第1話 討伐数ゼロの男
「討伐数ゼロ、戦闘参加ゼロだ。こんな荷物持ちに、三週間分の補償まで払えっていうのか?」
冒険者ギルド中央本部、第三審査室。
『暁の剣』の隊長ガレスが、カウンターに追放申請書を叩きつけた。大剣を背負った男の指の下で、薄い紙がくしゃりと潰れる。
「クロウを追放する。さっさと認めてくれ」
その怒声に、カウンターの奥で書類整理をしていた新人書記官のミラ・フェルンがビクッと肩を揺らした。栗色の髪を揺らして恐る恐る振り返る彼女を尻目に、窓際のデスクに座っていた青年が静かに立ち上がった。
追放審査官、ノエル・ヴァイス。
仕立ての良い簡素な執務服に身を包んだ彼は、年の頃は二十代の終わり。整った顔に表情を浮かべず、ガレスと、彼が叩きつけた書類を交互に見下ろした。
「第三審査室へようこそ、ガレス隊長。申請書の提出ですね」
「ああ。理由の欄にもしっかり書いておいた。奴は無能だ。ただ飯食らいの寄生虫だよ」
ガレスは忌々しげに吐き捨てる。
ノエルは表情を変えず、インクの乾ききっていない書類を手に取った。隣に立ったミラが、その文面を横からのぞき込む。
冒険者パーティ『暁の剣』からの責任解除申請書。対象者は、荷物持ちとして半年前に加入した青年、クロウ。
処分の理由欄には、怒りに任せたような筆跡でこう書かれていた。
『戦闘参加回数ゼロ。魔獣討伐数ゼロ。それにもかかわらず規定通りの報酬を要求する悪質な寄生行為』
「討伐数、ゼロ……」
ミラが思わず呟いた。一階の掲示板には、討伐数の多い者から順に名が並ぶ。ゼロという数字を見れば、働いていないと感じてしまう。だが申請書には、クロウが荷物を捨てたとも、運搬を拒んだとも書かれていなかった。
「分かるだろう?」
ガレスが鼻を鳴らした。
「俺たちは次でA級に上がる。ルーファス副ギルド長が導入した新しいスポンサー契約の対象になれば、討伐数に応じた特別報奨金が出るんだ。だが、あんな何もしない奴が枠を一つ潰しているせいで、パーティ全体の評価が下がりかねない」
「討伐していないことは分かりました。契約上、何を任せていたのですか」
ノエルは淡々と応じ、申請書をデスクの上に置いた。
「では、さっさとハンコを押せ。あんな奴に三週間分の補償金なんて払いたくない。これまでの報酬も返還させたいくらいだ」
「お待ちください」
ノエルは申請書の表題を指で押さえた。
「別れるだけなら通常解除で済みます。三十日前に予告するか、三週間分を補償するかです」
「だから、払いたくないと言っている!」
「こちらは相手に重大な違反の記録を残し、補償も免除する申請です。違反を立証する必要があります」
ノエルは潰れた紙の角を伸ばした。
「『無能だから追放』。その証拠をご提出ください」
ガレスは眉間に深いシワを寄せ、チッと舌打ちをした。
「証拠だあ? そんなもの、俺たちの遠征記録を見れば一目で分かるだろうが。ほらよ!」
ガレスは腰のポーチから革表紙の分厚い手帳を取り出し、再びカウンターへ放り投げた。
「俺が隊長として記した遠征簿だ。加入前の半年分もまとめてある。比べりゃ、あいつが役に立っていないことくらい分かる!」
「ありがとうございます。拝見しましょう」
ノエルは遠征簿を手に取り、無造作にページをめくり始めた。
パラパラという紙の擦れる音だけが、室内に響く。ミラは落ち着かない様子でノエルの横顔を盗み見た。
ミラは申請書の理由欄に目を戻した。討伐数の横に、契約で定めた仕事を記入する欄がある。そこは空白だった。
だが、ノエルは数ページをめくったところでピタリと手を止め、遠征簿の記載事項と申請書の文字を交互に見比べ始めた。その目の奥に、微かな光が宿る。
