第18話 言えない受取人
「見つけました、ノエル先輩!」
薄暗い文書庫の中、埃まみれになったミラが分厚い羊皮紙のファイルを抱えて駆け寄ってきた。
それは中堅パーティ『青の軌跡』の結成当初から現在に至るまでの、すべてのメンバー登録および抹消の履歴だった。
「過去五年間に『青の軌跡』を離脱したメンバーは四人。そのうち、自主離脱や通常解除ではなく、『死亡』によって抹消されたメンバーが一人だけいます。三年前に迷宮で命を落とした前衛剣士……名前は、ユアン」
ミラはファイルを開き、ユアンの個人記録をノエルに提示した。
「名簿には、実家を離れて冒険者になった貴族の子息とあります。ただ、家族の詳細は別管理です」
ミラは二枚目の書類を置いた。
「クララ上級審査官の決裁も下りました。受取人の情報は封印した別綴じにして、スポンサーには金額と使途、承認の有無だけを出せます」
ノエルはそれを確かめ、セラへ個別聴取の連絡を出した。
保護措置の書面を読んでから、セラは初めて受取人を明かした。
ユアンの非嫡出の娘。十歳になり、昨年から身元を保護する学寮に入っている。
「それ以前は?」
「母親と暮らしていました。必要な物を直接届けていたんです。入寮してから定額の送金になりました」
セラは、送金業者が審査室へ受領控えを開示するための同意書にも署名した。
翌八日の朝、ミラはセラの同意書を送金窓口へ運んだ。
保護措置があって初めて、照会できる記録が増えた。だが、その金をパーティから出してよかったかは、まだ別の問題だ。
「送金先の確認は進められます。次は、支出を誰が認めたかですね」
ミラが言うと、ノエルは頷いた。
「隊長からも、別に事情を聞きます。受取人が遺児であったとしても、帳簿を偽装してパーティの共有資金から金を抜いた事実に変わりはない。彼らの間にどのような『合意』があったのか、明確にする必要があります」
一時間後、第三審査室には再びセラと隊長が呼び出されていた。
隊長は「横領犯の処分は決まったのか」と不機嫌そうに腕を組んでおり、セラは目の下に濃い隈を作り、疲労困憊の様子で椅子に座っていた。
「セラ氏」
ノエルは単刀直入に切り出した。
「個別聴取で確認した受取人について、隊長も身元をご存じとのことでした。この場では本名と所在を出さず、扶助の合意を伺います」
セラは保護措置の決裁書を握りしめた。
「この場の調書も、監査役に見せるものとは分けていただけるんですね」
「はい。氏名と所在は封印した別綴じに残します。外へ出すのは匿名の受領番号と、金額、使途です」
セラは一度だけ、深く頷いた。
「おい、待てよ」
事態の急変に、隊長が目を丸くして身を乗り出した。
「受取人がユアンの子ども? こいつは、横領した金でユアンの子の学費を払ってたって言うのか?」
「セラさんは、そう説明しています。受領控えも照会中です」
ミラが隊長を睨みつけるように言った。
「その支出を、パーティで承認していたか確認させてください」
「ふざけるな!」
だが、隊長の反応はミラの期待したような「誤解してすまなかった」という美談には向かわなかった。
隊長は顔を真っ赤にして机を叩いた。
「ユアンの子どもだろうが何だろうが、俺たちの稼いだ共有資金を無断で抜いていい理由になるか! これは俺たちの血と汗の結晶だぞ! そんな勝手な真似をして、横領じゃないと言い張るつもりか!」
「勝手な真似ではありません!」
涙を拭い、セラが隊長を真っ直ぐに睨み返した。
「隊長、あなたは忘れたんですか!? ユアンが生きている時に約束して、亡くなった後もみんなで確認したじゃないですか。彼が残したあの子の学費と生活費は、パーティの共有資金から出し合って、責任を持って大人になるまで面倒を見ようって!」
セラの悲痛な叫びが、室内に響き渡る。
横領ではない。それは、亡き仲間への弔いであり、生前に交わしたパーティ全員での『扶助の約束』だったのだ。
だからこそ、セラは会計担当として、約束通りに毎月十枚を取り分けていた。ここ一年の報酬では、それがおよそ一割に当たる。ただ、名前を隠すための手続きが分からず、実際の使途とは違う「雑費」にまとめていた。
「約束、だと……?」
隊長は一瞬言葉に詰まったが、すぐに大げさな身振りで鼻で笑った。
「馬鹿を言え! 俺はそんな約束をした覚えは一切ないね! 百歩譲って、ユアンが死んだ直後に酒の席で『残されたガキが可哀想だな』と同情したことはあったかもしれない。だが、毎月金貨十枚なんて大金を、何年も払い続けるなんていう法外な契約に同意した覚えはねえ!」
「嘘をつかないで! あの時、隊長ははっきりと……」
「証拠があるのかよ!」
隊長が怒鳴り、セラを威圧する。
「口約束だろうが何だろうが、お前が勝手に帳簿をいじって、俺の許可なく金を抜いた事実は変わらねえ! これが横領でなくてなんだ! 審査官殿、こいつの苦し紛れの嘘に騙されるな。こいつが勝手に暴走して金を着服した事実に変わりはないはずだ!」
隊長の強硬な主張に、セラは悔しさに唇を噛みしめ、うつむいてしまった。
悲しいことに、隊長の言う通りだった。目的が扶助でも、無断で共有資金を使ってよいわけではない。支出に合意があったのか、それを確かめなければならなかった。
「先輩……」
ミラがすがるような目でノエルを見た。
善意の秘匿。それが引き起こした致命的な記録の不在。このままでは、セラは本当に横領犯として追放され、遺児への学費の送金も絶たれてしまう。
だが、ノエルは少しも動揺していなかった。
「隊長。あなたは明確に、ユアン氏の遺児に対する扶助の約束を『していない』と主張するのですね」
「当たり前だ! そんな記録はどこにも残ってねえ!」
「記録、ですか」
ノエルは淡々と呟き、引き出しの中から一冊の古びた手帳を取り出した。
「現場監査課のバルト氏に頼み、三年前に亡くなったユアン氏の遺品を保管庫から取り寄せておきました」
その言葉に、隊長の顔からスッと余裕が消えた。
「ユアン氏が生前につけていた古い日誌です」
ノエルは日誌のページを開き、ある一節を指差した。
「彼が死ぬ数ヶ月前の記録に、こう書かれています。『隊長をはじめ、皆が子どものことは任せろと言ってくれた。これで、もし俺に何かあってもあの子は生きていける』……と」
「そ、そんなもん、ユアンが勝手に書いた日記だろうが! 俺が同意した証拠には……」
「ええ。これだけでは、ただの個人の感想に過ぎません」
ノエルは日誌の横へ、別に受領した封筒を置いた。
「そしてセラ氏から、扶助に関する手紙の原本が提出されました。ユアン氏の死後、あなたが彼女へ送ったものです」
「なっ……」
隊長の顔が、今度こそ完全に蒼白になった。
ノエルは感情の読めない冷たい瞳で、その手紙の文面を読み上げる準備をした。
「さて。この手紙に何が書かれているか……記録と記憶の答え合わせをしましょうか」




