第9話 夕食
買い物から帰ったエバは、一度荷物を置きに子供部屋に行った。
ベッカーは、かまどの中で消えかかっている炭状の残り火の上に杉の枯れ葉を置き、火が付いたのを確かめてから、薪の表皮を剥いで火を起こした。
「ふう。間に合った。ほんとに女の買い物は長いったらありゃしねえ」
ぶつくさ言いながら薪を重ね入れ、火が付くのを確認すると、調理用のかまどと、風呂釜に、それぞれ火を分けた。
残っているシチューを薄めスープ状にし、その鍋をコンロにかけると、店内の掃除を始める。
「あ~、昨日の騒ぎの後掃除してくれたらしいが、全体に掃除し直しだな、はぁ」
昨日からろくに仮眠もとれていない。
買い物に付き合ったせいで、予定も狂いまくっている。
だが、二日続けての休みにすれば、近所の食卓が大変なことになる。
「なんで俺、こんな仕事してるんだ? 責任ばっか多くねえか」
ぶつぶつ言いながらも、テキパキと掃除をこなすベッカー。時折薪をくべ、スープが煮立っていないか確認するのも忘れない。
鍋をコンロから下ろし、たっぷりの水を入れたヤカンをコンロに置き換える。
もうじき掃除が終わる、そこへ着替えを終えたエバが下りてきた。
「すみません、遅くなりました。……ベッカーさん、掃除しているのですか?」
「ああ」
「掃除はメイドが行うことでは」
ベッカーから、ハハッ、と乾いた笑いが漏れた。
「そうだな、貴族様はそうだろうが、俺たちはそういうわけにはいかねえんだ。自分の事は自分でやる。ましてや俺は独り身。手助けしてくれる妻も、お手伝いさんもいやしねえ。おまけに職人だ。仕事場を掃き清めるのは俺の仕事だ」
エバの目が大きく見開らかれた。
「わたくしも、手助けしてくれる人は誰もおりませんわ。これから一人で生活するなら掃除を覚えませんと」
手伝おうとしながらも、何をすればいいのか分かっていないエバに、あきれたような声でベッカーは言った。
「何もするな。できねえ奴に教えながらすると時間がかかってしょうがねえ。嬢ちゃんはお客様だ。黙って守られてりゃいい」
「……守られるだけでは、赤子と同じですわ」
エバの声を、聞こえなかったふりで通した。
「飯にするか。大したものは出せねえぞ。それから、もうじき風呂が沸く。水は昨日張り替えたものだ。おっさんの残り湯なんか入りたくねえだろ。飯食ったら風呂に入りな」
「お風呂、あるのですか! ありがとうございます」
平民が風呂に入る習慣はない。せいぜい体を拭き上げるくらいだ。
「食品扱っているからな。汚い手でこねられたパンなんか食わせられないだろ」
エバはベッカーを凝視した。
確かに、顔には年相応に小じわがあるが、端正な顔だち。
艶のある髪と清潔な衣服。
街の中ですれ違った人々から発せられる、酸いた匂いもしない。
「安心感があるとは思っていましたが、言動に惑わされていたのですね」
なにかを納得したのか、独り言をつぶやいていた。
ベッカーはそんなエバを無視し、鍋にお湯を入れると、オートミールを入れひと煮立ちさせてからミルクで味を調えていた。
二人分のオートミールと温めなおしたスープを器に盛り、トレイに乗せると祭壇まで運んだ。
「すまない。忙しくてこれしかだせん。明日はちゃんとした飯、差し出すから勘弁してくれ」
ゆっくりと祈ってから、調理場のテーブルに運んだ。
「ほら、こんなものしかねえが、これが庶民の食事だ」
エバはオートミールが珍しいのか、スプーンに載せたまましばらく見つめていた。
「冷めるとまずくなるぞ」
慌てて口に入れる。
目覚めた後食べたパンとは大違いの、微妙な味がした。
「先程のパンは絶品でしたのに」
「これが平民の食事だ。まあ、イモくらいは付けてもいいんだが」
「あのパンはありませんの?」
「うちの食事は、祭壇に捧げたもののお下がりだ。今朝のパンは、妻と息子の大好物だったんだ。月に一度しか作らねえ特別品だ」
(亡くなった家族に食事を捧げていますのね)
エバは黙って食事を頂いた。
シチューを薄めたスープは、それでも優しい味がした。




