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星を抱くひと  作者: 飴目
第2章

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第30話 眠る人

ナナセは、セレンの部屋の前まで戻ってきた。

扉にそっと手をかける。


「……」


押し込んでみると、鍵は開いたままだった。

カチャリと音を立てないよう、慎重にゆっくりと扉を開く。


「……お邪魔します、でいいのかな……」


小さく呟いて室内へ足を踏み入れ、静かに扉を閉めた。

リビングには、早朝よりも少し高くなった、昼前の柔らかな光が差し込んでいる。


ナナセが昨夜使っていたソファの少し奥。そこに人影があった。

手には何も持っていない。身体も動かず、じっと静止している。


ナナセは足音を殺して近づき、その様子を伺った。

ソファに深く腰掛けたセレンが、静かに目を閉じている。


(……寝てる?)


どうやら、自分が庭園に出かけている間に二度寝をしているらしい。

ナナセはセレンを起こしてしまわないよう、自分が昨夜から使っていたソファへ、静かに腰を下ろす。


置いてあった毛布をそっと膝の上に掛け直す。

その、わずかな気配を感じ取った瞬間――。


「……ん」


セレンの瞼が、薄く開いた。

少しだけ焦点を結ばないぼんやりとした視線が、ナナセへと向けられる。


「……おかえり」


眠たげな、低く掠れた声。

ナナセは不意を突かれ、目を瞬かせた。


「……ただいま、です」


セレンはその返事を聞いたのか、あるいは夢うつつなのか。

「ん……」

喉の奥で小さく返事をしただけで、そのままゆっくりと再び目を閉じる。

そのまま、すっと深い眠りの中へ戻っていった。


「……」


ナナセはしばらくの間、呼吸を止めるようにセレンの寝顔を見つめていた。


自分の部屋には戻らず、ここへ来た。

居座れば邪魔になるかもしれないと、ずっと怯えていた。

けれど、セレンは咎めることなど何一つ言わなかった。

ただ、当たり前のように一言、「おかえり」と言ってくれた。


その飾らない言葉が、ナナセの胸の奥をじんわりと満たしていく。


ナナセは毛布を少しだけ上へ引き上げた。

そして、ソファの背もたれにそっと身体を預ける。


高くなった窓から差し込む昼前の明るい陽光が、静かな部屋を温かく照らしている。


セレンは眠っている。

ナナセにも、何かをするべき理由はない。

それでも――ここにいることが、驚くほど温かく、落ち着いていた。


◇


セレンが再び完全に目を覚ましたのは、それからしばらく経った、正午近くのことだった。


「……ん」

薄く目を開ける。

まだ頭の奥に少し眠気が残っていた。

天井をぼんやりと見上げ、それから身体を伸ばすように視線を横へ向けた。


「……」


そこに、ナナセがいた。


昨夜から使っているソファの上。

小さな身体を毛布にすっぽりと包んだまま、静かに眠っている。


セレンはしばらく、その寝姿をじっと見つめた。

庭園から帰ってきたナナセが「ただいま」と言った記憶が、微睡《まどろ》んでいた意識の底からうっすらと思い出される。


「……いつから寝てるんだろ」

小さく呟くが、もちろんナナセからの答えはない。


ナナセは、深く深く眠っていた。

昨晩見せた、あの浅い眠りとは、明らかに違っていた。

胸の上下はごく穏やかで、全身から余計な緊張がすっかり抜け切っている。

自分が少し体を動かした音にすら、敏感に反応する様子もない。

ただ、安心しきったように眠っている。


セレンは静かにソファから立ち上がった。

ナナセの肩から毛布が少しずり落ちていることに気づき、そっと手を伸ばして掛け直す。


「……」

それでも、ナナセは起きる気配すらなかった。

セレンは少しだけ目を細める。


「……よく寝てる」


セレンは小さく笑った。

それからセレンは少しだけ考えると、毛布の端を崩さないようそっとまとめる。

そして、ナナセの身体を毛布ごと優しく両腕で抱き上げた。


「……ん……」


ナナセが身じろぎをするが、その目が開くことはなかった。

セレンは振動で起こさないよう、慎重に足を運びながら奥の寝室へと向かう。

足音を抑えながら歩き、大きなベッドの脇へ。


そして、ふわりと抱えたナナセをベッドの上へと優しく横たえさせた。

掛け布団と毛布を丁寧に整える。

頬にかかった透き通る艶やかな白い髪を、指先で優しく払った。


「……」


ナナセは自分の置かれた状況すら知らず、穏やかな寝息を立て続けている。

セレンは少しの間、その無防備で綺麗な寝顔を見つめていた。


「おやすみ」


耳元で、誰にも聞こえないほどの小さな声で囁く。

返事はもちろん、返ってこない。


セレンは満足そうに静かに立ち上がり、寝室をあとにした。

寝室の扉は、完全には閉めなかった。

わずかに開けた隙間から、リビングの柔らかく明るい光が静かに差し込んでいる。


その光に見守られながら。

ナナセは久しぶりに、心からの深い眠りの中にいた。

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