第33話 一粒の甘さ
昼過ぎのダイニング。
ナナセの前には、朝とは少し違った新鮮な野菜と果物のプレートが置かれていた。
切り分けられた野菜や果物をフォークで一つずつ口へ運びながら、ナナセは静かに食事を進めている。
向かいの席ではフィリスたちも、それぞれ思い思いに食事を続けていた。
そんな中――。
セレンが自分の皿をぼんやりと眺めていたかと思うと、何気ない動作でフォークを伸ばし、果物をひとつ摘み上げた。
「ナナセ、これあげる」
「……はい?」
ぽん、と。
ナナセの皿の端に、瑞々しい果物がひとつ乗せられる。
「……」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
ナナセは自分の皿を見つめる。
それから、隣のセレンを見上げる。
「……え」
もう一度。
「え……?」
ナナセは心底驚き、灰色の目を限界まで丸くしていた。
そのあまりにも劇的な驚きの声に、向かいにいたフィリスたちも一斉に顔を上げる。
「……」
「……」
「……」
ダイニングに流れる、何とも言えないシュールな沈黙。
ナギも目を見開き、セレンを見る。
ソラトも固まっている。
ヒヨリまで、珍しく少しだけ目を丸くしていた。
けれど、当の本人だけが周りの視線など露知らず、ケロッとした顔をしている。
「食べないの?」
「い、いえ……っ」
ナナセは慌てて首を横に振る。
けれど、皿の上の果物へフォークを伸ばしかけて――ぴたりと手を止めた。
「……い、いただけません」
「なんで?」
「……その……」
ナナセは言葉に詰まってしまう。
使役妖精が、主人から食事を分けてもらう。
そんなことは、ナナセのような妖精たちにとって「普通」ではない。
少なくとも、自分がこれまで叩き込まれてきた環境では、恐れ多い絶対にあり得ない行為だった。
「これは……セレンさんの分ですので……」
「もうあげちゃったし」
「……」
セレンは本当に、何の深意もなく言っている。
ナナセが思いがけない出来事に「どうしよう」と目をパチパチさせて困り果てていると、向かいのフィリスがとうとう耐えきれずに吹き出した。
「くっ……セレン」
「ん?」
「ナナセがすごく困ってるよ」
「?」
セレンが不思議そうにナナセを覗き込む。
ナナセはおろおろと皿とセレンに視線を泳がせながら、固まっていた。
フィリスは肩を揺らして笑いながら続けた。
「使役妖精に自分の食事を分けてやる主人なんて、よっぽど特別な信頼関係があるやつか、かなり変わったやつくらいなんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
「……」
セレンは少しだけ首をひねり、考えた。
けれど――。
「俺はそういうの気にしないし」
あっさり。どこまでも気ままに言い放つ。
「いいから食べな」
「……」
ナナセは言葉を失ってしまう。
フィリスが楽しそうに肩を揺らして笑っている。
ナギも隣で、呆れ半分、微笑ましさ半分といった風に小さく笑った。
「ふふ、セレンらしいなぁ」
「何が?」
「いや、別に」
セレンは皆がなぜ笑っているのか、本当に分かっていないらしい。
ナナセはしばらくの間、自分の皿に乗せられた一粒の果実を見つめていた。
それから、緊張した手つきで、恐る恐るフォークを伸ばす。
「……いただきます」
「うん」
セレンは短く答えると、興味が逸れたように自分の食事へ戻っていった。
ナナセは、小さく切り分けられたその果物をそっと口に含む。
甘い。
普段食べている果物と、きっと同じ種類で同じ味のはずなのに。
なぜか、胸の奥がくすぐったくなるほど優しく、甘かった。
フィリスたちはそんなナナセの様子を温かい眼差しで見守っていたが、誰も野暮な言葉はかけなかった。
セレン本人だけが、自分のしたことの特別な意味をまったく理解していない、いつもの無表情で淡々と食事を続けていた。




