第10話 風呂
「では、お先にお風呂に入らせていただきます」
買ったばかりのタオルや歯ブラシを持ちながら、軽い足取りで二階から降りてきたエバ。
「瓶に入っている液体を石鹸代わりに使ってくれ。俺の手作り品だが、なぜか固まらなくてな。まあ、エルザは気に入っていたから嬢ちゃんが使っても大丈夫だろうよ。ほんの一垂らしでいい。髪も洗えるはずだ」
作業の手を止めずに、用件だけ伝える。
「ありがとうございます。石鹸って作ることができるのですね」
「他の奴らは知らん。エルザのために頑張っただけだ」
石鹸がどうしても肌に合わなかった妻のために、作り続けたオリジナルの石鹸。液体で使いやすく、肌にも髪にも優しいと喜んでいた妻の笑顔を思い出していた。
「いかんな。子供とはいえ、この家に他人が泊っているなんて想定外だ」
孤独に慣れたはずのベッカーの心が揺らいでいるのだろうか。
作業の手をとめ、ロッキングチェアーに座り込んだ。
カラン・カラン、とカウベルが鳴り、アンナがずんずんと入ってきた。
「あの子はどんな感じだい。手、出してないだろうね」
「なんだい婆さん、いきなりだな」
「それで、どこにいるんだい」
「風呂に入っている。今入ったばかりだから、長くなるんじゃねえか?」
エルザは長湯だったな、とまた妻の顔を思い出す。
「覗くんじゃないよ」
「ガキの裸にゃ興味ねえよ」
「そうかい? 胸も膨らんでいたぞ。2~3年もたてばかなりの別嬪さんになるだろうよ」
「どうせ二週間しかいない。ガキのままお別れさ」
興味ないね、とひらひらと手を振り、帰るように促した。
「まあ、あんたのことだ。あの子を風呂に入れるため沸かしているのはお見通しさ。あたしにも入らせてくれ」
「俺の後だ。婆さんの汚れた湯の後じゃ、風呂に入ってもパンを作れねえ」
「若い娘ならいいのかい? あの子逃げ回って何日も体すらふけなかったみたいだがね」
「わかってる。だけどおっさんの後に入れるわけにはいかんだろ」
「あの子なら気にしないと思うがね」
風呂場から「キャー」という声が響いた。
「どうした嬢ちゃん」
「泡が……泡がすごくて!」
「婆さん、嬢ちゃんを手伝ってやってくれ」
「そうかい。あたしも一緒に入っちまおうかね」
「しかたねえ。よろしく頼むよ」
あきらめ顔で、アンナの要求を受け入れた。
「血なまぐさいことが続いたからな。清めたかったが仕方ねえ」
どうせ石鹸の泡と婆さんの垢でドロドロの湯になっているんだろうよ、と風呂に入るのをあきらめた。
カラン・カランとドアが開き、今度は警備兵のカルロが入ってきた。
「よう、どうだい。ん、騒がしいな」
「嬢ちゃんと婆さんが風呂に入っている」
浴室から、「おばあ様そこは駄目です」「心配ないさ、まあ、あたしにまかせな」「キャー」などと不穏な会話が漏れてきた。
「大変だな」
「誰のせいだよ」
カルロは苦笑いをし、すぐに真面目な顔になってベッカーに真向かった。
「報告だ。まずはお嬢様の侍女の検視が終わった。犯人から斬られたことによる出血死。他に何も不審な所はなかった」
「そうだろうな」
「遺体はどうする? お嬢様に引き取らせるか、こちらで処理するか」
「俺には権限がねえ。嬢ちゃんに聞いておくよ」
どう伝えたものか、と頭を掻きながら悩んでいる。
「それから、お前が今日捕まえた野郎は、ゲドー組の下っ端だ。おとといの二人は、この街の者ではなかった。プリマベーラ男爵領のならず者だった」
「プリマベーラ?」
「お嬢様の領地だ」
「そうか。別か。嬢ちゃんを追ってきた奴らということだな」
「そうなると思う」
ベッカーはアゴに手を当てて黙った。
「ゲドー組か……」
「まさか、あそこが出てくるとはな」
「あれだけ派手にやったのが、分からないはずもねえのにな」
二人で顔を見合わせて、溜息をついた。
「裏社会を積極的に潰すわけにもいけないのは、分かっているだろうな」
「ああ? 命狙われたら手出ししてもいいんだよな」
ベッカーは一度凄んでみたが、すぐに殺気を引っ込めた。
「嘘だよ。これ以上何もなければ静観する。何とか抑えてくれ」
「ああ。俺が動くから手を出すなよ」
「知らん、向こうに言ってくれ。カルロ、悲しきものは下使われ、だな」
「権力側だからできることもあるのさ」
フフン、と、お互いが乾いた笑いで意思の疎通を行った。
「お嬢様は任せた。ベッカー、手は出すんじゃねえぞ」
「あ~、どいつもこいつも。ガキには興味ねえよ」
そう言いながらもどこか楽しそうな顔をしているベッカーを、カルロはほほえましく見ながら去っていった。




