第25話 甘い果実
ダイニングの静かな空気の中で、ナナセは窓からの光を浴びながらぼんやりと室内を眺めていた。
すると、厨房のほうから一人の男性がこちらへ向かって歩いてくる。
二人の席へ近づくと、セレンに向かって親しげに声をかけた。
「今日はだいぶ早起きじゃない?」
どうやら、このダイニングのオーナーらしい。
セレンは特に顔を上げることもなく、手元のテーブルを見つめたまま答えた。
「別に」
男はそんなセレンの塩対応にも手慣れた様子でくすりと笑うと、持っていたトレーから二人の前へ手際よく器を置いていく。
セレンの前には、湯気の立つ深煎りのコーヒー。
そしてナナセの前には、心地よい香りを漂わせる温かなハーブティーと、小さなガラス皿に盛られた数種類のフルーツ。
「……え」
ナナセは思わず目を丸くした。
自分たちはまだ何も注文していない。メニューを開くことすらしていなかったはずだ。
「どうぞ」
男は気品のある笑みを浮かべる。
「ここのオーナーのルナだよ。よろしくね」
「……ナ、ナナセです」
突然のことに戸惑いながらも、ナナセは慌てて小さく頭を下げた。
「うん、よろしく」
ルナは満足そうに頷くと、
「ごゆっくり」
とだけ言い残し、颯爽と厨房のほうへ戻っていった。
ナナセは目の前のガラス皿をじっと見つめる。
瑞々《みずみず》しい色とりどりの果物。どれも食べやすいように、一口サイズの大きさにカットされている。
「……」
不思議そうに果物を見つめていると、向かいからセレンの落ち着いた声が届いた。
「フルーツ好きなの?」
「……え?」
ナナセが顔を上げる。
セレンはコーヒーカップを手に取りながら、ナナセの前の皿へ視線を送っていた。
「『なんで知ってるんだろう』って顔してる」
「……はい」
ナナセは誤魔化さず、素直に頷いた。
セレンは可笑しそうに小さく笑う。
「ルナは、そういう男だからな」
「そういう……?」
「人の好みとか情報を、勝手に覚えてる」
「……」
ナナセはもう一度、瑞々しい皿へ視線を落とした。
「私、フルーツが好きだって……」
「たぶん知ってるんじゃない? どこかで聞いたか、見たか」
「……いつの間に」
「さあ。ルナは無駄に顔が広いからね」
セレンは特に深く追及する様子もなく、温かいコーヒーを静かに一口含んだ。
「食べていいよ」
「……はい。……いただきます」
ナナセはそういうと、恐る恐るフォークを手に取った。
綺麗に切られた果物をひとつ掬い、口へと運ぶ。
果汁が弾け、優しい甘さが広がる。
その美味しさに、ナナセの固かった目元が思わずふっと緩んだ。
セレンはその表情を見逃さなかったが、何も言わなかった。
ただ、自分のコーヒーをもう一口、静かに味わう。
静かな朝のダイニング。
ナナセの前には、ルナが自分のために用意してくれた食事。
それは何かを果たした対価でもない。
「好きだから」という、ただそれだけの理由で届けられたささやかな贈り物だった。
ナナセは胸の奥を温かいもので満たしながら、もうひとつ、フルーツを口に運んだ。




