第20話 盗んでいない、だが正しくもない
第三審査室の重い扉が閉め切られた室内で、ノエルの宣告が響いた。
「これより、冒険者パーティ『青の軌跡』から提出された、魔術師セラ氏に対する『横領』を理由とした責任解除申請についての最終判定を言い渡します」
セラは固く手を握りしめ、隊長は腕を組んだまま渋い顔で天井を睨んでいた。
「まず、横領について。セラ氏の私用口座の出入金記録、および送金業者の受領控えから、金貨百二十枚はすべて故ユアン氏の遺児の学費と生活費に充てられており、生前の扶助合意、隊長の継続承認とも一致します。したがって、横領による重大な契約違反という主張は退けられ、本件による責任解除(追放)は却下とします」
その言葉に、セラは深く安堵の息を吐き出した。
「しかし」
ノエルは手元の帳簿をペン先で叩いた。
「目的がいかに正当な遺族扶助であったとしても、パーティの共有帳簿において『雑費』と名目を偽り、正式な使途訂正をせずに処理を続けたことは、ギルドの会計規約に対する明確な違反です。よってセラ氏に対し、パーティの会計担当権限の剥奪、および規約違反に関する『正式警告』の記録を残します」
「……はい。受け入れます」
セラは抵抗することなく、静かに頭を下げた。自分の行った善意の偽装が、スポンサーの監査からパーティ全体の信用を失墜させかねない危険な綱渡りだったと、今の彼女には痛いほど理解できていたからだ。
「そして、隊長」
ノエルの冷ややかな視線が、不貞腐れた様子の隊長を射抜いた。
「あなたは扶助に同意し、毎月の支出も承認しています。それを確認せずに、約束も承認も存在しないと断定して申告した。さらに、会計名目の誤りを見過ごした監督責任があります」
「ちっ……だから言っただろうが、三年前の話なんか忘れてただけだ。そもそも、こいつがちゃんと俺に相談してりゃ、こんなことには……」
「勘違いと故意は分けます。ただ、あなたは直近の報告書を読んでいないと認めながら、承認した事実そのものまで否定しました。申請の前に確かめるべき記録です」
ノエルは隊長の言い訳を冷酷に切り捨てた。
「あなたに対しても、確認義務違反と不正確な申告への警告記録を残します。さらに、未精算報酬の仮凍結により、十日正午の納付期限が迫っています。この遅延による退寮リスクを回避するため、ギルドの権限をもって係争中の未精算報酬の凍結を解除し、今後の送金は独立した受託者が管理する、正式な『匿名扶助信託』へ移行する手続きを進めます」
それは、両者にとって「痛み分け」とも言える決着だった。
横領という最悪の汚名は雪がれたが、セラには帳簿偽装の罰が、隊長には確認義務違反と不正確な申告への警告が下された。
「これにて、本件の審査を終了します。以後のパーティの存続については、あなた方自身で話し合って決めてください」
ノエルが書類をまとめると、隊長は舌打ちを一つ残して乱暴に部屋を出て行った。
セラは退出しかけ、廊下から届いた送金係の声に足を止めた。
「事前に手配していた緊急送金が受領されました。学寮にも、期限内の納付扱いになると確認しています」
セラは受領控えを両手で受け取った。何度も日付を見てから、それを胸に当てた。
「これで……あの子には、転校しなくていいと伝えられます」
初めて、彼女の声から切迫した響きが消えた。
「先輩……」
ミラは、閉まった扉を見つめながら複雑なため息をついた。
「期限に間に合ってよかったです。次の担当になっても送金できるよう、引継ぎの書類を作っておきます」
「お願いします」
ノエルはインク壺の蓋を閉めながら、感情の読めない声で応じた。
「支払いを続ける手続きまで決まらなければ、同じ申請がまた来ます。受託者への引継ぎが済むまで確認しましょう」
ミラがその言葉を反芻していると、ふいに審査室の奥の扉が開き、上級審査官のクララ・ヴェルトが姿を現した。
