第4話 違和感
その日も、ナナセは訓練所の隅にいた。
セレンたちが訓練をしている間、邪魔にならない場所で静かに待っている。
それでも、完全に気を抜いているわけではない。セレンが動けば視線を向け、誰かが近づけば無意識に身構える。
そんなナナセの様子を、セレンは時折ちらりと盗み見ていた。
「……」
今日も、特に指示することはない。
セレンはそう思いながら、訓練の合間にベンチへ戻った。
ナナセは少し離れた場所に立っている。人間の姿のまま、ただ静かにこちらを見つめていた。
「ナナセ」
「はい」
「そこ、暑くない?」
「大丈夫です」
「そう」
セレンはそれ以上何も言わなかった。ナナセもまた、黙っている。
やがてセレンがベンチから立ち上がった。
そのときだった。
「……」
ナナセの頭上へ、セレンの手が伸びる。
ほんの一瞬のことだった。
セレンは何かを取ろうとしただけ。ナナセの後ろにある棚へ手を伸ばし、置いてあったタオルを取ろうとしたのだ。
けれど――ナナセの身体が、先に反応した。
肩が大きく跳ねる。
ギュッと強く目を閉じ、両腕が反射的に頭を庇うように上がった。
「……っ」
セレンの手がピタリと止まる。
ナナセも、自分が何をしたのか分かっていた。
叩かれる――そう認識した瞬間には、もう身体が勝手に動いていた。
「……何してるの?」
「……いえ」
「いや」
セレンは自分の手元を見つめる。
「今、俺が何すると思った?」
ナナセは答えられない。
「……分かりません」
「……」
セレンはしばらくナナセを見つめていたが、何も言わず、棚からタオルを取った。
「……これ、取ろうとしただけ」
「……はい」
「うん」
それ以上は何も言わなかった。
ナナセも、それ以上何も言わない。
ただ、少し間を置いてから。
「……すみません」
「なんで謝るの」
「……分かりません」
「じゃあ、謝らなくていいよ」
「……はい」
セレンはタオルを肩にかけ、その場を離れた。
けれど、その後もしばらく――さっきのナナセの拒絶にも似た姿が、頭から離れなかった。
◇
訓練が終わったあと。
「……さっきの」
最初に口を開いたのはナギだった。
セレンが顔を上げる。
「見てた?」
「うん」
ナギは少し言葉を選ぶようにして続けた。
「ナナセ、セレンに叩かれると思ったんだよね」
「……そうみたい」
ソラトが眉を寄せる。
「でも、セレン何もしてないよな」
「してない」
「だよな……」
フィリスも黙って考え込んでいた。
「前から、少し気になっていた」
「何が?」
ヒヨリが尋ねる。
「ナナセは、命令を待ちすぎる」
フィリスの言葉に、セレンも思い当たる節があった。
確かにそうだ。何もしなくていいと言えば戸惑い、自由にしていいと言えば立ち尽くす。何か頼めば即座に動き、何も頼まれなければ、ずっとこちらを見ている。
「それだけなら、使役妖精特有の癖とも思えたが」
ナギが重い口を開く。
「でも、さっきのは違う気がする」
「……」
セレンは黙ってナナセに視線を遣った。
離れた場所で小さな姿に戻ったナナセは、何も知らない様子でぼんやりと宙に浮いている。
ソラトがポツリと呟いた。
「……前の人にか?」
「そこまでは分からない」
フィリスが静かに制した。
「決めつけるのは早い」
「……そうだな」
セレンも頷いた。
けれど、胸の奥にはぬぐいきれない違和感が残っていた。
叩かれると思って身を庇う動作。それは、過去に一度や二度ではない経験があったことを物語っているようだった。
命令がないことに戸惑い、常に顔色を窺い続ける姿。
そのすべてが、無関係とは思えなかった。




