第52話 重なる鼓動
翌朝。
ナナセは、うっすらと目を開けた。
最初に肌で感じたのは、心地よいあたたかさだった。
自分をすっぽりと包み込んでいるような、確かな体温。
それから、すぐ近くから漂ってくる、聞き慣れた微かな香り。
「……ん」
ぼんやりとしていた意識が、少しずつはっきりと醒めていく。
そっと顔を上げる。
すぐ目の前にあったのは、セレンの静かな寝顔だった。
「……っ」
ナナセの瞳が、驚きで大きく見開かれる。
そういえば、と昨日の夜のことを思い出す。
庭園の満月のもとで抱きしめられたこと。
部屋へ戻ってからも、セレンの膝の上へ抱き上げられたこと。
そして――そのまま同じベッドで、寄り添うように眠りについたこと。
記憶が一気に脳裏へ戻ってきて、ナナセの頬が瞬く間に赤く染まっていく。
「……」
セレンを起こしてしまわないよう、身体をそっと動かす。
セレンのあたたかな腕の中から、少しだけ離れようとした。
その、次の瞬間――。
「……まだ」
セレンの大きな腕が、自然な動作でナナセの背中へと再び回された。
眠気に揺れる、かすかに掠れた低い声。
「……え」
抵抗する間もなく、そのままぐっともう一度胸元へ引き寄せられる。
ナナセの身体は、再びセレンの広い胸の中へすっぽりと収まってしまった。
「セレン、さん……?」
呼んでみるものの、返事はない。
完全に眠りの中に落ちたままでの、無意識の行動らしい。
そこから離れようとしていたナナセも、それ以上は動くことができなくなってしまった。
セレンの胸に顔を寄せたまま、静かに耳を澄ます。
――トクトク、トクトク。
一定の規則正しいリズムで響いてくる、セレンの温かな心音。
あたたかい。
不思議なくらいに、胸の奥がじんわりと安心感で満たされていく。
ナナセはしばらくの間、じっとその音に耳を傾けていた。
昨日までの自分なら。
誰かの腕の中で眠るなんて、想像することすら考えられなかった。
けれど、今は違う。
恐怖などどこにもない。
むしろ、ずっとこのままでいたいと、そう思ってしまう自分に気づく。
「……」
ナナセはそっと目を閉じた。
セレンのあたたかい胸元に、頬を寄せる。
トクトク。
トクトク。
心地よい鼓動の音に包まれながら、意識がゆっくりと再び深く沈んでいく。
薄いカーテンの隙間から、柔らかい朝の光が静かに差し込む部屋のなか。
ナナセはセレンの温もりに抱かれながら、もう一度、幸せな静かな眠りへと戻っていった。
◇
しばらくして。
完全に目が覚めた二人は、テーブルを挟み、静かに朝の飲み物を口にしていた。
セレンは珈琲を、ナナセはハーブティーを。
けれどセレンは、どこか申し訳なさそうに落ち着かない様子だった。
「……まじでごめん」
「……え?」
「寝てる間、無意識に抱きしめてた。……怖かったよね」
「……っ」
ナナセは昨夜と今朝のぬくもりを思い出して頬を赤くし、照れくさそうに視線を泳がせた。
「怖くなんて……本当に、大丈夫です」
「いや、でも……」
なおも反省しきりのセレンに、ナナセはカップを両手でそっと包み込み、意を決してセレンを見つめた。
「……嫌じゃ、なかったので」
その言葉に、セレンの目が小さく丸くなる。
「……そっか」
「はい」
「なら……よかった」
ようやくホッとしたように、セレンも珈琲へ口をつける。
二人の間に、再び静かな時間が戻ってくる。
けれどその空気は、さっきまでよりもずっと柔らかく、ぬくもりに満ちていた。




