第13話 二つの命令
西の渓谷の隔離天幕に戻ってきたノエルとバルトは、待機していたミラとレオンの前に立った。
「バルトさん。調査結果を」
「ああ」
ノエルに促され、バルトは大きな手で顎髭を撫でながら口を開いた。
「結論から言うぜ。隣の谷の底で、ギルド支給の赤色救難炎の燃え殻を発見した。薬莢の燃焼層から逆算した発火時刻は、昨日の午後、一四時一〇分前後。誤差は数分見ておく必要がある」
「一四時一〇分……!」
ミラが手元のメモ帳を弾かれたように見つめた。
「隊長が不在に気づいたのは二〇分。でも、負傷したお二人には別々に伺いました。どちらも、赤い光が上がった後に、レオンさんが尾根の方を見て走ったと話しています」
ミラは二枚の調書を並べた。
「一人は時計も見ていました。一一分頃です。もう一人は正確な時刻は分からない。ただ、炎と離脱の順番は同じでした」
「走っていくのを見た時は、二人とも、いつもの尾根の見回りだと思ったそうです。持ち場を離れて救助へ向かったとは分からず、隊長には伝えていません。戻ってこないと気づいたのは、戦闘が始まってからでした」
ミラは時刻の横に、その説明も残した。走り出した姿を見たことと、行き先を知っていたことは違う。
「発火の推定には数分の幅がある」
バルトが言った。
「それだけで順序を決めずに済むな。炎の後に走ったという話は、こいつに怒ってる側の証言とも合う」
「だから最初からそう言ってるだろうが!」
レオンがパイプ椅子を蹴るようにして立ち上がり、勝ち誇ったようにミラを睨みつけた。
「疑いは晴れたな! 俺は敵前逃亡なんかしてねえ。炎を見て、規則通りに一番近くにいた斥候として救助要請に走ったんだ!」
ミラの顔がわずかに赤らむ。彼女はレオンを「言い訳をしている嘘つき」だと疑っていた。だが、物証は彼の無実――少なくとも、逃亡犯ではないという事実を明確に証明していた。
「救難炎を見た後に離脱した、という順序は裏付けられました。連絡所の記録と、救助された人たちの話も確認します」
ノエルは淡々と告げ、天幕の簡易机の上にギルドの規約書を置いた。
「しかし、レオン氏。目的が正当であったからといって、あなたの行動すべてが無条件に肯定されるわけではありません。あなたはなぜ、自隊の仲間に対して『退路変更の合図』を一言も残さなかったのですか?」
ノエルの冷徹な追及に、レオンの得意げな表情がピタリと止まった。
「合図だと? そんな悠長なことをしている暇はなかった! ギルドの共通規則にはこうあるはずだ。『最寄りの斥候は、赤色救難炎を視認した場合、これを決して無視してはならない』と。命がかかってるんだ、一秒でも早く走るのが斥候の義務だろうが!」
「確かに、その規則は存在します。しかし、規約書には『救難炎の確認を理由として、自隊の持ち場を無断で放棄してよい』という免責条項はありません」
ノエルは規約書のページをめくり、該当箇所を指差した。
「あなたは斥候として、敵の側面を牽制し、仲間の退路を確保する防衛義務を負っていた。あなたの無断離脱により連携は崩壊し、仲間二人がロックマンティスに裂かれて重傷を負ったのです」
「それは……っ」
「これは『義務の衝突』です」
ノエルは静かに、しかし重圧を伴う声で言い放った。
「ギルドが定める『他者の救助義務』と、パーティ契約に基づく『自隊の防衛・連絡義務』。あなたは前者を優先し、後者を完全に放棄した。一刻を争う事態であったとしても、指笛一つ、手信号一つ残すことは物理的に可能だったはずです」
「……隊長に言えば、止められるに決まってるからだ」
レオンはギリッと歯を食いしばり、床を睨みつけながら吐き捨てるように言った。
「あいつは他人の命より、自分たちの手柄と安全を優先する石頭だ。俺が『炎が上がったから行く』なんて言えば、絶対に怒鳴りつけて邪魔をする。だから、言うだけ無駄だと思ったんだよ!」
「言えば止められるから、黙って消えた。……それが、仲間を危険に晒した理由ですか」
ミラは息を呑んだ。
レオンには悪意はなかった。ただ、隊長との長年の対立による「不信感」が、彼から『報告』という最低限の手続きを奪ってしまったのだ。それがどれほどの悲劇を生むか、彼は想像できていなかった。
