第2話 戦わない仕事
翌朝、中央ギルドの裏手にある中庭の訓練場には、土埃と汗の匂いが立ち込めていた。
木剣のぶつかり合う鈍い音が響く中、ミラは羽ペンとメモ帳を手に、冒険者パーティ『暁の剣』のメンバーたちへ聞き取り調査を行っていた。
第三審査室の書記官として、当事者周辺の証言を集めるのも彼女の重要な仕事である。
「クロウについてですか? ああ、隊長から聞いてますよ。追放の審査に入ったとか」
汗を拭いながら応じたのは、『暁の剣』の斥候を務める身軽な青年だった。彼は呆れたように肩をすくめる。
「はっきり言って、あの荷物持ちは完全にハズレでしたね。戦闘になっても剣の一本も抜かず、岩陰に隠れてガタガタ震えてるだけ。討伐数ゼロなんて当たり前ですよ。俺たちが必死に魔獣を狩ってる間、あいつは見てるだけなんですから」
「なるほど……。では、荷物持ちとしての仕事ぶりはどうでしたか? 例えば、野営の準備や荷物の管理などは」
ミラが尋ねると、今度は傍らで休息していた魔術師の女性が鼻で笑った。
「運ぶだけなら誰でもできますよ。むしろ、あいつのせいで遠征の効率が落ちてイライラしてたくらいです。すぐ『あっちの道は臭いが変だ』とか『風向きが悪い』とか言って、わざわざ遠回りなルートを歩きたがるんです。臆病にも程がありますよ。隊長が怒鳴りつけて、ようやく真っ当な道を進むことも多かったですけどね」
「遠回りなルート……ですか」
「ええ。それに、魔獣が出たと思ったら、真っ先に荷車を引いて退路の安全確認とか言って逃げる準備をするんです。戦う気なんて最初からゼロ。あれで俺たちと同じ報酬を受け取ってたんですから、隊長が追放したくなるのも当然でしょう?」
斥候の青年が同調し、二人はクロウへの不満を口々に並べ立てた。
ミラは「退路の安全確認」という言葉に線を引いた。臆病さからした行動かもしれない。それでも、何をしていたかは「運ぶだけ」とは違う。彼らが嫌っていることと、契約違反かどうかを分けて記録しなければならない。
「ご協力、ありがとうございました」
ミラは一礼し、証言をメモ帳に書き留めてから中庭を後にした。
ギルド三階の第三審査室に戻ると、ノエルはデスクいっぱいに書類や地図を広げ、黙々と羽ペンを走らせていた。
今朝一番で、ガレスが不機嫌極まりない態度で投げつけていった加入前後一年分の資料一式である。
「ノエル先輩。聞き取り、終わりました。やっぱりメンバーの人たちも、クロウさんのことを『戦わずに逃げてばかりの臆病者』だって言ってましたよ」
ミラが報告書を差し出すと、ノエルは顔を上げずにそれを受け取り、視線を広げられた地図に落としたまま頷いた。
「ご苦労様です。証言の内容は、おおよそ推測通りですね」
「推測通りって……それじゃあ、遭遇数が減ったのはただの偶然か、パーティが強くなったからじゃないですか? 現にメンバーは、彼が遠回りばかりしたがったと不満を漏らしていましたし」
「ええ。彼らはそう感じていたでしょう。ですが、こちらを見てください」
ノエルが指差したのは、ガレスが提出したダンジョン周辺の広域地図だった。
分厚い羊皮紙に描かれた地形図の余白には、薄いインクで細かな記号がびっしりと書き込まれている。
「これは……?」
「クロウ氏が書き込んだと思われる記録です。矢印のような記号、波線、そして小さなバツ印」
ノエルは別の書類――ガレスが記した遠征簿の写し――を地図の横に並べた。
「遠征簿の日付と、この地図の記号を照らし合わせてみました。矢印は『その日の風向き』。波線は『水場の位置』。そしてバツ印は……おそらく『魔獣の糞跡』や『爪痕』など、縄張りの境界を示すサインです」
ミラは目を瞬かせた。地図の余白には、まるで暗号のようにその日の自然環境の変化が記録されている。
「メンバーの証言にあった『臭いが変だ』『風向きが悪い』という発言と一致しますね」
ノエルは淡々とした声で解説を続ける。
「多くの魔獣は、風に乗って届く獲物の匂いを嗅ぎつけます。また、水場は魔獣が集まりやすい危険地帯であり、糞跡は彼らの狩り場を意味する。クロウ氏は、風向きや痕跡を避ける理由にしていたようです。その判断が妥当だったか、現地でも確かめます」
「意図的に……戦闘を避けていた?」
「その可能性があります。地図の筆跡も本人に確認しましょう」
