第24話 壊れなければ、私はいらない
その日の午後、バルトが比較試験の記録を工房へ持ち帰った。
購入された酸と装備内部の残留物は一致し、廃液にも中和後の成分が出た。ただし、それだけなら別の実験でも残る。
決め手になったのは、装備内部の塗布の形だった。
「リナ」
リーダー格の剣士が、かつて仲間だった少女の名前を、まるで汚らわしいものでも呼ぶかのように低く呟いた。
「お前が……お前が全部、仕組んでたのか。俺たちの剣の留め金を溶かし、弓の金具を腐食させたのも……全部」
「……」
リナは床に座り込んだまま、もはや首を振ることすらしなかった。
彼女の目からは大粒の涙がとめどなく溢れ落ち、ただ震える両手で自分の顔を覆い隠している。
「バルトさん。念のため、最終確認をお願いします」
ノエルは感情を一切交えない声で、現場監査のプロに促した。
「おう」
バルトは再び作業台の上の破損した装備を指差した。
「こいつが装備の内側にだけピンポイントで酸を仕込めた理由は簡単だ。こいつは錬金術師として、お前らから装備全体のメンテナンスを任されていた。分解整備をする権限があったからこそ、外からは見えない『補助部位』にだけ酸を塗りつけることができた」
バルトは工房の壁に掛けられていた、誰がどの装備のメンテナンスを行ったかを記録する『作業日報』の束を叩いた。
「見ろ。同じ留め具の同じ材質でも、液が溜まる底面は無事で、荷重のかかる面だけに細い塗布痕がある。正常な薬を流し込む比較試験じゃ、この形にはならなかった」
バルトは三つの拡大図を並べた。
「整備後は持ち主が封緘糸を確認して受け取っている。分解しないと触れねえ内側の処理が、リナだけが分解を担当した三点に繰り返されている。購入した酸、薬の検査、受渡しの記録とも合う。外から一度傷をつけたという説明じゃ、この組合せは説明できねえ」
「場所を選んで、だと……?」
弓使いの男が、ギリッと奥歯を鳴らした。
「ふざけるな! 先週の遠征じゃ、シドはもう少しで魔獣に食われるところだったんだぞ! あいつが荷重を読み違えて細工の量を間違えたせいでな! 大丈夫だと思ってたって言うのか!」
「そこまでは、本人に聞かなきゃ分からねえ。ただ、補助部位なら安全だという考えは間違いだ。実際に重傷者が出てる」
バルトは冷ややかな目でリナを見下ろした。
「故障と補修が増えた理由は、これで見えてきた。なぜそんなことをしたかは、別の話だ」
「あっ……」
ミラは思わず口元を覆った。
バルトの言葉で、ようやくリナの行動の全貌が、一つの歪んだ形として結像した。
故障のたびに誰が呼ばれたか、ミラは遠征簿の記載を思い出していた。
「リナ氏」
ノエルは手元の書類を鞄にしまい、床に崩れ落ちている少女へと向き直った。
「物証による事実関係はすべて確定しました。我々はすでに、あなたが故意に仲間の装備を危険に晒したと認定するに足る証拠を得ています」
ノエルの声には、怒りも、軽蔑も、同情もなかった。ただ、壊れた機械の部品を点検するような、冷徹な響きだけがあった。
「この証拠に反する説明があれば聞きます。そのうえで、何をしようとしたのか、話す意思はありますか」
長い沈黙の後。
リナは顔を覆っていた手をゆっくりとどけ、赤く腫れ上がった目でノエルを見上げた。
「……怖かったんです」
掠れた、ひ弱な声だった。
「私、戦闘の才能がなくて……足も遅くて、力も弱くて。調合の腕だって、王都の優秀な錬金術師に比べたら全然大したことない。……みんなが戦っている間、私はただ後ろで震えていることしかできなかった」
彼女の視線が、怒りに震える剣士たちへと向けられた。
「みんな、どんどん強くなっていくのに……私だけが置いてけぼりで。いつか、『お前みたいな足手まといはもういらない』って、このパーティから捨てられるのが……本当に、怖くてたまらなかったんです」
見捨てられる恐怖。
それが、彼女のすべての行動の原動力だった。
「ある時、隊長さんの剣の留め金が自然に緩んで、私がすぐに補修薬で直したことがありました。その時、隊長さんが言ってくれたんです。『リナがいて助かった』って。……私、その言葉が、すっごく嬉しくて」
リナの顔に、不気味なほど無邪気な笑みが一瞬だけ浮かび、すぐに歪んだ嗚咽へと変わった。
「私にも、みんなの役に立てることがあるんだって……。でも、装備なんてそう何度も壊れない。壊れなければ、私は用済みになってしまう。だから……留め具くらいなら、私がすぐ直せると思って……」
「だから、自分で壊して、自分で直したのか」
リーダーの剣士が、地の底から這い出るような声で言った。
「俺たちが魔獣の前で死ぬほど怖い思いをしてる時に、お前は……『これでまた私が必要とされる』って、ほくそ笑んでたのか……!」
「違います! そんなつもりじゃ……ただ、私を置いていかないでほしくて……!」
「黙れ!!」
剣士の怒号が、リナの弁解を叩き潰した。
「お前を頼るたびに、次も預けて大丈夫だと思ったんだぞ。……もう、背中を預けられない」
その決定的な拒絶の言葉に、リナはビクンと体を震わせ、再び床に突っ伏して激しく泣き崩れた。
もう、何を言っても届かない。彼女が最も恐れていた「見捨てられる」という結末は、彼女自身の歪んだ執着によって、最悪の形で現実のものとなってしまったのだ。
ミラは、胸の奥が冷たく重くなるのを感じていた。
これまでの事件は、一見もっともらしい追放理由の裏に、被追放者の「隠れた有能さ」や「善意」が隠されているものばかりだった。
だから今回もそうだと、勝手に思い込んでいた。リナを庇い、剣士たちを「横暴な悪役」だと決めつけていた。
だが、現実は違った。
弱い者が常に正しいわけではない。涙を流して謝る者が、必ずしも被害者とは限らない。
「……これが、事実」
ミラは自分の手の中の調書を見つめ、審査官という仕事の残酷さを、肌で感じていた。
「自白による動機の確認を終了します」
ノエルは感情の欠片も見せずに宣言し、リナを見下ろした。
「リナ氏。あなたの抱えていた不安や恐怖は、個人的な感情としては理解し得るものです。しかし、それが仲間の命を直接的に脅かす行動の免罪符になることは、決してありません」
ノエルは踵を返し、工房の出口へと向かった。
「ミラ、バルトさん。引き上げましょう。明日の正午、中央ギルドの第三審査室にて、本件に対する最終的な判定と処分の言い渡しを行います。……『赤の獅子』の皆さんも、リナ氏を連れてご足労願います」




