第66話 譲れない理由
それ以降、セレンからそれ以上質問が重ねられることはなかった。
ナナセも、セレンがもう納得してくれたのだと思い、それ以上は何も言わなかった。
セレンの胸の中では、さっきナナセが口にした言葉がずっと重く引っかかっていた。
使役妖精にとっては、それが当たり前の常識なのだろう。
主人を守るためなら、疑問も抱かず自分の命を投げ出す。
主人が死ねば、自分もまた死ぬ。
それを「そういうもの」として淡々と受け入れている。
セレンには、それがどこまでも異常で、残酷な呪いのように思えた。
ふと、自分の外套の内側に視線を落とす。
左胸のポケット。
ナナセは最初から当たり前のように、そこにすっぽりと収まっていた。
セレンは深く眉を寄せる。
今まで意識すらしていなかった。けれど――。
そこは、もし敵と対峙し、正面から自分の心臓を狙われたとき。
真っ先に攻撃をその身に受ける位置だった。
ナナセが何の迷いも抵抗もなく、最初から当然のようにそこへ入ったことを思い出し、セレンの背筋に冷や汗が伝う。
「……っ」
心臓がキュッと冷たく縮みあがる感覚に、セレンは小さく息を吐き出した。
「ナナセ」
「はい?」
「こっち」
セレンはそう言って、外套の『右側』を少し開いた。
「こっちに入って」
ナナセは一瞬、言葉の意味が分からないようにパチパチと瞬きをする。
それから、自分が今いる左側のポケットを見つめた。
「……?」
「右だ」
「……」
ナナセは困惑したようにセレンを見上げる。
「……できません」
「……なんで?」
「……」
ナナセは答えにくそうに静かに目を伏せた。
使役妖精としての本能。
主人を守るために、なんとなくそこから動いてはいけないような感覚がある。
「こちらの方が……」
「俺が無理だから」
セレンが遮った。
いつもより、ずっと低く強い声。
「これは指示。移動して」
「……っ」
ナナセがハッと目を見開く。
しばらく困惑と迷いに揺れていたが、やがてセレンの真剣な瞳に押されるように小さく頷いた。
「……はい」
ふわり、と小さな身体が宙に浮く。
左側のポケットから滑り出し、セレンの右側へと移動する。
小さな身体が、右側のポケットの中へと収まった。
セレンは静かに外套を元に戻す。
「……こっち」
「はい……」
ナナセはまだ理由が分からず、少し戸惑った様子でポケットの縁を掴んでいる。
セレンはそんな姿を確認すると、何も言わずにすっと前を向いた。
これでいい。
少なくとも――。
自分がこの命をかけてナナセを守るときに、最初にナナセが傷つくような場所には絶対に置かない。
それだけは、何があろうと譲るつもりがなかった。




