第17話 残っていない金
冒険者ギルド中央本部の一階には、冒険者たちが得た報酬を管理・送金するための銀行部門が併設されている。
分厚い鉄格子と厳重な魔力結界に守られたカウンターの奥で、年老いた窓口係が分厚い台帳をめくりながら、困ったように眉を下げた。
「ノエル審査官。確かに、魔術師セラ氏の私用口座からの出金記録はここにあります。ですが……送金先の詳細については、開示できません」
「開示できないとは、どういうことですか?」
ミラが鉄格子越しに身を乗り出して尋ねた。
「第三審査室は、係争中の案件に関する冒険者の資金記録を調査する権限を持っているはずです。横領の疑いがある以上、どこにお金が流れたのか調べないと……」
「もちろん、権限は承知しておりますよ、書記官殿。ですが、送金先が『守秘指定』の保護預り口座に設定されているのです」
窓口係は申し訳なさそうに首を振った。
「保護預りでは、身の安全に関わる受取人の氏名と住所を、通常の照会では開示しません。本人側の同意か特例開示令状が必要です。ただし、金額と受領番号の照合はできます。正式な扶助信託とは違い、預り先が支出の承認まで保証するものではありません」
ミラは悔しげに唇を噛んだ。
金額は追えても、受取人の身元は別の扱いになっている。
「身元を守る制度なら、それ自体を不正の証拠にはできませんね。使途を確かめる方法を探しましょう」
「……」
ノエルは窓口係が提示した、黒塗りの項目が並ぶ出金記録の写しをじっと見つめていた。
「窓口係殿。受取人の名前や所在地が分からないのは承知しました。では、この送金記録に記載されている『日付』と『金額』だけは、間違いなく事実として扱ってよろしいですね?」
「はい。送金システム上の記録ですので、そこは間違いありません」
「ありがとうございます。これで十分です」
ノエルは記録の写しを鞄にしまい、踵を返した。
ミラも慌てて彼に続く。
「先輩、十分って……肝心の『誰に送ったか』が分からなきゃ、横領の証拠にも無罪の証拠にもならないじゃないですか。評議会に令状を請求するんですか?」
「令状の請求には時間がかかります。未精算報酬の仮凍結により、彼女が恐れていた『次回納付期限』とやらが数日後に迫っている以上、悠長な手続きを踏んでいる暇はありません」
ノエルはギルドの廊下を歩きながら、淡々と答えた。
「それに、『誰に』送ったかは隠せても、『いつ』『いくら』送ったかは隠せない。その数字だけで、彼女が何を守ろうとしているのかは推測できます」
二人は三階の第三審査室に戻ると、ノエルはデスクに先ほどの出金記録と、『青の軌跡』の隊長から提出された帳簿を並べて広げた。
「ミラ。この二つの記録の『日付』を見比べてください」
促され、ミラは帳簿と出金記録を交互に見比べた。
「ええと……隊長さんの帳簿では、毎月五日に、パーティの共有資金から金貨十枚が『雑費』として引き出されています。そして、セラさんの出金記録を見ると……あ、同じ五日です。パーティのお金がセラさんの口座に入ったその日のうちに、全額が例の匿名口座へ送金されています」
「一年間、毎月欠かさずに、です。金貨十枚という額は、一度も変動していません」
ノエルは出金記録の日付の列をペン先でトントンと叩いた。
「定額だから横領ではない、とは言えません。ただ、定期的な支払いに合わせている可能性はあります。彼女の言った納付期限と照らしましょう」
「毎月決まった額……」
ミラは、セラが審査室で懇願した時の悲痛な表情を思い出した。
『お願いです、口座の凍結だけは……! あの子が退寮させられてしまう!』
「先輩。セラさんが言っていた『学寮の次回納付期限』……これに関係しているんじゃ」
「その通りです」
ノエルは引き出しから、王都に存在する主要な教育機関と、その付属学寮の規約一覧を取り出した。
「王都の学寮の多くは、毎月十日を生活費および学費の納付期限と定めています。セラ氏が毎月五日に送金を行っていたとすれば、送金業者の手配と事務処理を経て、十日の納付にギリギリ間に合う計算になります」
ノエルは確認した事実を積み上げるように、静かに言った。
「日程は学寮への納付と合います。でも、誰の学費か、全額なのか、支出を誰が認めたかは、まだ分かりません」
ミラの胸の奥で、ストンと何かが落ちる音がした。
泥棒猫と隊長に罵られ、冒険者としてのキャリアが終わる『責任解除』の危機に立たされながらも、彼女がひた隠しにしていた秘密。
「……そこまでして、誰の子どもを守ろうとしているんでしょうか」
ミラがぽつりと呟く。
「セラさんは独身ですし、子どもがいるなんて話は聞いていません。それに、ただの親戚の子なら、保護預りなんて大げさな制度を使ってまで名前を隠す必要はないはずです」
「彼女の言葉を借りるなら、『身元が記録に残れば、政治的な思惑を持った貴族に利用される』からです」
ノエルは深く椅子に背を預けた。
「スポンサー制度において、パーティの監査役には貴族の息がかかった者が多数配置されています。審査室の記録は、彼らにも開示される。セラ氏は私やあなたを信用していないのではなく、『ギルドの記録そのもの』が、その子を政争の具に引きずり込むことを恐れているのです」
「……そんな。それじゃあ、セラさんは自分の無実を証明する手段がないじゃないですか。名前を言えば子どもが危険に晒され、言わなければ横領犯として追放される。どっちに転んでも……」
「だからこそ、先に保護措置を申請しました。決裁を待つ間に、支出を認めた人を探します」
ノエルは感情の動かない瞳で、窓の外に広がる王都の夕景を見つめた。
「しかし、我々は審査官です。口を開ける条件を整えながら、開示できる記録を先に確かめます」
ノエルはデスクから立ち上がり、壁際の文書庫へと向かった。
「ミラ。『青の軌跡』の過去のパーティ名簿をすべて出してください。現在から遡って数年前まで。特に……過去に『死亡』または『引退』したメンバーがいないかどうかを」
「過去のメンバー、ですか?」
「共有資金からの扶助なら、現在か過去のメンバーと関係している可能性があります。まず、調べられる契約と名簿を確かめましょう」
ノエルの言葉に、ミラはハッとして文書庫の棚へ駆け寄った。
ミラは故人の欄に付箋を挟んだ。金の行き先に加えて、約束を確かめる相手がいるかもしれない。
凍結された未精算報酬。迫り来る納付期限。時間がない中で、彼らは『言えない受取人』の正体に迫りつつあった。




