第22話 小さな変化
「朝、ナナセが自分の部屋にいなかったからさ」
様子を見に来た理由を語りながら、キサは改めてナナセの顔色をじっくりと確認した。
「……あれ?」
キサの目が、少しだけ驚きに見開かれる。
「……眠れた?」
尋ねながら、キサは服のポケットへ手を差し入れた。
何かを取り出そうとしていた手が、途中でピタリと止まる。
ナナセもその手に視線をやり、何かを思い出したらしく「あ」と小さく声を漏らした。
「……?」
セレンが二人を交互に見やる。
「何が?」
キサがポケットから取り出したのは、小さな紙の薬包だった。
「睡眠薬だよ」
セレンがそれへ視線を向ける。
「そろそろ使ったほうがいいかと思って持ってきたんだけど」
キサはナナセへ優しい視線を向け直した。
「前の治療の時からずっと深く眠れていなかったからね。念のためにと思ってさ」
「……」
ナナセは小さな薬包を見つめた。
そういえば昨夜は、この薬を飲むことも忘れて、眠り続けていたのだ。
セレンは特に驚く風もなく、あっさりと口を開いた。
「昨日の夜中からずっと寝てたぞ」
「……え?」
キサが勢いよくセレンを見る。
「薬なしで?」
「うん」
セレンは大きな欠伸を噛み殺しながら頷いた。
「朝まで一度も起きなかった」
キサは少しの間、信じられないように黙り込んでいた。
それから――。
「……そっか」
ふっと目元を崩し、表情を和らげた。
「……よかった」
心の底から安堵した、本当に嬉しそうな笑顔だった。
ナナセはその温かい笑顔を見つめ返し、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。
セレンはそんな二人を横目で見つつ、もう一度盛大に欠伸をした。
「だから、もう帰っていいよ」
「え」
「俺、まだ眠いから」
「ひどいなぁ」
キサが思わず吹き出すように笑う。
「せっかく心配して様子見に来たのにさ」
「様子はもう見たでしょ」
「まあ、見たけどさ」
セレンは取り合わず、そのままキッチンのほうへ足を向けた。
「……」
ナナセは、だるそうに遠ざかっていくセレンの背中を見つめていた。
キサが苦笑いを浮かべて首を振る。
「相変わらずだなぁ、あいつは」
そして、ナナセに向かって優しく振り返った。
「じゃあ、またね。ナナセ」
「……はい」
キサは笑顔で軽く手を振った。
「自分の力でちゃんと眠れたなら、それが一番だからさ」
そう言い残し、静かに部屋を出ていく。
カチャリと扉が閉まった。
ナナセはしばらくの間、その扉の木目をじっと見つめていた。
やがて――キッチンのほうから、セレンが水を出す静かな音が聞こえてくる。
「……」
ナナセはソファの上で、毛布に包まり直した。
自分の中に生まれた、いくつかの小さな変化。
それが、ナナセの胸にはまだ、少しだけ眩しく不思議で、とても愛おしかった。