「お疲れ様、ノエル。今回の案件も、見事に『記録の矛盾』から真実を引きずり出したようね」
法解釈の専門家であり、常に冷淡なまでの合理性を纏うクララは、手にした数枚の羊皮紙をノエルのデスクに置いた。
「クララ上級審査官。それは?」
「少し気になってね。過去半年分の、中央ギルドに提出された『責任解除申請』の件数を集計してみたの」
クララが提示したグラフを見て、ノエルの細い眉がわずかに寄った。
「……増えていますね。この数ヶ月で、急激に」
「ええ。特に中堅から上位のパーティにおいて、『無能』や『職務怠慢』を理由とした申請が目立って増加しているわ。ノエル、この増加の起点がいつか分かるかしら?」
ノエルはグラフの折れ線が跳ね上がっている時期を確認し、小さく息を吐いた。
「ルーファス副ギルド長が、『討伐数連動スポンサー制度』を導入した時期と一致していますね」
ミラはハッとして、第一の事件――荷物持ちのクロウの案件を思い出した。
あの時、ガレス隊長は「討伐数を稼げないクロウがいると、スポンサーの査定が下がる」という理由で、彼を無能と切り捨てて追放しようとしていた。
「制度の改革は、ギルドの赤字を救った偉大な功績よ。でも、数字という絶対的な評価基準を与えられたことで、一部の冒険者は『数字に貢献しない仲間』を切り捨てる理由に使い始めている」
クララは冷ややかに分析する。
「これまでは『気に入らないから通常解除する(補償金を払って別れる)』で済んでいたものが、査定の損失と補償金を避けるために、無理やりにでも『相手に責任があることにして追放する』という悪意ある申請へとシフトし始めているのよ」
「……数字の歪みが、現場の倫理を歪めているということですか」
ノエルはグラフから視線を外し、窓の外へ目を向けた。
「今の集計だけで原因とは決められないわ。登録数や申請の周知が増えた影響も調べる。ただ、見過ごせない変化ではある。引き続き確認しましょう」
クララはそれだけを言い残し、足音静かに奥の執務室へと戻っていった。
小さな数字の違和感。
それは、ギルドという巨大な組織そのものが抱え込み始めた、暗い病巣の予兆だった。
「先輩……」
ミラが不安げに声をかけると、ノエルはいつものように凪いだ瞳で彼女を見た。
「心配には及びません。いかに巧妙に証拠を揃えようとも、真実と異なる説明には、必ずどこかに『余る記録』が存在します。私たちはそれを一つずつ拾い上げるだけです」
その時、受付の職員が新たな書類を持って第三審査室へと駆け込んできた。
「ノエル審査官! 先ほど、中堅パーティ『赤の獅子』から、新しい責任解除申請が提出されました!」
「今度はどんな理由ですか?」
ミラが身構えながら尋ねる。
「対象者は、錬金術師の少女、リナ。……理由は、『戦闘力が低く、失敗ばかりしてパーティの空気を悪くする』というものです」
「失敗ばかり……」
ミラは直感的に(また、見えないところで頑張っている有能な支援職が、理不尽にいじめられて追放されそうになっているんだ)と思った。
これまでの事件――クロウやミーナ、セラのように、表向きは無能や悪人に見えて、実はパーティを陰で支えていた心優しい不器用な人たち。きっと今回もそうなのだと。
だが、ノエルが受け取った申請書の束と、それに添付されていた『破損した装備のリスト』を見た瞬間。
ノエルの瞳の奥底で、極めて冷たく、鋭利な光が瞬いた。
「……ミラ。明日、彼らの工房へ向かいます。現場監査課のバルト氏も呼んでおいてください」
「えっ? バルトさんを? 錬金術師の審査なのに、なんで装備の専門家を呼ぶんですか?」
「記録に、奇妙な偏りがあるからです」
ノエルは申請書をデスクに置き、無表情のまま告げた。
「剣も弓も鎧も、留め具から壊れている。整備と破損の記録を、合わせて見たいのです」




