、パーティに重傷者が出てるんです。あなたの働きは、絶対に無駄じゃなかったはずです!」
「安全なルート、ですか?」
クロウはぽかんとした顔をした後、自嘲するように弱々しく笑った。
「そんな大層なものじゃありません。俺はただ、魔獣が怖くて、血の匂いや嫌な風が吹く方向から逃げていただけなんです。結果的にそれが遠回りになって、隊長たちを苛立たせて……。俺が臆病なばかりに、皆の足を引っ張ってしまったんです」
クロウは震える手で懐から一枚の羊皮紙を取り出し、デスクの上に置いた。
「俺は、戦えません。だから、隊長が俺を無能だと言って追い出すのは、仕方のないことなんです。俺自身も、もう限界でした。……これ、持ってきました」
彼が差し出したのは、『責任解除への同意書』だった。
自身の職務怠慢を認め、パーティからの即時解雇と補償金免除を受け入れるという署名が、震える筆跡で記されていた。
ミラは言葉を失った。本人がここまで劣等感に苛まれ、自ら「無能」だと認めて同意書まで出しているのだ。これ以上、第三者である自分たちが口出しする余地があるのだろうか。
「ノエル先輩……これ、本人が同意してるなら、もう……」
ミラが力なく呟くと、ノエルは同意書を受け取り、日付と署名を確かめた。
受領印を押して、ほかの資料と一緒に保全封筒へ入れる。
「受け取ります。ただし、これだけで責任解除を認めることはできません」
クロウは、差し出したままだった手をゆっくり引っ込めた。
「審査官様! な、なぜ……」
「クロウ氏。冒険者ギルドの制度は、人間関係のいざこざを解決するためのものではありません。第三者の利益を守るために存在しています」
ノエルは静かな目で、戸惑う青年を見下ろした。
「別れたいという意思は尊重します。しかし責任解除が認定されれば、違反の記録は二年間、次の登録や昇格査定に直接影響します。その後も原記録は残る。あなたが引き受けると言っただけで、事実にしてよいものではありません」
ノエルはデスクの引き出しから、分厚い規約書を取り出して机を叩いた。
「今回はスポンサー査定にも使われます。事故が絡む申請なら、誰が保険の免責額を負担するかまで変わる。二人の同意だけでは、ほかの人のお金の扱いまで決められないのです」
「俺の、記録が……ギルドの保険に……?」
「ええ。だからこそ、本人の同意があろうとなかろうと、我々第三審査室は客観的な審査を省略しません」
ノエルはクロウに背を向け、窓の外へ視線を投げた。中庭では、相変わらず冒険者たちが木剣を打ち合わせ、力こそがすべてだと信じて疑わないような訓練の音が響いている。
「あなたは自分を無能だと言い、戦えないことを理由に追放を受け入れようとした。ガレス隊長も、討伐数という数字だけを見てあなたを無能だと断じた」
ノエルは振り返り、クロウの目を真っ直ぐに射抜いた。
「ですが、ここでの争点は『あなたが無能かどうか』などという主観的な評価ではありません。争点はただ一つ。『責任解除の要件を満たすだけの、重大な契約違反が立証されたか』です」
クロウは口をパクパクとさせ、何も言い返せなかった。ミラもまた、ノエルの冷徹なまでの制度重視の姿勢に圧倒されていた。だが、同時に気づく。
ノエルは「本人の弱気」という感情論を切り捨てることで、クロウ自身すら気づいていない不当な処罰から、彼を徹底的に守ろうとしているのだ、と。
「クロウ氏。契約にある『運搬・野営準備・経路選定補助』。あなたが実際にしていた仕事を、一つずつ教えてください。剣を振れないこととは分けて聞きます」
ノエルは手元のベルを鳴らした。
「午後から現場監査課の人間を連れて、実地調査に向かいます。あなたが本当に『ただ逃げていただけ』なのか、現場で確認させてもらいましょう」




