第55話 友人
それから数日経った日のある夜。
セレンの部屋には、珍しく二人分のグラスとお酒が並んでいた。
ソファに座るセレンの向かいには、キサ。
「……ほんとに片付いたね」
グラスを傾けながら部屋の中を見渡したキサが、くすくすと楽しそうに笑う。
「前に来た時、もうちょっと酷かったよね?」
「そうだっけ」
「そうだよ。セレンの部屋にしては綺麗すぎる」
「失礼だな」
セレンはそう言いながらも特に気にした様子もなく、自分のグラスをゆっくりと傾ける。
部屋の奥にある浴室からは、シャワーの水音がかすかに聞こえていた。
ナナセは現在、入浴中だった。
しばらく二人で取り留めのない話をしていると、キサがふと壁の時計に目をやった。
「……ナナセ、ちょっと長すぎない?」
「ん?」
「もう入ってから結構時間経ってるけど」
セレンは浴室のある方へちらりと目を向けた。
「ああ。泡のやつが気に入ったらしい」
「泡?」
「浴槽に入れるやつ」
「ああ……」
キサが納得したように小さく笑う。
セレンはある日の出来事を思い出したのか、口元を柔らかく緩めた。
「ナナセの部屋にも、五部隊にあてられてた部屋にも、ああいうの無かったらしくて」
「うん」
「初めて使い方を教えた日は、浴室から慌てた声が聞こえるから見に行ったら……」
セレンが可笑しそうに目を細める。
「本人まで泡まみれになってびっくりしてた」
「ふふっ」
キサが堪えきれずに吹き出した。
「何それ」
「俺もさすがに爆笑した」
「ナナセ、そういうの全然知らなかったんだ」
「みたい。本人はいたって真面目に慌ててるから、それがまた面白くて」
セレンはグラスをゆらしながら、あの日の光景を回想する。
『ナナセ、なんかあった?』
『セ、セレンさん、泡が止まらなくて!』
『ど、どうしたら……でも、どうしても気になって……すみません……』
『くっ……はははっ!入れすぎ!』
『あああぁ……泡が零れて……』
『ナナセまで泡まみれじゃん。ただでさえ白いからどこにいるか分かんなくなりそう』
『泡が流れてしまうので……思わず……』
『くくっ……一緒に流れていかないでね』
そんな微笑ましいやり取りを思い出し、セレンは再びふっと笑みをこぼした。
「……それから気に入ったらしくて。最近、長い」
「……そうなんだ」
キサは少しだけ目を細め、優しく微笑んだ。
かつて五部隊にいた頃のナナセなら、そんな些細なことを楽しむ心の余裕すら、きっとなかったはずだ。
感情を殺し、どこか抜け殻のように無気力に生きていた彼女は、すべてにおいて諦めきっていた。
それが今では、このセレンの部屋で、彼女なりの小さな楽しみや幸せを少しずつ見つけているらしい。
棚に綺麗に並べられたハーブティー、ソファの上にたたまれたナナセ用の柔らかい毛布、自由に使える温かな浴室。
ひとつひとつは、ごく小さな変化かもしれない。けれど――。
「……よかったね」
キサがぽつりと呟く。
セレンは何も言わず、手にしていたグラスをテーブルへそっと置いた。
けれど、その表情は穏やかな安心感に満ちていた。
「うん。……楽しんでるみたい」
浴室の向こうから、またパチャリと心地よい水音が聞こえてくる。
その音を聞きながら、キサは嬉しそうに満足げな笑みを浮かべたのだった。




