第179話 星に口づけを
ふと、何かを思いついたようにセレンが小さく笑った。
「……じゃあさ」
「?」
「心配してくれてるなら、ナナセから抱きしめてくれたりするのかな」
「え……」
ナナセは予期せぬ言葉に、大きく目を瞬かせた。
今もこうしてセレンの膝の上で抱き合っている。
けれど、それはあくまでセレンに抱き寄せられているからであって、自分から抱きしめにいったというわけではない。
そのことに改めて気付いた途端、じわ、と両頬が熱くなっていくのが分かった。
「……えっと」
セレンはそんな照れ惑うナナセの顔を、少し楽しそうに覗き込んでくる。
「ね? 俺、怖い思いした」
「……っ」
正面からじっと見つめられてしまい、ナナセは視線を逸らすことすらできない。
「う……」
口の端から小さく、甘い照れたような声が漏れた。
こんな時、自分からどう抱きしめ返せばいいのか分からない。
けれど、セレンはどこか楽しそうに、そして嬉しそうにこちらの反応を待っている。
「……」
ナナセは熱を持った顔をセレンから隠すように、ふい、と背の羽を大きく広げた。
その瞬間――。
ふわっ、と。
部屋の空気の中に、小さな黄金色の煌めきが一気に広がっていった。
「……っえ?」
セレンが驚いたように目を見開く。
まるで美しい星屑のような繊細な光の粒が二人の周囲をゆるやかに漂い、ナナセの羽から淡く優しくこぼれ落ちていく。
それは、ナナセの持つ浄化魔法だった。
ナナセはそのまま静かに目を閉じ、セレンの身体の奥に残っていた魔力の残滓を、ひとつずつ取り除いていく。
先ほどの敵の夢魔法によって彼の精神や肌に残されていた、微かな異質な魔力。
それがナナセの放つ黄金色の光に触れるたび、氷が解けるように静かにほどけて消え去っていった。
「ナナセ……?」
セレンは驚いたまま、自分の手や胸元に舞い散る黄金の光を見下ろす。
やがて、セレンの身体に漂っていた最後の魔力の残滓まで、綺麗に浄化されて消えた。
ナナセは背の羽を淡く美しく光らせたまま、そっと瞼を開ける。
「……これで、大丈夫です」
「……」
セレンはしばらくの間、目の前にいるナナセの姿をただじっと見つめていた。
それから、少しだけ困ったように笑う。
「そっちで来るとは思わなかった」
「……」
ナナセはすぐには答えない。
まだ顔は赤く染まったままだ。
そして――。
ぎゅっと、ナナセはセレンの広い胸へ自分の身体を寄せた。
今度は、正真正銘ナナセの方からだった。
セレンの服を小さな両手でしっかりと掴み、そのまま彼の胸元へ一心に抱き着いた。
「……」
セレンが一瞬、身体を固まらせた。
それから、慈しむようにゆっくりと彼女の背中へ腕を回した。
「……そっか」
セレンが小さく、嬉しそうに言う。
「これがナナセからの抱きしめ方なんだ」
「……はい」
彼の胸元から、消え入りそうなほどかすかな声が聞こえた。
そんな声に笑うと、セレンはそのナナセの頭をそっと撫でた。
「ありがと」
二人の周囲には、まだ黄金色の光の粒がゆったりと漂い続けている。
「……ナナセの魔法、綺麗で好き」
「そうですか?」
ナナセは照れくさそうに、周囲を漂う黄金色の美しい光を見渡す。
淡く温かい光の粒が、二人の空間をゆっくりと浮かんでは静かに消えていく。
「うん。星みたい」
セレンは穏やかな声で答えた。
そして、何気ない愛撫のような仕草で、ナナセの開かれた羽へとそっと手を伸ばす。
「……?」
広がった繊細な羽を、優しく引き寄せる。
そのまま――。
羽から放たれる淡い光の真上へと、セレンは優しく口づけを落とした。
「……え」
ナナセの身体が、一瞬で固まる。
自分の羽を柔らかく照らしていた黄金色の光。
その光の向こう側にいるセレンの横顔が、いつも以上に近くにあった。
柔らかな黄金の光に照らされた彼の鮮やかな赤い髪も、伏せられた長い睫毛も、切れ長な目も。
ナナセはそのあまりの尊さに、そこから視線を離せなくなってしまった。
「……」
セレンは顔を上げると、何でもない日常の挨拶のようにふわりと笑った。
「抱きしめてもらったお礼」
「……っ」
その言葉で、耳の裏まで一気に熱くなっていくような感覚に、もう何も言葉が出てこなかった。
そんな赤くなったナナセの反応を見て、セレンは嬉しそうに、楽しそうに目を細めた。
「……かわいい」
「……!」
言葉をかけられるたび、ますます顔が熱くなっていく。
もう羞恥心で何も言えなくなったナナセを、セレンはそのままそっと胸の中へ抱き寄せた。
「ほら」
優しく腕の中の定位置へ収める。
ナナセも抵抗することなく、彼の温かい胸元へ身を委ねて預けた。
トクトク、と。
耳を寄せたすぐ近くから、セレンの心臓の音が規則正しく聞こえてくる。
一定だったはずの彼の鼓動が、ほんの少しだけ速くなっていた。
ナナセはそっと目を閉じた。
セレンを思う自分の胸も、彼と同じように速く高鳴っている。
その自分の鼓動の速さをセレンに悟られたくなくて、ナナセはセレンの服をぎゅっと静かに握りしめた。
黄金色の光は、まだ二人を優しく包み込み続けている。
その光の温もりの中で、ナナセはセレンの確かな鼓動を聴きながら、静かに、そして幸せそうに目を閉じていたのだった。




