第5話 巡回任務
ある日。
拠点周辺の巡回任務のため、フィリス率いるセレン一行は街の外縁へ向かう街道を歩いていた。
フィリスが先頭、その後ろにナギ、ソラト、ヒヨリ。少し離れてセレンが続いている。
両側に広がる低い森から、風に揺れる木々の音が遠く聞こえていた。
「異常なし」
フィリスが周囲を見渡しながら呟く。
「こっちも」
「後方も問題なし」
ナギが返し、ソラトも後ろを確認する。ヒヨリは軽く目を閉じ、周囲を流れる魔力を探っていた。
いつもの巡回任務。
ただ一つ違っているのは、セレンの肩に小さな妖精が乗っていることだった。
街を出るまでは人間サイズで歩いていたナナセだったが、移動するには小さいほうが楽だと言われ、今は手のひらほどの姿になっている。白金色の髪が風に揺れ、背中の小さな羽が時折ぱたぱたと動いていた。
「……ナナセ、ずっとそこなんだ?」
ナギが振り返る。
「うん」
セレンは前を向いたまま答えた。
「いいの?」
「何が?」
「いや……」
ナギは少し言葉に詰まった。
使役妖精を知る者からすれば、今の光景は少し奇妙だった。
戦闘部隊に所属する妖精なら、索敵や監視、魔力補助などを任されるのが普通だ。人間から与えられた役割を果たし、その役に立つことに生きがいを見出す――それも、使役妖精のひとつの性質だった。
けれど、ナナセは何もしていない。
少なくとも外から見える限りでは、ただセレンの肩に座っているだけだった。
街道に入った当初、ナナセはセレンの少し後ろを飛んでいた。一定の距離を保ちながら周囲を警戒し、異常があればすぐ報告できるように。それが当然だと思っていたからだ。
けれど途中で、セレンが足を止めた。
『ナナセ』
『はい』
『後ろで飛ばれると死角になって危ない。肩に乗って』
『……はい』
それだけだった。
ナナセは言われた通りセレンの肩へ移り、それから一度も降りていない。
「でも、セレン」
今度はソラトが振り返った。
「ナナセに索敵とか監視とかさせなくていいのか?」
「俺たちがしてるじゃん」
「いや、でも……」
「必要なら頼む」
セレンは淡々と答える。
「今は、必要ない」
「……なるほどね」
ソラトはそれ以上追及せず、前を向いた。
ナナセはセレンの肩の上で、小さく身を縮めていた。
何も命じられていない。だから、何もしなくていい。
そう言われている。頭では理解していた。
けれど、長年染みついた身体は、以前の習慣を忘れてはくれなかった。
森。
街道。
空。
風の流れ。
魔力の動き。
何も命じられていないのに、視線だけが勝手に周囲を追ってしまう。
(……異常なし)
確認を終え、ナナセは小さく息を吐いた。
その瞬間、記憶の奥に刻まれた感覚が、ふと過去へ引き戻す。
結界を張る。維持する。
監視魔法を展開する。
異常があれば報告する。
解除して、また別の場所へ――。
『もっと広く索敵しろ』
『結界を維持しろ』
『まだ終わってない』
過去の主人の声に引かれるように、ナナセは無意識に魔力を練り始めた。ほんの少しだけ、周囲を探るための魔法を展開しようとする。
その瞬間だった。
「ナナセ」
セレンの声が届いた。
「はい」
「何か見えた?」
「……いえ」
「じゃあ、何もしなくていいよ」
「……」
ナナセは目を瞬かせた。
指先で練りかけていた魔力が、静かにほどけて失われていく。
「……はい」
小さく返事をする。
セレンはそれ以上何も言わず、いつも通り前を向いて歩き続ける。ナナセも黙ってその肩に座っていた。
けれど――しばらくして、胸の奥に妙なざわめきが残っていることに気づいた。
何もしなくていい。
そんな言葉、以前ならあり得なかった。
命令されない。働かなくていい。魔力を使わなくていい。
それは確かに楽だった。
身体が軽い。呼吸も苦しくない。羽も重くならず、魔力もほとんど減っていない。
こんなに穏やかな任務は初めてだった。
なのに。
(……何もしなくて、いい)
その言葉を、頭の中でもう一度反芻する。
すると、胸の奥がひやりと冷えていった。
自分は、今、何もしていない。
セレンも、自分に何も求めていない。
フィリスたちが周囲を警戒し、セレンも必要な場所は自分で確認している。
――ナナセがいなくても、任務は何の支障もなく進んでいく。
(……私は、必要ない)
そこまで考えて、ナナセは慌てて小さく首を振った。
違う。
セレンは「必要ない」と言ったわけではない。
ただ、「何もしなくていい」と言っただけだ。
分かっている。それなのに。
(必要がないなら……)
その先に浮かびかけた恐ろしい思考を、ナナセは自ら打ち消した。
胸の奥が、冷たく震える。
必要がなくなったら。
その次は――。
そこから先を考えたくなくて、ナナセはセレンの髪へ視線を落とした。
「……」
どうして、こんなことを考えてしまうのだろう。
何もしなくていいと言われている。
怒られない。苦しくない。痛い思いもしない。
それなのに――どうしてこんなにも、怖いのだろう。
答えは分からなかった。
ナナセはもう、胸の奥に芽生えた小さな不安を消すことが出来なくなっていた。