ノエルはデスクの端に積まれた、別の書類の束を軽く叩いた。
「それが分かる証拠がもう一つあります。消耗品の購入記録です」
「消耗品、ですか?」
「ええ。クロウ氏が加入してからの半年間、彼らのパーティは治療薬の消費量と、食料の廃棄率が以前の半分以下に落ち込んでいます」
「治療薬が減るのは、怪我をしていないから分かりますけど……食料の廃棄率?」
「野営地選びも関係していそうです。以前の遠征簿には、夜襲による食料袋の破損や、撤退時の投棄が記されています。加入後は、その損失が減っている。安全な野営が増えたという見方とは整合します」
ミラは絶句した。
討伐数ゼロ、戦闘参加ゼロ。その数字だけを見れば、間違いなく足手まといの無能だ。しかし、視点を変えれば、彼は戦闘以外のところで損失を減らしていたのかもしれない。
「すごい……でも、どうして隊長のガレスさんはそれに気づかなかったんでしょうか? こんなにはっきりと成果が出ているのに」
「人は、自分の見たいものしか見ない生き物ですから。特に、評価の基準が歪んでいるときはなおさらです」
ノエルはそう言って立ち上がり、壁に掛けられた古びた外套を手に取った。
「少し、資料室へ行ってきます。過去の記録と照合したいデータがある」
「あ、私も行きます」
ミラも慌てて立ち上がる。
ノエルは無言で頷き、扉へ向かって歩き出した。その途中、審査室の隅に置かれた台車――大量の書類を運ぶための小さな荷車――の横を通り過ぎる際、彼はふと立ち止まった。
そして、荷車の車輪を固定する金具に手を伸ばし、ガチッ、ガチッと、無意識のような仕草で「二度」強く引いて確かめた。
「先輩?」
「……いえ。なんでもありません」
ノエルは微かに目を伏せ、すぐにいつもの凪いだ表情に戻って歩き出した。ミラは少し不思議に思ったが、追及せずに彼の手元にある書類へ視線を戻した。
審査官という仕事柄、安全確認の癖がついているのだろうか。それにしては、先ほどのノエルの瞳の奥には、どこか冷たい過去の影が落ちていたように見えた。
地下の資料室は、カビと古いインクの匂いが充満していた。
ギルドが管理する過去の遠征記録が所狭しと並ぶ棚の間で、ノエルは目当ての分厚いバインダーを引き抜いた。
「先輩、何を調べるんですか? クロウさんの貢献は、もう地図と消耗品のデータで十分に証明できるのでは?」
「彼が有能である可能性は高い。ですが、ガレス隊長は『パーティ全体が強くなったから安全性が上がった偶然だ』と反論するでしょう。審査において、偶然という別解を潰すには、より確固たる対照データが必要です」
ノエルはバインダーを広げ、指先で過去半年の記録を素早く追っていく。
「探すのは、例外です。クロウ氏が加入してから半年間、彼が『遠征を休んだ日』がないかどうか」
「休んだ日……あ、ありました」
ミラが横から手元のメモを指差した。
「聞き取りの時、魔術師の人が言ってました。二ヶ月ほど前、クロウさんが高熱を出して、二回だけ遠征を休んだことがあるって。その時は、臨時で別の荷物持ちを雇ったそうです」
「それです」
ノエルは該当する日付の遠征簿と、当時の消耗品記録を素早く抜き出した。
数分間、静寂の中で紙をめくる音だけが響く。やがて、ノエルの指がぴたりと一つの項目で止まった。
「見つけました」
ノエルの声には、確信に満ちた静かな響きがあった。
「クロウ氏が休んだ二回の遠征。潜ったのは同じ危険度帯、同じ地域、ほぼ同等の装備条件です。代理の荷物持ちに地図を渡した記録はなく、行程もクロウ氏の選んだ道とは違っています」
「……何か、問題があったんですか?」
「ええ。その二回の遠征『だけ』、魔獣との遭遇率がクロウ氏加入前の旧水準にまで跳ね戻っています。そして何より――」
ノエルは遠征簿の被害報告欄を指でなぞり、ミラに見せた。
「この二回だけ、重傷者が発生し、治療薬の消費が異常な数値を示している。撤退も余儀なくされています」
ミラは息を呑んだ。
たった二回だけで、すべてを言い切ることはできない。けれど、「パーティが強くなっただけ」という説明では、この落差が残る。
「この二回の違いを、現場で確かめましょう」
ノエルはバインダーを閉じ、冷徹な審査官の瞳で告げた。
ノエルは重傷者の欄の横に、クロウの欠勤日を書き添えた。
討伐数ゼロの男がいなかった日だけ、帰れなくなりかけている。