「おいおい、ノエル。あんまりこいつを追い詰めてやるなよ」
張り詰めた空気の中、バルトがわざとらしく肩をすくめて割って入った。
「こいつが急いだのも無理はねえさ。隣の谷の救難柱――救難炎をセットしておくための備え付けの柱だがな、あそこの点検札を見たか?」
「点検札ですか?」
ミラが尋ねると、バルトは鞄から点検札の写しを取り出して見せた。そこには日付と点検者のサインが刻まれている。
「これは、ギルドの記録じゃねえ。あの谷の救難柱や、崖にある非常用巻上機を管理しているのは、領主が雇ってる『施設管理局』の連中だ。連中は定期的に設備を点検し、こういう札を残していく。ギルドとは別系統の、独立した記録ってわけだ」
バルトは写しの日付を指で叩いた。
「崩落した救難柱から出した予備筒だったと、管理人が確認した。これで、拾った燃え殻が別の日の物だった可能性は薄くなる。設備の状態は確かめられるが、レオンが何を考えたかまでは、札には書いてねえ」
レオンは何か言いかけ、口を閉じた。
「なるほど。ギルドの記録だけでなく、施設側の独立記録も証拠として機能するわけですね」
ミラは感心したように頷き、目の前に置かれた規約書をパラパラとめくった。
「ギルドの緊急時の規則って、なんだか複雑ですね。状況によって優先される命令が違うし……あっ、これとかも。非常巻上機を備えた区画では、装備に異常があった時、『直ちに警笛を二回鳴らし、その後に非常巻上機へ向かうこと』……この区画は備付け警笛の紐を二回引くんですね。一回は点検合図にも使うから、と」
ミラが何気なく読み上げた一文。
その瞬間、ノエルの手がピタリと止まった。
彼はわずかに伏し目がちになり、その目の奥底に、氷のように冷たく、ひどく暗い感情を一瞬だけ走らせた。
「……ええ。その警告回数は、七年前から変わっていません」
「先輩?」
ノエルの呟きはあまりにも静かで、ミラは思わず聞き返してしまった。
「なんでもありません。話を戻しましょう」
ノエルはすぐに瞬きをして、いつもの感情の読めない審査官の顔に戻った。
だが、今の彼から発せられた『七年前』という言葉の重みに、ミラは少しだけ胸がざわつくのを感じた。
「レオン氏」
ノエルはレオンへ向き直った。
「連絡所への照会は、こちらから行います。ほかに、経路と通報を確かめられる物をお持ちですか」
「証拠だあ? 俺が連絡所に駆け込んだから、救助隊が出たんだろうが!」
「あなたの申告した時刻と、救助隊の出動時刻を合わせます。申請者にだけ有利な記録を集めるわけにはいきませんから」
ノエルの徹底した証拠主義に、レオンは深い溜息をついた。
「……ったく、どこまでも疑り深い審査官サマだな」
レオンは腰のポーチに手を突っ込み、ジャラッと音を立てて、泥に汚れた金属のプレートを四枚、机の上に放り投げた。
「これでどうだ。文句はねえだろ」
ミラがそのプレートをのぞき込む。
それは、冒険者が迷宮や危険地帯に入る際に身につける『門札』だった。しかし、刻印されている所属パーティ名は『鉄の咆哮』ではない。
「これは……隣の谷で崩落に巻き込まれた、別パーティの四人の門札……!」
「そうだ」
レオンはふてぶてしく笑った。
「俺が救助隊と戻った時、搬送先で本人確認に使うからと預かった。連絡所に預かり票もある。返す前にこっちへ連れてこられたんだ」
四枚の門札。
持ち主と預かり票をたどれば、救助の経緯を本人以外から確かめられる。
「確認しました」
ノエルは門札を手に取り、その重みを確かめるように静かに言った。
「番号を控えます。持ち主への返還も、こちらで手配します」
「へっ、当然だ。じゃあ、早くあの石頭の隊長に言ってこい。俺の追放申請は取り下げろってな!」
レオンの言葉に、ノエルは冷ややかに首を振った。
「いいえ。私は審査官です。あなたの功績を評価することと、あなたが自隊への連絡義務を怠り、仲間二人に重傷を負わせた事実を判定することは、まったく別の問題です」
ノエルは天幕の出口を見据えた。
「まずは、この門札の持ち主である『救助された四人』に話を聞きましょう。事態は、あなたが思っているほど単純には終わりませんよ」




