第35話 訓練所の日常
訓練所へ着くと、フィリスたちは手慣れた様子でそれぞれ準備を始めた。
自分の武器を手に取り状態を確認したり、軽く身体をほぐしたり。
けれど、通常の緊迫した訓練とはどこか雰囲気が違っていた。
「今日は何する?」
「軽く模擬戦でいいんじゃない?」
「昨日もやっただろ」
「じゃあ、本気でやる?」
「こいよ」
そんな賑やかな声があちこちから飛び交う。
ナナセがどこか圧倒されながらその様子を眺めていると、セレンがふとこちらを振り返った。
「ナナセ」
「はい」
「小さくなってれば目立たないし安全だから」
セレンはそう言うと、着ていた自分の上着をすっと脱いだ。
「これの上で休んでていいよ」
「……ここで、ですか?」
「うん」
セレンは訓練所の隅にある長椅子の上へ、上着を折り畳んで置いた。
ナナセは少し迷ったものの、すぐに素直に頷いた。
「分かりました」
すっと意識を集中させ、身体を小さくする。
ふわりと光の粒子とともに繊細な羽が広がり、ナナセの身体は手のひらに乗るほどの小さな妖精の姿へと変わった。
そのままセレンの畳んだ上着の上へと舞い降りる。
柔らかな上質な布地の上にちょこんと腰を下ろすと、セレンが指先で上着の端をそっと整えてくれた。
「寒かったら言って」
「はい」
「じゃあ、行ってくる」
セレンが立ち上がる。
ナナセは小さな身体のまま、その背中を見送った。
やがて、広い訓練所で活気あふれる模擬戦が始まった。
「じゃあ、まず俺とソラトから」
「了解」
セレンとソラトが中央で向き合う。
「いくぞ」
「今日は勝つ!」
互いに踏み込み、武器を打ち鳴らす。二人は、最初の一撃からどこか心底楽しそうだった。
ナギが横から楽しそうに茶々を入れれば、フィリスが可笑しそうに笑って制する。
途中からヒヨリも加わり、自然と人数が増えていく。
決して相手を叩きのめすための殺伐とした戦闘訓練ではない。
互いの技術を確認し合いながら、純粋に身体を動かすことを楽しんでいるのだ。
誰かが失敗すれば皆で笑い、見事な動きを決めれば素直に褒める。
「今のいいじゃん」
「いや、そっちが避けただけだろ」
「それも含めて実力でしょ!」
そんな楽しげな会話が、広い訓練所に響き渡っていた。
ナナセはセレンの上着の上から、膝を抱えるようにしてじっと彼らの姿を眺めていた。
(……すごく、楽しそう。)
自分の知っている訓練の様子とは、まるで違っていた。
あそこでは失敗は即座に罰であり、訓練とは恐怖と痛みに耐える時間でしかなかったからだ。
セレンもまた、笑っていた。
普段の静かで感情を出さない顔ではなく、心から信頼できる仲間といる時だけ見せる、柔らかで温かな表情。
ナギとソラトが言い合いをしていて、フィリスがそれを楽しそうに眺めている。
ヒヨリが穏やかに笑っている。
「……」
ナナセは畳んでいた羽を少し伸ばすようにして、セレンの香りがほのかに残る上着の上に座り直した。
ここには、自分を脅かすものが何もない。
何か成果を出さなくてもいい。
誰かの役に立たなくてもいい。
ただここにいて、大切なみんなが楽しそうに笑っているのを眺めているだけ。
それだけなのに――。
胸の奥の冷たい結び目が、ゆっくりとほどけて静かに落ち着いていく。
ナナセは小さな羽をパタパタと揺らした。
目の前では、またセレンたちが楽しそうに声を上げて笑っている。
その温かな光景を目に焼き付けながら、ナナセはほんの少しだけ安心したように、穏やかに目を細めた。




