第10話 正しかっただけでは足りない
中央診療所での聞き取りと証拠確認を終え、ノエルとミラ、そしてロイドとミーナの四人は、再びギルド三階の第三審査室へと戻ってきていた。
ダグはまだ安静が必要なため病室に残してきたが、彼の書面による同意と謝罪の念は、すでにミラがしっかりと調書に書き留めている。
夕暮れ時の赤い陽光が、長机の上に広げられた数々の書類――遠征簿、購買記録、門医の記録、そして『責任解除申請書』を照らし出していた。
「これより、冒険者パーティ『銀の天秤』から提出された、回復術師ミーナ氏への責任解除申請についての最終判定を言い渡します」
ノエルは椅子に深く腰掛け、両手を机の上で組んだ。
ロイドは緊張した面持ちで姿勢を正し、ミーナは膝の上に両手を置いてじっとノエルの言葉を待っている。
「結論から言えば、ミーナ氏の『職務放棄』を理由とした責任解除は、これを却下します。彼女が治癒魔法および治癒石を使用しなかったことは事実ですが、それは患者であるダグ氏の命を救うための医学的に正しい判断であり、不作為による故意の危険化には当たりません」
ノエルが申請書に『却下』の朱印を押すと、ミーナの肩からふっと力が抜けた。
「ありがとうございます……審査官殿」
「ただし」
安堵するミーナに対し、ノエルは冷ややかな声で言葉を続けた。
「ロイド隊長。ダグ氏による違法覚醒薬『ブラッド・スパイス』の使用は、ギルドの規定に著しく違反する行為です。これについては規律委員会へと報告し、使用と未申告の事実を、規律委員会で個別に審査します。処分を私が先に決めることはできません。治療を続けるうえで、服用の申告は欠かさないでください」
「……分かっています」
ロイドは重々しく頷いた。
「俺が隊長としてあいつの疲労に気づいてやれなかったのが、すべての原因です。当面の治療費は、全員の同意を取って立て替えます。復帰が認められるまで、無理のない依頼で待つつもりです」
「それは、あなた方で決めることです。我々が口を出すことではない」
ノエルの言葉は素っ気なかったが、ロイドはそれに微かな安堵を覚えた。ダグの冒険者生命が完全に絶たれるわけではないと分かったからだ。
しかし、ノエルの視線は次に、うつむき加減のミーナへと向けられた。
「ミーナ氏。治療の判断は支持します。そのうえで、仲間が処置を手伝えるだけの説明は必要でした」
ミーナは頷きかけ、膝の上の手を握った。
「病名を言い切れなくても、ですか」
「疑っている危険、魔法を使わない理由、今する処置。そこまでは、薬の使用を公表せずに伝えられます。私も最初の聞き取りで、公開できることと秘密にすべきことを、もっと早く分けるべきでした」
ミラは自分の調書を見直した。理由を言え、と問い詰めた言葉が残っている。
「私も、質問を急ぎました。すみません」
ロイドが、机に置かれた手引書へ手を伸ばした。
「俺は、病名が分からないなら魔法を使えと迫った。次に同じことがあったら、まず何を手伝えばいいか聞く」
ミーナは顔を上げた。
「それなら……冷却布の交換をお願いして、私は傷と薬を見る、というふうに決められます」
「説明を諦めてしまったのは、私にも責任があります」
ミーナはポロポロと涙をこぼしながら、深く頭を下げた。
「全部を話せなくても、伝えられることはありました。次は、分かっていないことも含めて説明します」
「いいんだ、ミーナ。お前はダグを庇おうとしてくれたんだろう。俺の方こそ、お前の言葉を聞こうとせずに怒鳴り散らして……本当に、すまなかった」
ロイドもまた、ミーナに向かって深く頭を下げた。
「ミーナ。俺たちはまだ、ダグの処分を待たなきゃならない。ギルドの信用も落ちるだろうし、泥水すするような生活になるかもしれない。だけど……もしお前が良ければ、これからも俺たちと一緒に、パーティを続けてくれないか」
ロイドの不器用な願いに、ミーナは涙を拭いながら、力強く何度も頷いた。
「はいっ……! 私も、安全に必要なことと、本人に確認することを分けて伝えます!」
二人の間に、ようやく本物の信頼が結ばれた瞬間だった。
ノエルはその光景を黙って見届けた後、新しい書類を取り出してペンを走らせた。
「では、本件の決着として、第三審査室からミーナ氏に対して『パーティ内における医療情報共有手順の改善』を指導する旨を記録しておきます」
それは、追放などの重い罰則ではなく、あくまで今後の活動を安全に行うための行政的な指導記録である。
「あなた方は解散せず、契約を続けるとのことですので、今後は、処置と危険を共有する手順を作ってください。私的な医療情報は必要な相手に必要な範囲で伝え、緊急時の報告先も決めておきましょう」
「はい! 肝に銘じます!」
「審査官殿。本当に、世話になった」
ロイドとミーナは、晴れやかな顔で深く一礼し、第三審査室を後にして行った。
扉が閉まり、静寂が戻った室内で、ミラはほうと大きなため息をついた。
「なんだか、最後は私が先輩に怒られたみたいで悔しいですけど……でも、良い結末でしたね。ダグさんも助かって、パーティも元通りになって」
「元通りではありません。彼らは一度壊れかけ、そこから手順を作り直して再出発したのです」
ノエルは散らばった証拠書類を几帳面に束ね直しながら、淡々と応じた。
「ギルドの審査は、誰かを悪者にして断罪することだけが目的ではありません。感情の行き違いや、制度の隙間に落ちた真実を拾い上げ、彼らが正しく責任を負えるようにする。それを教えるのも審査官の仕事です」
「はい。処置が正しいだけでなく、仲間に伝えることまで必要なんですね。勉強になりました」
ミラが素直に笑うと、ノエルは一瞬だけ目を伏せ、何かを懐かしむような、あるいは後悔するような、微かな翳りを瞳に宿した。
(正しい判断をしたと信じ込んで……結果としてすべてを失うこともある。あの時の私のように)
ノエルが七年前の記憶の奥底に触れかけた、その時だった。
「ノエル審査官。急ぎの申請書です」
扉が開き、ギルドの受付職員が血相を変えて駆け込んできた。
ノエルは即座に表情を引き締め、職員から書類を受け取る。
「どうしましたか。緊急分離案件ですか」
「はい。つい先ほど、西の渓谷へ向かっていた中堅パーティから『責任解除申請』が出されました。仲間二人が大怪我を負って搬送されてきたのですが……」
職員が息を呑みながら告げた内容に、ミラは耳を疑った。
「戦闘の最中、パーティの斥候が一切の連絡を絶ち、無断で持ち場を放棄して逃亡したそうです。残された二人は魔獣の群れに飲み込まれかけ、危うく命を落とすところだったと」
「戦闘中の持ち場放棄、逃亡……」
ミラがごくりと唾を飲み込む。
それは、冒険者としてもっとも卑劣で、決して許されない重罪だ。
「申請書には、斥候本人は『助けを呼びに行っていた』と主張していると書かれていますが、隊長たちは断固として追放を求めています」
ノエルは申請書に目を通し、凪いだ瞳で静かに告げた。
「分かりました。受理します。……ミラ、出動の準備を。次は、逃げた男の言い分を聞きに行きましょう」




