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星を抱くひと  作者: 飴目
第2章

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第29話 迷いと、優しい声

しばらくして。

ナナセは噴水の縁から静かに立ち上がった。

そろそろ、ここを発《た》とう。

そう思ったものの――。


「……」


その足が、ぴたりと止まる。

お邪魔しますとは言ったものの、セレンの部屋へ戻るべきなのかどうか、決めかねていたのだ。


セレンは「好きに使っていい」と言ってくれた。

それから、「疲れたら戻っておいで」とも。


けれど、自分には、本来割り当てられた自分の部屋がある。

それに、セレンは今日がせっかくの休日だ。

何も理由がないのに、自分がずっと部屋に居座っているのもどうなのだろうか。


昨夜は眠れないからという明確な理由があった。

けれど、今はもう朝だ。


「……自分の部屋に、戻ったほうがいいのかな」


ナナセは小さな声でぽつりと呟いた。


仕事のない妖精は自分の部屋へ戻る。それがきっと、客観的な「普通」なのだと思う。

そう自分に言い聞かせ、庭園の一般区画側の出口へと向かおうとした。


その時――。


少し離れた廊下の奥から、人の話し声が風に乗って聞こえてきた。


「……!」


ナナセの身体が弾かれたように固まる。

風に混じってかすかに耳へ届く、何人かの隊員たちの声。

それは自分が元いた第五部隊を含む、別部隊たちの居住区や、個人の部屋へ繋がる通路の方向から聞こえていた。


「……」


理由を思索するよりも早く、無意識のうちに全身が強張り、胸の奥がキュッと縮み上がる。

ナナセは一般出口へ向けていた脚を、ゆっくりと止めた。


怖い――。

思考が追いつく前に、身体が冷たい恐怖を感知していた。


ナナセはしばらくの間、その場に棒立ちになっていた。

やがて、ナナセは逃げるように一般出口から視線を逸らす。


そして、反対側にある屋根付きの渡り廊下の先――セレンの部屋がある特別部隊の区画へと続く方向へ目を向けた。


「戻っておいで」

セレンが残していってくれた言葉が、脳裏に優しく蘇《よみがえ》る。


セレンは「自分の部屋へ帰れ」とは言わなかった。

セレンの部屋に戻ってもいいのだ。


そう思い至った瞬間。

強張っていたナナセの足が、自然と一歩を踏み出していた。


一歩、また一歩。

気づけば自分は、吸い寄せられるように渡り廊下を歩いている。


「……」


自分でも少しだけ不思議だった。

さっきまでは邪魔になるかもしれない、と恐縮していたはずなのに。

あの飾らない優しい声を思い出すだけで、その温もりに縋り付きたいと願ってしまっていた。


やがて、見慣れ始めたセレンの部屋がある区画が見えてくる。


ナナセは歩みを少し緩めた。

本当にここへ戻ってもいいのだろうか。

そんな迷いと気兼ねは、まだ胸の奥に少なからず残っている。


それでも――今は自分の部屋へ帰るより、あの場所へ向かいたいと心が叫んでいた。


ナナセは溢れそうになる感情を抱えながら、静かに、けれどしっかりと歩を進めていった。

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