第53話 変化の兆し
その日の訓練所。
いつものように、特別部隊の面々が集まっていた。
軽く身体を動かしながら、それぞれが思い思いに訓練を続けている。
その中で、珍しくセレンの機嫌が良い。
表情そのものはいつもと大きく変わらないはずなのに、ナイフを振るう足取りや動きがどこか軽い。
それをつぶさに観察していたフィリスが、とうとう堪えきれずに吹き出した。
「セレン、機嫌良すぎ」
「……は?」
セレンが手を止め、訝しげに振り返る。
「昨日はすごかったのに」
隣に居たソラトやヒヨリも、楽しそうに笑いを混ぜる。
「ほんとに。昨日の帰りなんて、顔やばかったのに」
「うるさい」
セレンが素っ気なく反抗する。
それを見たナギも、面白そうに目を細めて眺めていた。
「何かいいことでもあった?」
「何もない」
「絶対なんかあったじゃん」
「ない」
淡々と返しつつ、セレンはすっと視線を逸らした。
その先――。
訓練所の片隅、セレンが脱いで置いておいた上着の上に、小さなナナセがちょこんと座っていた。
時折、背中の羽をパタパタと小さく動かしては、訓練に励む皆の姿を眺めている。
その健気な姿を確認すると、セレンの目元がほんの少しだけ柔らかく緩んだ。
「……」
フィリスがその一瞬の表情の変化を見逃さなかった。
「ああ――」
「……何だよ」
「いや?」
フィリスは口元を手で覆いながら、ニヤニヤと笑いを噛み殺す。
「なるほどね」
「何が」
「別にー?」
ソラトも上着の上に座るナナセを見て、合点がいったように頷いた。
「ああ。昨日と違う理由、あそこにいるじゃん」
「……」
セレンが黙ると、ナギが堪えきれずにハハッと爆笑する。
「分かりやすすぎだろ」
「……うるさいって」
捨て台詞のように言いながらも、セレンは上着の置いてある場所へ歩いていく。
近づく気配に気づき、ナナセがパッと顔を上げた。
「セレンさん?」
セレンはナナセが座っている上着の端をそっと整えてやる。
「……寒くない?」
「大丈夫です」
「そっか」
それだけ確認すると、セレンはまた満足そうに訓練へと戻っていった。
その背中を遠目で見送りながら、フィリスがぽつりと呟いた。
「……昨日のセレンに見せてやりたいな、あの顔」
「やめて」
即答だった。
その間髪容れぬ返事に、フィリスたち全員が一斉に声を上げて笑った。
上着の上では、ナナセが首を傾げながら、楽しそうに笑い合うセレンたちを不思議そうに見つめていた。
◇
訓練を終える頃には、空はすっかり茜色の夕暮れに染まっていた。
それぞれが汗を拭い、装備を片付けて各自の部屋へ戻ろうと動き始める。
セレンも置かれていた上着を手にとり、そこにいた小さなナナセへと優しく声をかけた。
「ナナセ、いこっか」
「はい」
ナナセが上着からふわりと飛び降り、光と共に元の大きさに戻ると、セレンの後ろをついていく。
フィリスたちも自然と廊下を同じ方向へ歩いていた。
ナギがふと足を止め、首を傾げる。
「……あれ?」
ナナセの歩く先を見る。
「ナナセの配属部屋、こっちの廊下じゃないよね?」
ソラトも不思議そうに首を傾げた。
すると、セレンがなんてこともないように言った。
「俺の部屋でいい」
「……え?」
フィリスが目を丸くして足を止めた。
「俺の部屋でいいって?」
「言葉通りだけど」
「……ナナセ、セレンの部屋にいるの?」
「うん」
セレンは当たり前といった顔で答えた。
その瞬間――。
フィリスたちの間に、なんとも言えない衝撃と沈黙が落っこちた。
キサなら分かる。
セレンと昔からの長い付き合いがあるキサがセレンの部屋に出入りしていることは、今までにもあった。
けれど、それ以外の他人を。
しかも、自分の部屋に一緒に住ませるような真似をするセレンなんて、今まで誰一人として見たことがなかったのだ。
「……へえ」
フィリスがニヤリと意味深な笑みを浮かべる。
「へえ、じゃない」
「いや、俺別に何も言ってないけど?」
「その顔がうるさい」
「どんな顔だよ」
ナギが耐えかねて吹き出す。
「あのセレンが、他人を自分の部屋に置く日が来るとはねぇ」
「別にいいでしょ」
少しムッとしたようにセレンが言い返す。
その分かりやすい反応に、今度はソラトまでお腹を抱えて笑った。
「そこ怒るんだ」
「怒ってない」
「いや、思いっきり怒ってるじゃん」
「……」
セレンは少し不機嫌そうに黙り込んだ。
その隣で、ナナセは困ったように皆の顔を見比べていた。
けれど、不思議と胸の中は穏やかだった。
セレンが誰かとこうして気兼ねなく軽口を交わす姿も。
それを心から楽しそうに受け止めるフィリスたちの温かさも。
ナナセにとっては、とても新鮮で、眩しい光景だった。
「ほら、行くよ」
セレンがナナセに声をかけ、先を歩き出す。
「はい」
二人が先に歩き出していく。
その背中を微笑ましそうに見送りながら、ナギが小さく呟いた。
「……セレン、変わったなぁ」
「うん」
ソラトも柔らかく笑う。
「なんか、いい方向にね」
フィリスは二人の並んで歩く背中を眺めながら、静かに深く頷いた。
「そうだな」
少し先を歩いていたセレンが、ふと足を止めて振り返る。
「何してるの。早く来れば?」
「はいはい」
ナギたちは顔を見合わせて笑いながら、二人の後をどこまでも楽しそうに追いかけてた。




