第72話 穏やかな歩幅
その後は無事に周辺の警戒を終え、一行はアルカへの帰路についていた。
長かった夜も明け、空には柔らかな朝の光が広がり始めている。
「あー……疲れたーっ……」
ナギが両手を頭の上に伸ばし、大きな欠伸と一緒に背伸びをする。
「まあ、朝早かったしな」
ソラトも目元を擦りながら、欠伸を噛み殺して答えた。
「ほとんど眠れてないもんね」
隣を歩くヒヨリもくすくす笑う。
隊長のフィリスはそんな三人を頼もしそうに横目で見つつも、帰り道も怠りなく周囲の警戒を続けていた。
セレンはといえば、いつものように無口な調子のままだ。
必要なときだけ短く会話に混ざり、あとは静かに足を進めている。
「そういや、帰ったら何する?」
「寝る」
「即答じゃん」
「眠いから」
そんなやり取りに、ナギが楽しそうに吹き出す。
その頃――。
セレンの着ている外套の中で、ナナセは小さな身体を丸めていた。
セレンが歩くたびに、心地よい一定の振動が身体へと伝わってくる。
規則正しい、ゆったりとした揺れ。
それが、今のナナセには何となくたまらなく心地よかった。
ナナセは最初こそ周囲の敵意や気配を警戒していたものの、無事に任務が終わったという安心感も手伝って、だんだんと瞼が重くなっていった。
「……」
小さく、欠伸を一つ。
背中の透ける羽を身体にぴったり寄せ、ポケットの底でさらに小さく丸くなる。
セレンの歩く規則正しい振動。
外套越しにほんのりと伝わってくる温かな体温。
周囲から聞こえる、ナギたちの賑やかで楽しげな話し声。
そのすべてが、心地よい遠くの音へと変わっていく。
「……眠い……」
誰の耳にも届かないほど小さな呟き。
ナナセは静かに瞼を閉じた。
その直後、セレンの踏み出す歩みが、ほんの少しだけ緩やかになった。
ポケットの中の気配の変化に気づいたのかもしれない。
セレンは何も言わず、ただ、外套が揺れすぎないようにほんの少しだけ歩幅を落とし、静かに足を運んだ。
ナナセはセレンのそんな優しさにも気づかないまま、深い安らぎの眠りへと落ちていった。
◇
「それ、かなり気に入ってるじゃん」
不意に、隣を歩いていたソラトが可笑しそうに笑った。
「……何が?」
セレンが横目でソラトを見る。
ソラトはセレンの胸元へ視線を落とした。
「そこ」
「……」
「ナナセのこと」
「……別に」
セレンは素っ気なく目を逸らして返す。
けれど、ナギも反対側からニヤニヤしながら覗き込んできた。
「肩に乗ってる時より嬉しそうだけど?」
「そう?」
「うん。なんか歩き方までちょっと優しい」
「……気のせい」
「絶対気のせいじゃないって」
ナギが面白がって声を弾ませる。
セレンはそれ以上反論するのも面倒になったのか、返事をすることなく前を向いた。
外套の右側。
その内側のポケットに、ナナセがいる。
小さな身体はすっかり安心しきって眠っているらしく、さっきから呼吸の微かな動き以外はほとんど動かない。
歩くたびに伝わってくる重みも、ほんの僅かなものだ。
それでも。
確かにそこに自分の大切な存在がいるのだと、はっきりと分かる。
セレンは歩きながら無意識に、外套の位置を優しく整えた。
中のナナセが揺れて目を覚まさないように。
「……」
肩に乗せている時とは、どこか違う。
視界に入らなくても、すぐ近くにいることを肌で感じられる。
自分の体温が届く距離。
もし何か異常があれば、すぐに自分が守れる場所。
それが、セレンにとっては妙に心を落ち着かせてくれた。
そして何より――。
ポケットの中から微かに伝わってくるその小さな体温が、思っていた以上に温かく、愛おしかった。
セレンはほんの少しだけ目を伏せ、小さく吐息を漏らす。
「……まあ」
「ん?」
「……悪くはない」
「ほら!」
ナギが待ってましたと言わばかりに嬉しそうに笑った。
「ついに認めた」
「うるさい」
「素直じゃん」
「黙れ」
ソラトまで一緒になってクスクスと笑い始める。
セレンは面倒そうに二人をあしらいながら、そのまま静かに歩き続けた。
外套の内側では、ナナセが静かに、そして幸せそうに眠り続けている。
その小さな存在を右胸に感じながら。
セレンの歩幅は、アルカへと続く帰路の間ずっと、穏やかで優しいままだった。




