第26話 救う部署ではない
リナの事件から数日が経過した、ある日の午後。
第三審査室では、ミラが軽い金銭トラブルを起こした若い冒険者の聞き取り調査を行っていた。
「ええと……つまり、あなたが共有のポーションを無断で持ち出したのは、隊長さんから過酷なノルマを課されて、どうしても怪我を治さなきゃいけなくて……本当は、隊長さんに無理やりやらされたようなものなんですよね?」
ミラは同情に満ちた声で、うつむく若い冒険者に語りかけた。
その言葉に、若い冒険者が「はい、そうなんです……!」とすがるように顔を上げた、その時だった。
「そこまでです」
背後から響いたノエルの冷ややかな声に、ミラはビクッと肩を震わせた。
ノエルはミラの横に立ち、手元の調書をトントンとペンで叩いた。
「ミラ。あなたの今の質問は、明確な『誘導』です。相手が被害者であるという前提をあなたが勝手に作り上げ、その結論に沿うように相手の証言を引き出そうとしている」
「あっ……」
ミラは自分の失態に気づき、顔を真っ赤にした。
リナの事件で「見た目の可哀想さに騙されてはいけない」と思い知ったはずなのに。目の前でしおらしくしている相手を見ると、つい「この人は不器用なだけで、本当は悪い人じゃないんだ」というバイアスがかかってしまっていたのだ。
「いいですか、ミラ」
ノエルは若い冒険者を一度退室させ、ミラに向き直った。
「我々の部署は、可哀想な被追放者を『救う部署』ではありません。同情した時ほど、質問の形を確かめてください。申請者が強大に見えても、被申請者が弱々しく見えても、その印象を、事実の代わりにしてはいけません」
ノエルはミラの目を見据え、審査官としての絶対の価値観を突きつけた。
「虚偽の責任を載せないこと。そして、本当の責任を隠さないこと。……我々がすべきことは、ただ記録と事実を天秤にかけることだけです。肝に銘じてください」
「……はい。申し訳ありませんでした、ノエル先輩」
ミラは深く頭を下げた。彼女は調書の誘導した部分に印を付けた。質問も回答も消さず、次は「持ち出すまでの経緯を話してください」と聞き直すことにした。
「ノエル、新人教育もほどほどになさい。彼女をあなたと同じような『血の通っていない規約の番人』にするつもり?」
開け放たれた奥の扉から、上級審査官のクララが数枚の書類を手にして歩み寄ってきた。
「法解釈の専門家であるクララ上級審査官に、規約の厳守をたしなめられるとは思いませんでしたね」
「私は規約の運用には血が通うべきだと思っているわ。まあいいわ。それより、法務局から重要な回覧よ。しっかり目を通しておいて」
クララはノエルのデスクに書類を置いた。ミラも横からのぞき込む。
「『審問院案件に関するガイドラインの再確認』……ですか?」
ミラがタイトルを読み上げると、クララが頷いた。
「ええ。最近、辺境の小競り合いが増えていて、禁制種族や悪魔族の難民が国境付近に流入しているのよ。それに伴って、冒険者が彼らと接触してしまうトラブルが増加しているわ。だから、ギルドとしても国家安全案件を扱う『審問院』との線引きを徹底しろってこと」
クララは書類の一節を細い指でなぞった。
「重要なのはここよ。審問院の基準において、最も重罪となる『組織内通』。これは作戦情報、経路情報、武器・軍需物資の提供、または敵対組織との協調行動を指す。その行為をパーティが知って継続的に容認していれば、組織性も問われる。もしこれに該当する疑いで召喚されれば、初期調査の段階でパーティ全員の遠征資格と未精算のスポンサー報酬が一時保留されるわ。連帯責任を問われるからね」
「パーティ全員が活動停止ですか。それは厳しいですね……」
「そうよ。だからこそ、法務局は『無許可接触』との区別をしっかりつけろと言っているの。薬や食料、毛布といった『人道物資』のみを提供した場合は、内通とは区別される無許可接触。これなら個人の軽罰で済むし、組織的な連座は避けられる」
クララはノエルに視線を移した。
「そして、もしパーティ内にそういった疑いをかけられた者がいた場合、ギルドには『緊急分離』という制度がある。記録上の有罪扱いにはせず、責任未確定の者を一時的にパーティから切り離して安全を確保する制度よ。……この具体適用は、担当する審査官の判断に委ねられているわ。頭に入れておきなさい」
「承知しました。事実関係さえ明確であれば、適用に躊躇はしません」
ノエルは淡々と頷き、回覧書類に受領のサインを書き込んだ。
その時、ミラはノエルのデスクの隅に、一枚の古びた封筒が置かれているのに気づいた。
他の整理整頓された書類の山とは異なり、無造作に放り出されたようなその封筒には、差出人の名が記されている。
『エリアン・ロウ』
(エリアン……?)
