第70話 夜の警戒
ギルド間の護衛任務を終えた後は、そのままこのギルド周辺の警戒・警備補助へと回るスケジュールになっているらしい。
フィリスたちは客間で思い思いに体を休めて寛いではいるものの、何かあれば即座に動けるよう、武器や装備だけはそばに置いたままだ。
「じゃ、俺ちょっと寝るわ……」
ナギがソファへ身体を預け、短く息を吐く。
ソラトやヒヨリも、それぞれ適当な場所を見つけて静かに目を閉じている。
「みなさん、大変ですね……」
ナナセがセレンの膝の上で小さな声を漏らす。
セレンは組んでいた腕を解き、少しだけ口元を緩めた。
「まあね。でも、外で野営するよりは全然マシだよ」
「……そうなんですか?」
「うん。屋内で待機できるだけで、かなり楽」
そう言ってから、セレンは膝の上のナナセへ視線を落とした。
「ナナセも眠っていいんだよ」
「……はい」
ナナセは小さく頷いた。
けれど、見知らぬギルドの、慣れない建物。
それに、いつ何が起きるか分からない緊張感の中。
目を閉じてみても、なかなか眠気は訪れてくれなかった。
ナナセはセレンの膝の上で小さく身体を丸める。
透ける羽を背中にぴったりと寄せ、静かに瞼を閉じた。
眠れなくても、せめてセレンの邪魔をしないように。
そんなことを考えていると――。
「……眠れない?」
頭上から、セレンの低く優しい声が降ってきた。
ナナセがそっと顔を上げる。
「……少しだけ」
「まあ、そうだよね」
セレンは小さく笑うと、無理に眠らせようとはしなかった。
ただ、膝の上にいるナナセが少しでも安心できるように、大きな片手をそっとその近くに置いてくれる。
「じゃあ、横になって目をつむっているだけでもいいよ」
「……はい」
ナナセはその手に寄りかかるように、再び身体を丸めた。
静寂に包まれた客間。
遠くの廊下で誰かが歩くかすかな足音や、時折り通り過ぎる隊員たちの気配。
セレンの手がそばにあるだけで、胸の中の緊張が少しずつほぐれていく。
眠れなくてもいい。
今はただ、この人のそばにいていいのだから。
そう思いながら、ナナセは小さく羽を揺らした。
◇
明け方。
窓の外の空が、まだ薄い群青色に染まりきらない時間帯。
客間には、浅い眠りに落ちている仲間たちの静かな呼吸音だけが漂っていた。
その静寂の中で――。
「……?」
ナナセの背中の羽が、ピクッと微かに揺れた。
何かの違和感を感知したような、かすかな反応。
ほぼ同時に、セレンもすっと顔を上げた。
鋭い瞳で窓の外の暗がりを見つめ、しばらくじっと耳を澄ませる。
「……西に、四」
セレンの小さな呟き。
たったそれだけの言葉で、客間の空気が一変した。
フィリスが即座に目を開ける。
「見に行くか」
短く切り出すフィリスに、ナギたちが一斉に起き上がった。
「了解」
さっきまでの眠気など最初から存在しなかったかのように、全員が素早い動作で装備を身につけていく。
セレンも立ち上がり、ナナセへ向かって手を伸ばした。
「ナナセ、おいで」
「はい」
ナナセはすぐに小さな身体を浮かせた。
セレンの黒い外套が開かれる。
「……」
前回の言葉を思い出し、ナナセは迷うことなく右側のポケットへと向かった。
小さな身体が、滑り込むように外套の内側へと収まる。
「ちょっと揺れるよ」
「大丈夫です」
「よし」
外套が静かに閉じられた。
薄暗くなった視界の中で、ナナセは身体を小さく丸める。
外から聞こえる音が、刻一刻と変わっていく。
靴音。
防具や金属の擦れ合う音。
重い扉が勢いよく開く音。
そして、セレンが走り出した。
ぐんと身体が上下に揺れる。
けれど、セレンが言った通り。
胸の中のナナセに激しい衝撃がいかないよう、どこか身のこなしを意識しているのが伝わってきた。
ナナセは外套の内側で、小さく息を吐き出す。
右側のポケット。
そこは、今まで知らなかった場所だった。
それでも今は、セレンが「ここにいてほしい」と願って選んでくれた、温かな居場所だった。
ナナセは外套越しに伝わるセレンの気配を感じながら、静かにその身体を預けていた。




