第41話 おとぎの森へ
その夜。
ナナセは夢を見ていた。
セレンと昔の話をしたせいだろうか。
夢の中で、ナナセはあの森にいた。
ただ、いつもの惨劇の記憶とは違っていた。
燃え盛る炎もない。
逃げ惑う者たちの気配もない。
誰かの怒鳴り声も聞こえない。
ただ、穏やかな風が吹き抜けていた。
木々の間から柔らかく陽の光が差し込み、葉がさらさらと音を立てて揺れている。
(気持ちいい……)
ナナセは森の中を歩いていた。
足元には可憐な小花が揺れている。
木漏れ日の中を、心地よい風が通り抜けていく。
どこか懐かしい。
けれど、ずっと忘れていた――そんな感覚だった。
森が襲撃を受ける前。
まだ何も失っていなかった頃。
これまでナナセが覚えていたのは、あの凄惨な襲撃の後の記憶ばかりだった。
怖かった。
痛かった。
たった一人で、暗闇を彷徨っていた。
そんな暗い記憶に押しつぶされるようにして、その前に存在していた穏やかな時間を、自分自身で忘れてしまっていたのだ。
夢の中で、それを思い出していた。
木々の間を抜ける風。
花の芳しい香り。
あたたかな陽だまり。
自分の羽を優しく揺らしていた、暖かな空気。
そして何より、あの頃の自分は、ちゃんと笑っていた。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
失ったことさえ忘れてしまっていたけれど。
これは間違いなく、自分にとって大切な時間だったのだと。
やがて、夢が薄れていく。
森の景色が、ゆっくりと遠ざかっていく。
ナナセは、頬を伝う冷たい感触で目を覚ました。
「……」
ゆっくりと目を開ける。
視界に入ってきたのは、清々しい朝の光だった。
窓から差し込んだ陽射しが、ソファの上を柔らかく照らしている。
ナナセはぼんやりと瞬きをした。
「……私、泣いてた」
けれど、悲しくはなかった。
むしろ、胸の奥には不思議なくらい穏やかで、満ち足りた感覚が残っていた。
ナナセは身体を起こし、ソファまで伸びた朝の光を見上げた。
「……朝」
それから、ハッとして少しだけ驚いた。
昨夜眠りについてから、一度も目を覚ましていない。
二時間おきに跳ね起きることも、外の些細な音に過剰に反応することもなかった。
本当に、朝まで一度も途切れずに眠れていたのだ。
「……」
ナナセはしばらく動けずにいた。
こんなにも長く、深く眠ることが出来たのはいつ以来だろう。
いや、こんなにも穏やかな気持ちで朝を迎えたこと自体、いつ以来なのか思い出せない。
昨夜、セレンが言ってくれた言葉。
『寒くなったら使って』
『怖くなったり、何かあったら起こして』
『遠慮しなくていい』
半分開いた寝室の扉。
その向こうには、今も変わらずセレンの気配があった。
ナナセは胸元へそっと手を当てる。
夢の中の、あの温かな森を思い出す。
失ったと思っていた記憶。
ずっと忘れていた、大切な時間。
「……」
小さく、愛おしむように息を吐く。
頬にはまだ、涙の跡が冷たく残っていた。
ナナセは初めて、その涙を拭おうとはしなかった。
ただ降り注ぐ朝の光を全身に浴びながら、静かに、そして穏やかに微笑んだ。