ミラは首を傾げた。ギルドの関係者だろうか。しかし、封は切られておらず、宛名の上には薄っすらと埃が積もっているようにも見えた。ノエルは意図的に、その手紙を未開封のまま放置しているのだ。
「ノエル先輩、そのお手紙……」
ミラが手を伸ばしかけた瞬間。
「おや、新人教育に熱心なことで。第三審査室は今日も真面目に働いているようだね」
突然、第三審査室の入り口から、低くよく響く男の声がした。
ミラが振り返ると、そこには豪奢なマントを羽織った、五十代初めの男が立っていた。きっちりと撫でつけられた白髪交じりの髪に、柔和だがどこか底知れぬ威圧感を放つ瞳。
「副ギルド長……!」
クララが目を見開き、素早く背筋を伸ばして一礼した。ミラも慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。
ルーファス・グレン。
ギルドの副ギルド長であり、契約調達局を統括する男。討伐数連動のスポンサー制度や装備認証制度を整備し、かつて赤字に喘いでいたギルドの事故保険を立て直した、生ける伝説とも言える功労者である。
「畏まらなくていい。今日は少し、君たちに『お願い』があって足を運んだんだ」
ルーファスは鷹揚に笑いながら、ノエルのデスクの前まで歩み寄った。
「ノエル審査官。君の働きぶりは耳に入っているよ。どんな巧妙な隠蔽も、君の目は誤魔化せないそうだね」
「恐れ入ります、ルーファス副ギルド長。ただの職務です」
ノエルは立ち上がり、表面上は恭しく、だがその瞳の奥には一切の感情を浮かべずに応対した。
「謙遜は美徳だが、時には組織全体の利益を見る視野も必要だよ」
ルーファスの声のトーンが、わずかに低くなった。
「君も知っての通り、ギルドの運営はスポンサーである貴族や大商会の出資によって成り立っている。特にS級やA級といった高ランクパーティの信用問題は、ギルドの財政に直結する。彼らにスキャンダルや長引く係争があれば、スポンサーはすぐに資金を引き揚げてしまうからね。……組織が潰れれば、冒険者も、難民も、誰も救えなくなるんだ」
ルーファスはノエルの肩を軽くポンと叩いた。
「だから、もし高ランクの有名パーティから責任解除の申請が上がってきた場合は……ギルドの信用を守るためにも、波風を立てず、迅速に処理してもらいたい。君なら、私の言いたいことが分かるね?」
それは「お願い」の形をとった、明確な上層部からの圧力だった。
スポンサーの機嫌を損ねるな。高ランクパーティの意向に逆らうな。ギルドの利益のために、時には審査の手続きを簡略化しろ、と。
「……承知いたしました。規定に従い、迅速に処理いたします」
ノエルは深く頭を下げた。
ルーファスは満足げに頷くと、「期待しているよ」と言い残し、マントを翻して審査室を去っていった。
「先輩……今のって」
ミラが不安げに尋ねると、ノエルはすぐに顔を上げ、冷たい声で答えた。
「彼にとっては、組織の存続こそが正義なのです。……しかし、審査の基準が相手のランクによって変わることはありません」
ノエルの視線が、未開封の『エリアン・ロウ』からの手紙を一瞥し、すぐに逸らされた。
その直後。
ドタバタと慌ただしい足音とともに、ギルドの受付職員が審査室へ飛び込んできた。
「ノエル審査官! 大至急の案件です! S級昇格を目前に控えた有名パーティ『白鷲』から、責任解除の申請が届きました!」
「『白鷲』から?」
クララが眉をひそめる。
「対象者は誰? 理由は?」
「対象は、槍士のレオ! 理由は……」
職員はゴクリと唾を飲み込み、震える声で告げた。
「『悪魔族との無断密会』です。彼らは、レオが組織を裏切り、悪魔族と通じていた確たる証拠を握っていると主張しています!」