「ガレス隊長。確かにこの半年間、クロウ氏の討伐数はゼロですね」
「当然だ。さっさと承認印を……」
「ですが、奇妙なことがあります」
ノエルは遠征簿を開いたまま、ガレスに向けて向き直った。
「この遠征簿に記載されている、あなた方『暁の剣』の魔獣討伐数ですが……クロウ氏が加入する前の半年に比べ、彼が加入してからの半年間で、パーティ全体の総討伐数が四割近く減少していますね」
「それがどうした。あいつが戦わないから、俺たちの負担が増えて討伐ペースが落ちたんだ」
ガレスは苛立たしげに腕を組んだ。
「ええ、討伐数が減るのは分かります」
ノエルは静かに首を振った。
「私が奇妙だと言っているのはそこではありません。クロウ氏が加入して以降、あなた方のパーティは魔獣との『遭遇数』そのものが激減しているのです」
「……は?」
ガレスが間抜けな声を漏らし、ミラも目を丸くして遠征簿をのぞき込んだ。
確かに、ノエルが指差す項目には、遠征の日数に対して魔獣と遭遇した回数自体が目に見えて減っていることが示されていた。戦闘に参加しなかったから倒せなかったのではない。そもそも、戦い自体が起きていないのだ。
「偶然だろう。魔獣の生息域が変わったか、他のパーティが先に狩っただけだ」
「その可能性も調べます。同じ危険度でも、季節や依頼内容は違いますから」
ノエルは遠征簿をパタンと閉じた。
「ですが、『戦わなかった』だけでは、この減り方を説明できません」
「馬鹿な!」
ガレスが顔を赤くして吠えた。
「あいつはただ荷物を背負って俺たちの後ろを歩いていただけだ! 魔法が使えるわけでも、索敵のスキルがあるわけでもない! 俺たちが見つけた安全な道を、ただついてきただけだ!」
「なるほど。そうかもしれません」
ノエルは否定も肯定もせず、ただ事実だけを追うように言葉を紡ぐ。
「ですが、この記録だけを見れば『クロウ氏の加入と同時に、パーティの安全性が極端に向上した』という見方もできます。これでは職務怠慢の証拠としては不十分です」
「ふざけるな! じゃあどうしろって言うんだ!」
「調査を行います」
ノエルはガレスの怒気に少しも怯まず、淡々と告げた。
「クロウ氏が加入する前後一年間の、すべての経路記録、購入した消耗品の一覧、そしてあなた方が実際に使用した『地図』を提出してください。それらを検証した上で、彼が本当に『何もしない寄生虫』であったのか、最終的な判断を下します」
ガレスはギリッと歯を食いしばり、ノエルを睨みつけた。しかし、相手がギルドの審査官である以上、要求を拒むことはできない。
「……いいだろう。明日、すべて持ってきてやる。あれが無能だという事実を、たっぷりと思い知らせてやるよ!」
捨て台詞を吐き、ガレスは再び扉を乱暴に開けて第三審査室を去っていった。
嵐が過ぎ去ったような室内で、ミラはほうと大きなため息をついた。
「ノエル先輩……わざと怒らせるような言い方しなくても」
「怒らせるつもりはありません。ただ、申請と記録に矛盾があったから、追加の証拠を求めただけです」
ノエルはデスクに座り直し、新しい羊皮紙を引き寄せた。
「ミラ。先ほど彼が提出した遠征簿の写しを取っておいてください」
「はい。でも……本当にあのクロウって人が、魔獣との遭遇を避けてたんでしょうか? 討伐数ゼロなんて、普通じゃありませんよ」
「まず、契約で任せた仕事を確かめます。討伐数だけでは分かりません」
ノエルは羽ペンにインクを浸し、二つの数字を別々の欄へ写した。
討伐数は減っている。けれど、戦って負けた回数が増えたわけではない。
「倒せなくなったのか。それとも、戦う必要がなくなったのか」
ペン先が、まだ届いていない地図の提出欄で止まった。




