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星を抱くひと  作者: 飴目
第1章

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第8話 報告書

ナナセを部屋まで送り届けたあと。

セレンはそのままフィリスたちと合流し、再び医療室へと足を運んでいた。


セレンを含め、全員の胸の中に、ナナセに対して小さな棘のような違和感が刺さっていた。

そしてその答えを、あのキサなら知っているはずだという予感があった。


普段のナナセは静かで、指示にも素直に従う。

けれど、その『素直さ』があまりにも歪だった。


少し声をかけただけで身体を硬直させる。

何かを頼めば、怯えるように必要以上に身構える。

そして何より――何も命じられていないのに、どこか追い詰められたように「何かしなければ」と焦っている。


「……キサ」


医療室の扉を開けると、奥で書類を整理していたキサが顔を上げた。


「どうした?全員お揃いで」


「ナナセのことを聞きたい」

フィリスがそう切り出すと、キサの手がピタリと止まった。


ナギもソラトもヒヨリも、いつものような軽い雰囲気はない。セレンもまた、無言のままキサを見つめている。


キサはしばらく四人の真剣な眼差しを受け止め、静かに息を吐いた。


「……何を聞きたい?」


「前の部隊で、あの子に何があった?」

フィリスが問いかける。

「今日の任務でも、ずっと何かに怯えているようだった」

「俺たちが普通に話しかけるだけでも、一瞬身構えるんだ」

ナギが言葉を継ぐ。

「まるで……何か命令されるのを待ってるみたいに。普通の使役妖精とはどこか違う」


「……」


キサは目を伏せた。

しばらく躊躇するように黙っていたが、やがて意を決したように椅子から立ち上がる。


「少し待ってて」


奥の資料室へ向かい、棚を開けていくつかのファイルを探す。

そして、一束の分厚い報告書を取り出してきた。


戻ってきたキサは、それを机の上に静かに置く。

表紙には、正式な公文書としてこう刻まれていた。


【保護管理報告書:旧第五部隊所属使役妖精】


その下には、ナナセの名前と、前主人の名が記されている。

『使役妖精:ナナセ』

『旧契約者:第五部隊長 カネル』


ナギの表情が一変した。

「……これ」

「ナナセが以前、保護されたときの記録だよ」


キサは静かに言った。


「本来なら、こうした守秘義務に関わる記録は関係者以外には見せられない」

「じゃあ、なんで」

「……君たちは見る権利があると思うから」


キサはフィリスのほうへ報告書をゆっくりと滑らせた。


「読んで」


フィリスが表紙をめくる。セレンたちも息を呑んでその紙面を覗き込んだ。


最初のページ。

そこに書かれていたのは、保護された当時の凄惨《せいさん》な身体状態だった。


『重度の貧血。著しい魔力枯渇。

長期間にわたる過度な栄養失調。

継続的な激しい頭痛およびめまいを確認。』


「……重度って」

ソラトが小さく呟く。


フィリスが次のページをめくる。日付ごとに、簡潔な医療記録が並んでいた。


『朝。強いめまいを訴える。魔力保有量は基準値を大幅に下回る。休養を指示。』


『夜間。頭痛あり。連日の過重任務により魔力消費が限界値。本人は「問題ない」と回答。』


『魔力回復が極めて不十分。飛行能力の著しい低下。一時的な意識混濁を確認。』


ナギが息を呑んだ。

「……これで任務に出してたの?」

キサは何も答えない。

フィリスがさらにページをめくる。そこから先は、単なる医療記録ではなかった。


【契約者尋問に基づく制裁・加害記録】


日付、任務内容、ナナセの状態。そして、その横に記された非人道的な処置。


『指示された魔法の展開速度が遅れたため、契約者より直接的な懲罰を受ける。右腕に重度の打撲。魔力供給を継続命令。』


『結界維持中に魔力切れにより倒伏。任務継続を命じるも不可だったため、契約者より物理的制裁。背部に裂傷を確認。治癒魔法を付与し即座に復帰させる。』


――指導、懲罰、制裁。

不穏な言葉が幾度も紙面を埋め尽くしていた。


「……」


誰も喋らなかった。

紙をめくるカサリという音だけが、静まり返った医療室に響く。


ソラトの拳が、爪が食い込むほど強く握りしめられる。

ヒヨリはたまらず視線を逸らした。

ナギは眉を激しく寄せたまま、絶句している。

フィリスだけが淡々と読み進めていたが、報告書を持つ指先は白く強張っていた。


そして最後に挟まれていた一枚の紙。

ナナセが除隊措置となり、保護された当日の記録だった。


『保護時、対象は極度の疲弊状態。自力歩行不可。

魔力残量、生命危険域。

契約者から引き離された後も、対象は「任務に戻らなければならない」「申し訳ありません」と泣き叫び混乱状態に陥る。

休養を命じたところ、命令に従い静静《しずしず》にはなるものの、重度の強迫的不安反応を確認。』


ナギが強く目を閉じた。

「……だからか」

掠れた声だった。


今日、ナナセは言っていたのだ。

『指示をいただかなくて、本当に大丈夫でしょうか?』と。


何もしなくていいと言われても落ち着かなかった理由。

それは性格などではない。


『何もしないこと=懲罰と棄てられる恐怖』そのものだったのだ。


「……まだ、縛られたままなんだな」

ヒヨリが胸を押さえて呟く。


キサは静かに頷いた。

「身体の傷は、もうほとんど治した。でも……こういう心の傷は」

キサは閉じた報告書を見つめる。

「傷跡が消えたから終わり、とはいかないんだ」


セレンはずっと無言だった。

報告書の最後の行を、血が滲むような思いで見つめ続けていた。


そこには、配属にあたっての注記が書かれていた。


『対象は他者からの呼びかけに対する過剰な服従反応、命令待ちの傾向が顕著。自発的な休息が困難。

対象が真に安心して過ごせる環境を、長期的に確保する必要あり。』


セレンはそこからゆっくりと顔を上げた。


「……これ」

低い、地を這うような声だった。

「俺たちが何も知らないまま、配属されたの?」


キサは少し悲しそうに目を伏せた。


「上層部としては、過去の経緯よりも『今の状態』を重視したんだと思う。あの子に余計なレッテルを貼りたくなかったのもあるだろうし……それに」

「それに?」

「数値上の魔力回復も怪我の治療も終わって、ひとまず精神的にも安定して任務に戻れる状態になったと判断されたからじゃないかな」


「安定……?」


セレンの声が、さらに低く冷たく沈む。


キサは黙り込んだ。

セレンは再び報告書を見下ろす。


今日、自分の肩に乗っていた小さな存在。

「何もしなくていい」と言ったときの、あの怯えたような、不安そうな顔。


「……」


セレンは固く目を閉じた。


自分はただ、使う必要がないから放っておいただけだった。

使役妖精を道具として扱うのが嫌だったから、自由にさせていただけだった。


けれど、何も知らなかったセレンのその扱いは――

ナナセにとっては、「何も命じられないまま見捨てられるのではないか」という、生殺しの恐怖だったのかもしれない。


「……知らなかった」


セレンがぽつりと呟いた。

その声には、怒りと、それ以上に強い後悔が混じっていた。


キサは何も言わず、ただ机の上の報告書を静かに閉じた。

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