第19話 善意と帳簿
「記録と記憶の答え合わせをしましょうか」
第三審査室のひんやりとした空気の中、ノエルの手にある一枚の古い羊皮紙が、カサリと乾いた音を立てた。
それは、ユアンの死後に隊長が送り、セラが保管していた手紙だった。
ノエルは静かな声で、その文面を読み上げ始めた。
『――セラへ。ユアンのガキの件だが、まったく気の毒な話だ。だが、あいつの実家の貴族連中に知られれば、間違いなく面倒なことになる。俺たちで面倒を見るにしても、表立って支援するのは危険だ。本人の名は表に出さず、成人までの学費と生活費をパーティの共通経費から出してやってくれ。必要額は受領控えと合わせて知らせてくれ』
読み終えたノエルが視線を上げると、隊長の顔からは完全に血の気が引き、土気色に変わっていた。
「隊長。これは三年前に書かれたものですが、登録書類との筆跡の照合も済んでいます。さらにセラ氏の保管する直近一年の月次報告には、受領番号と十枚の支出に、毎月あなたの確認署名がある。扶助の継続自体を知らなかった、とは言えません」
「そ、それは……っ!」
隊長は椅子から腰を浮かせ、額に脂汗を滲ませながら叫んだ。
「確認のサインは俺のだ。だが、毎月ちゃんと読んでいたわけじゃない。受領番号ばかりで、どこへ払ったか分からなかったんだ!」
「つまり、支援を約束したこと自体は事実であると認めるのですね」
「……ああ、そうだ! だが、金貨百二十枚だぞ!? いくらなんでも限度がある。こいつが子どもへの支援を隠れ蓑にして、ちゃっかり自分の懐に差額を入れている可能性だってあるだろうが!」
隊長の苦し紛れの反論に、ミラが怒ったように机を叩いた。
「見苦しいですよ、隊長さん! 承認した記録があるのに、約束自体なかったと言うのは違います!」
「一部を着服した可能性は、支出の承認とは別に確認しました」
ノエルは隊長の抗弁を冷徹に切り捨て、今度はギルド公認の送金業者から取り寄せた分厚い書類の束――受領控えの写しを机の中央に広げた。
「セラ氏の私用口座を経由した資金が、どこへ向かったのか。保護預りの受領番号を照合し、本人側の同意を得て最終的な支払い先を確認しました。……学寮の授業料として毎月金貨五枚。そして、保護された住居と食事を手配する代理人へ毎月金貨五枚」
ノエルはペン先で、その二つの数字を丸く囲んだ。
「合計で月十枚。一年間で百二十枚。パーティの共有資金から引き出された額と、一致します。送金手数料はセラ氏自身の報酬から出ており、元の残高二枚は動いていません。両受領先の返金記録にも、彼女へ戻った金はない。セラ氏が自分のために着服した金貨は、ただの一枚も存在しません」
その事実が告げられた瞬間、セラは両手で顔を覆い、せき止めていたものが決壊したように声を上げて泣き始めた。
横領犯という汚名を着せられ、仲間から蔑まれながらも、彼女はたった一人で亡き友との約束を守り抜いていたのだ。私腹を肥やすためではなく、ただ一人の幼い命の明日を繋ぐために。
「セラさん……」
ミラは目頭を熱くし、セラに寄り添うように肩に手を置いた。
「少なくとも、無断で自分のために盗んだという申請は、この記録と合いません」
ミラが隊長をキッと睨みつけると、隊長はバツが悪そうに視線を逸らし、舌打ちをした。
「……チッ。分かったよ。俺の勘違いだった。横領の件は取り下げる。これで文句ねえだろうが」
隊長が投げやりに言い捨て、席を立とうとした。
ミラは帳簿を引き寄せた。まだ、実際の使途と違う名目が残っている。
だが。
「お待ちください」
第三審査室の冷たい空気を切り裂くように、ノエルの鋭い声が飛んだ。
「横領の件を取り下げるのはあなたの自由ですが、ギルドの審査はまだ終わっていません」
「あぁ? こいつが盗んでなかったって証明されたんだろうが。これ以上、何を審査するってんだよ」
隊長が苛立たしげに振り返る。セラも涙に濡れた顔を上げ、不安そうにノエルを見つめた。
ノエルは机の上に広げられたままの『青の軌跡』の帳簿を、パタンと音を立てて閉じた。
「確かに、金貨百二十枚はすべて学費と生活費に消えており、窃盗の事実は否定されました」
ノエルの視線が、今度はセラを真っ直ぐに射抜いた。
「しかし、セラ氏。あなたが会計担当という立場を利用し、パーティの共有帳簿に『雑費』という架空の名目を記載して、一年間にもわたり偽の決算報告を続けていたことは、揺るぎない事実です」
「え……?」
セラが息を呑む。
ミラは契約に添付された会計規約を開いた。
「この帳簿で雑費にまとめられるのは、少額の備品や旅費です。継続する扶助は別の科目にして、承認と受領控えを付けることになっています」
セラは唇を噛んだ。
「そこへ書けば、受取人まで聞かれると思って……」
「その不安は分かります」
ノエルは、保護措置の決裁書を帳簿の隣へ置いた。
「ですが、名前を伏せることと、使途を偽ることは別です。今回は受領先まで確かめられた。次に担当が変わったら、今の帳簿では同じことを確認できません」
「私が、ずっとやればいいと……思っていました」
「あなた一人が説明できなくなれば、扶助そのものが止まる。だから、続けられる記録に直します。隊長にも、承認した支出を監督する責任があります」
セラは真っ青になり、反論することすらできずにうなだれた。
自分がただ正しいことをしていると信じていた行為が、実はパーティの首を真綿で絞めていたのだと思い知らされたからだ。
「ノエル審査官……おっしゃる通りです。私は、一線を越えていました」
「セラさん……」
ミラの悲痛な声が室内に落ちる。
「さて、事実の確認と、すべての証拠の照合が終了しました」
ノエルは立ち上がり、セラと隊長を交互に見据えた。
「横領という犯罪行為は否定されましたが、重大な内部規約違反である会計名目の偽装は明確に存在します。これより、冒険者ギルド第三審査室として、本件に対する最終判定と、両名への行政処分を宣告します」




