第57話 自由の許し
セレンはそんな自分の話をした後、しばらく黙っていた。
手にしていたグラスを、コトンとテーブルへ置く。
何かを深く思索するように一度視線を落としてから、ゆっくりとナナセを見つめ直した。
「……だからね」
「……?」
「アルカがどういう方針だろうと」
セレンは一度言葉を切り、静かに、けれど揺らぐことのない眼差しで告げた。
「俺とナナセとの関係は、俺が決めるから」
「……」
ナナセは息を呑み、目を瞬かせた。
セレンの声はどこまでも静かだった。
けれど、その言葉には一切の迷いや躊躇がなかった。
まるで最初から規律の枠外に立っているかのような、奇妙なまでの絶対的な余裕と覚悟を纏っている。
ナナセには、セレンがその気になればギルドの取り決めすら撥ね退けてしまえるのではないかと感じられるほどだった。
「だから、ナナセは――これからは自由に生きてね」
「……え」
ナナセの瞳が、大きく見開かれる。
自由に。
そのあまりにも透明で果てしない言葉が、唐突に自分に降りかかり、ナナセの胸の奥深くへとゆっくり落ちていく。
使役妖精としての自分の行動のすべては、常に誰かが決めるものだった。
どこへ行くのか。
何をするのか。
いつ休むのか。
何を食べるのか。
何の魔法を使うのか。
使役妖精として生き始めてから、自分自身の意思で何かを決めること自体なくなっていた。
そしていつしか、それを疑問に思うことすら諦め、与えられた命題をこなすことだけが自分の存在理由なのだと思い込んでいた。
それが使役妖精としての生きがいとすら思っていた。
セレンは今、その前提のすべてをあっさりとひっくり返すような言葉を、ごく当たり前のこととして、しかし確かな確信を持ったように口にしたのだ。
「……っ」
ナナセの喉が、小さく震える。
お礼を言えばいいのだろうか。
「ありがとうございます」と、いつも通りに頭を下げればいいのだろうか。
それとも、「はい」とただ従順に返事を返せばいいのだろうか。
けれど、どれも違う気がした。
胸の底から波のように押し寄せてくるこの感情を、どうやって言葉に変換すればいいのか分からない。
目元が、じわりと熱く滲んでいく。
「……ナナセ?」
異変に気づいたセレンが、心配そうに顔を覗き込んできた。
ナナセは慌てて俯き、顔を隠そうとする。
「……すみません」
「なんで謝るの」
「……分からなくて……」
「何が?」
「……どう、返事をしたらいいのか……」
声がかすかに震えて途切れる。
ナナセは溢れそうになる目元を、小さな両手で必死に押さえた。
「嬉しい、です……っ」
それだけは、かろうじて絞り出すことができた。
「……すごく、嬉しいです」
セレンは何も言わず、ただ静かにナナセを見つめていた。
ナナセは涙を零すまいと俯いたまま、言葉を紡ぎ続ける。
「そんなこと……言われたこと……なかったので……」
自由に生きていい。
誰かの道具ではなく、自分自身のために生きていい。
その言葉が、凍りついていた過去の自分を、一つひとつ優しく抱きしめ、救い上げていくようだった。
セレンは何も言わず、ソファの上でナナセのすぐ隣へと移動した。
そして、その小さな頭の上に、そっと大きな掌を乗せる。
「……じゃあ、これからは何度も言われればいいよ」
「……」
「何度でも言ってあげるから」
ナナセがゆっくりと顔を上げる。
そこにあったのは、どこまでも穏やかで、温かなセレンの微笑みだった。
「自由でいいんだよ」
その優しい言葉に触れた瞬間。
ナナセの目から、ぽろりと一粒の大きな涙が零れ落ちた。
けれど。
それは、今まで過酷な場所で流してきたどの涙とも、まったく違っていた。
痛くて苦しくて流す涙ではない。
胸の奥底に長い間閉じ込められていた悲しみと諦めが、セレンの温もりによって解け去っていくような――どこまでも優しく、温かな涙だった。




